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第41話 淡路島で釣り

 信隆の暴行については、慶介が代わりにたくさん謝った。  でも酒田は『口の中がキレたから大げさになったけど、そんなに痛くないよ。あの人、パワーないし、いなしたから大丈夫だ』と言って、確かに傷や青あざは1週間程度で消えた。  永井は首を絞められたというのに、なぜか逆にニコニコしていた。  どうやら、自分の黒歴史の幼稚園時代よりも過激な人が現れてくれたおかげで『あの人に比べれば、永井の幼稚園時代など可愛いものだ』と言われるようになったからだとか。  信隆の凶行は瞬時に学校中に知れ渡り、慶介に近づく者は及び腰になる。  慶介は、自分が怖いわけじゃないのに、と周りの対応にちょっと凹んでいると、酒田は『夏休みに入ればみんな忘れてくれる』と楽観視した。  酒田の楽観視を期待して、慶介は夏休みが待ち遠しいが、永井は死にそうな顔をしている。 「慶介の匂いが、1ヶ月も無いなんて・・・、無理だ。耐えられない。死んでしまう」  何とかして会えないかと遊びに誘われるが、全部断った。距離をとると体がどうなるかの実験がしたかったし、慶介には切実な休薬期間になるはずだからだ。 *  夏休みに入って、永井はたったの1週間で凶暴化という意味でのラット化の症状がでて、慶介の服を届けることになった。  またその1週間後、水瀬から『永井がこのマンションを特定したみたいだから徒歩の外出は禁止』と言われた。  メッセで永井に聞いたら素直に認めた。 『ごめん、無意識に。気づいたら、酒田のあと追けてた。部屋番号までは知らないから、安心して』  と、言われたが、何を安心して、何を警戒すればいいのか慶介には分からなかった。 *  引きこもり生活も3週間と飽き飽きしていた頃、信隆に『ベータの友人に会いたいか?』と聞かれて不思議に思いながらも頷くと、後ろに控えていた酒田がスマホを見せてきた。  メッセの吹き出しには『淡路島で釣りしようぜ☆』の文字があった。  今回は山口と谷口、その友人の3人と駅で待ち合わせした。 「え? 彼女? 山口の??」  駅で一年ぶりに再会した『2人の友人』という紹介だった山口の彼女さんを見て驚く慶介を横目に、酒田は2人と親しげに会話し、その彼女さんとも極自然に接していて、慶介は置いてけぼりを食らう。  慶介は交流を断つように言われていたので、特別に言いたいことだけこっそりとメッセしていたのに、酒田は普通に友だちになって、しょっちゅうやり取りして山口に彼女ができたことも知っていたらしい。  蚊帳の外にされていた慶介はブスっと顔で拗ねる。酒田はご機嫌斜めになった慶介に事情を説明した。  いわく、この1年で山口と谷口の身辺調査をして問題が無く、2人が慶介のことを口外しなければ今後も年に数回程度の交流を許す。と、信隆が言ったので、連絡禁止をされた慶介の代わりに酒田が山口たちを繋ぎとめる目的でメッセで交流していたのだそうだ。  ぶすくれた慶介に『けして、仲間はずれにしたわけじゃない』と酒田が宥める姿を、山口たちがニヨニヨしながら見ていることに慶介は気づかなかった。  今から向かうのは彼女さんの祖父母の家らしい。  釣りが好きなお爺さんが淡路島に引っ越してきて、彼女さんは海も魚も好きなので長期休みの度に淡路島に来るそうだ。山口は、春休みと今回で2回目だという。  最初は彼女さんの祖父母の家に泊まっていけば良いと言われたが、防犯上の理由でホテルに変更させてもらった。  初日の夜から釣りをするらしいので、昼間は淡路島玉ねぎとかの食べ歩きドライブしてゆるく過ごし、夕方から釣りの準備が始まる。  タチウオ狙いのお爺さんと山口が釣具片手に気合を入れる。