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第34話 風紀委員
永井のフェロモンを避けて風呂場に籠もった慶介は眠ってしまったらしい。
浴室の冷たい床で目が覚めた時、部屋からあの恐ろしい誘引フェロモンを放っていた服がなぜか無くなっていた。
その次から届けられた服はいつもの永井のフェロモンだけになっていて、多少、理性が溶けていつもより性欲に素直になってしまったけど、誘引フェロモンのときのような暴力的な情欲の波に飲まれるなんてことはなく、慶介の腹痛は3日後には治り、ヒートは6日後に終わった。
慶介は迎えに来た酒田が『おかえり』と言う顔が見れなくて、フイっと目を反らした。すると、何故か涙が滲んできて『早く、家に帰りたい』とだけ言ってその後は無言を貫いた。その間、ずっと、酷く背中が冷たい気がした。
家に帰ると慶介は信隆、景明、水瀬から威圧フェロモンをぶつけられながら叱られた。
医師から提示された2つの選択肢について景明たちに相談するという事を失念していたためである。
相談なく決めたことを怒られたのではなく、お金を心配して病院の選択肢を削除したことがダメだったようだ。慶介にとって20万は大金だが、信隆にとってかかる金額は大した問題ではないし、慶介が信隆にお金のことで遠慮したということが何より侮辱的に感じるらしい。
次のヒートで同じように腹痛が起こったら、病院に行くことが決まったので、・・・次のヒートは病院になるかも?
翌日の学校で、大人たちからのマジ説教でヘコんでいる慶介にさらなる追い打ちがかけられる。
「ピルを飲んでるのにヒートがずれるなんて普通はありえない! やっぱ、俺たちは運命の番なんだよ! 慶介の過剰反応も、ただのフェロモン過剰反応じゃなくて、運命の番だからこんなに強く反応するんだ。なあ、俺のこと少しは好きになってくれた? 俺は好きだよ、慶介。番になろ? せめて次のヒートは俺を呼べよ」
気分が高揚している永井の勢いに圧倒されていたが、その言葉の中の『好き』という単語を聞いた瞬間、慶介の頭は真っ白になる。
ヒート中に永井の名前を呼びながら、好きだと言いながら抜いた事を鮮明に思い出し、また、そのときのフェロモンに支配されていた感覚が恐怖となって心が激しく動揺し、慶介の体を硬直させた。
そんな慶介の状態に気づかず、永井は『好きだ』『番になろ』『俺のオメガ、運命なんだ』と口説く。
永井から抱擁一歩手前状態で、蒼白になって硬直していた慶介は突然、腕を強く掴まれ引っ張られた。
「止めろッ!」
慶介は酒田の背中に隠すように庇われた。
春以降、警護に戻った酒田はこういった乱暴な扱いをしなかったし、酒田が鋭く攻撃的な大きな声を出すところを初めて見て、慶介は口が開くほど驚いた。でも、それらは慶介に頼もしさや安心感を感じさせた。
邪魔をされた永井は怒り、威圧を放ち、酒田も対抗するために威圧で応戦し、教室の中に緊張感が走る。
だが、慶介の頬はピクピクと揺れた。酒田の威圧が全然怖くなかったからだ。
まるで『もぉー、怒っちゃうよ!?』とプンプンと膨れて怒っているかのような印象で、むしろ和んでしまうくらい優しい威圧だった。これなら、威圧が下手と言うのもわかる。
まぁ、当然、威圧勝負は酒田の圧倒的敗北。永井が更に出した威圧で酒田の体が目に見えてガチッと固まったのがわかる。それでも酒田は慶介を背中にかばったまま、動かぬ体の代わりに口で応戦する。
「運命の番を語るくらいなんだから、自信はあるんだろ。鷹揚に構えてろよ」
「はぁ? アプローチは基本だろ」
「慶介は奥手だ、アプローチに慣れてない」
「そのために押すんだろ」
「オメガに選んでもらうまで待てないのか?」
「俺は『勝ちは取りに行く派』なんだよ」
酒田と永井の威圧を出しながらの言い合いに巻き込まれた外野、クラスメイトたちが耐えきれずに不満を言い始めた。
「威圧まで出して喧嘩しないで!」
「運命の番を求めるのはアルファの本能でしょ」
「そうよ、アルファの求愛の邪魔するなんて」
「永井の行動を止める権利は酒田にないだろ」
「警護のくせに。どうせ、自分のオメガが取られるとか思ってんだろ」
「本多くんもさぁ、もっと素直になりなよ」
「そうだよ、運命の番に出会うなんて嘘みたいな話だから戸惑うのもわからなくないけど」
「初対面だから何? フェロモンの相性の方が大事だって」
「まずは付き合ってから考えたら?」
「そうよ。きっと、悩んでたのがバカバカしくなるよ」
「なんてったって運命の番なんだから」
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批判の矛先が慶介に向かう事に酒田は内心焦った。『もっと、自分に矛先を集中させなければ・・・』と考えを巡らせていたら、背中の服を掴んでいた慶介がクイクイと小さく引っ張った。
耳打ちしたそうに手を口に添えているので、体を捻って近づけると、慶介は小声で問うてきた。
「なぁ、運命の番って、恋愛関係の比喩表現とかじゃねぇの?」
「・・・・・・は?」
(比喩表現? 何の話? 運命の番は運命の番ですけど? いや、今、それどころじゃなくて。そもそも、何で慶介はこの威圧の空気の中で平然としているんだ??)
酒田の頭は思考が迷走した。
深く深呼吸をして、一旦思考を停止させて、次々浮かぶ疑問を追い払う。
慶介の言葉を曲解せずにそのまま受け止めるとするならば『貴方を愛しています』を『月が綺麗ですね』と言い換えるように『一目惚れしました』を『君は運命の番』と言っているとでも思っていたのだろうか。
(これは、ちょっと、ヤバい・・・)
精査が必要だし、勘違いなら今すぐにでも解消しなければこじれてしまう。
「永井! タイム! ちょっとタンマ!」
場違いに手でTの字を作って一時休戦を一方的に宣言し、慶介を引っ張り、壁際で皆に背を向けヤンキー座りで、おでこを突き合わせて答え合わせをした。
「何だと思ってたんだ?」
「あの、一目惚れとかベストカップル的な意味だと・・・。見た目じゃなくて、相手のフェロモンが魅力的な時に使うシーンが多かったし、番って動物のオスとメスの夫婦のアレだろ?」
「えっと・・・・・・、そもそも、アルファとオメガにはフェロモンの相性というものがあって、相性がいい相手の匂いは総じて甘く感じる。そのフェロモン相性が唯一無二とも言える相手を運命の番と呼ぶんだ」
「番はフェロモンの相性で決めるものなのか?」
「そうだとは言い切れないが、フェロモンの相性がとても重要視されているのは間違いない」
「じゃあ、俺と永井は番にならなきゃダメなのか? フェロモンで既に決められてることなのか?」
「いや、・・・そういうわけじゃない。フェロモンは簡単に数値化出来るものではないし・・・」
痺れを切らした永井が威圧を強め、それに煽られた誰かが『おい、まだか?!』と吠えた。
酒田はこの状況を打開するすべが思いつかない。慶介には説明が足りないし、この場から立ち去ることも許されなさそうだ。出来れば、この喧嘩は後日に持ち越し、仕切り直しにしてほしい。
助けが欲しくて周りを見回したところ、木戸と目があった。そうだ、木戸に助けを借りよう。
木戸は酒田のヘルプ要請を読み取り、応えた。
「風紀委員権限で介入します」
皆が木戸に注目し、教室の興奮した空気が一気に冷めていく。永井の威圧が十分に薄れたところで、木戸は発言した。
「永井。君の行動は運命の番を免罪符にした行き過ぎた行動と判断する。──本多。君はヒート明けでもあるし、心身ともに休息が必要だ。また、運命の番に対し戸惑いがあるように見受けられるので、学校のカンセリングを受けることをおすすめする。──最後に酒田。君の行動は警護として正当と判断する。警護というものは警護対象の意志を尊重し、あらゆるものから守るのが役目だからだ」
酒田の味方をする木戸を、クラスメイトたちは納得がいかないと、批判的な空気になった。そんな空気に動じず、木戸はまだ続ける。
「しかし、今後も永井と警護の酒田が、威圧を出して喧嘩を繰り返すのは目に見えているし、この場の警告だけでは収まらないことだろう。僕が立ち会うのでこの続きは会議室で思う存分してはどうだろうか」
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