彼女さんは釣りが好きなのではなく食べるのが好きなだけらしいのでお手伝いしかしないようだ。  ちょっとだけ釣りの真似事をさせてもらったが、針が怖い慶介と釣りに乗り気じゃない谷口は早々に離脱し、放置して待つだけというアナゴ釣りの竿の監視を買って出た。初っ端から小さい魚を釣ってしまった酒田は『警護ができない』と言いながらも、お爺さんの釣り仲間からレクチャーを受けて釣り竿を手放す様子はない。  放置で良いと言っても時々、餌が食べられてしまっていないかチェックしなければならないし、餌だけ取られていたら餌を付け直さなければならないのだが── 「このウネウネ触れる? 俺、無理。山口、釣りの趣味やめてくんねぇかな。友達止めたくなるわー」  谷口に一切やる気がないので、慶介は気持ち悪い生き餌をうぇ~と思いながらも針に挿して海へ投げ、ウチの4本と釣り仲間の竿、合計8本に魚が食いつくのをただ待つ。  その間、慶介は二人の一年の話を聞かせてもらった。  慶介のことは酒田から聞いてるらしいので、慶介が話すことは少なく、主に谷口が慶介に語って聞かせた。  山口と彼女さんは美術の人物画の授業でお互いを描くことになってしまってからの付き合いという、ちょっと面白い出会いなのだとか。谷口の妹が受験でずっとピリピリしてるとか。山口の家の高齢になった犬が散歩を拒否しているとか。今年は最後のプールがないので谷口は宿題を5ページしかやってないとか。大事なこともどうでもいいようなこともたくさん聞いて、離れて空いていた時間を話を聞くことで埋めた。 「田村こそ、酒田とはどう? いい感じなん?」 「はぁ?」 「付き合ってんだろ?」 「いや? いやいやいや? なんで、そんな話になんの? 酒田がそんな事言った?」 「だってー、時々、写真送ってくるけど、お前いい顔してるやん。俺らにも見せなかった顔してる。ほら、これとか」  見せられたのは、飯時に突然撮られた写真とか、勉強中の横顔とか、筋トレで顔真っ赤にしてる所とか、撮られている事は知っていたけど、これのためだったのかと腑に落ちる。  谷口が『これとか』と示した写真は、ソファで寝てる慶介とアイス食ってる酒田の自撮り写真。メッセの文章は『最近お疲れ気味』とあった。  メッセのやり取りをスクロールで読ませて貰えば、今日はどうだった、こうだった、と本当にマメにやり取りをして慶介のことを伝えていた。 「これもう、付き合ってるでしょ」 「ち、違うって・・・。一緒に住んでるからそう見えるだけで、酒田はそういうんじゃねぇよ」 「なんで? 酒田、良い奴じゃん。付き合っちゃえよー」 「だって、あいつは、警護だし・・・」 「それの何がアカンの? 田村はオメガで、あいつはアルファだろ? 結婚出来んじゃん」 「け、結婚?!」 「え? 出来るよな?」 「うん、まあ。出来るけど・・・」  谷口の言葉は、慶介の腑にストンと落ち── 「あ! あれ、動いてね? なぁ~! これ動いたんだけど、どうしたら良い~?」  その揺れた竿を皮切りに次々と釣れはじめて、アジを狙っていた酒田も大きいのを1匹、小アジは5匹も釣った。タチウオはお爺さんの1匹しか釣れなくて山口は別の魚を4匹釣っていた。  お祖母さんが捌いてくれた、釣れたての魚は今まで食べた魚とは比べ物にならないくらい美味しくて、皆で目を輝かせて驚いた。山口はハナタカポーズをして、自分が釣ったやつも食べてと押し付けてくるし、彼女さんは『美味しいでしょ~? ウチ、もうスーパーの魚食べれなくなっちゃった~』と言っていた。  次の日は海で遊び、夜は再びタチウオ釣り。  リベンジに向かう山口はやはり不発で別の魚を釣っていた。酒田は慣れた手付きで中サイズのアジを2匹と小アジを4匹、慶介が味に感動したアナゴは2匹も釣れたので天ぷらと白焼きにしてもらった。  疲れるほど遊び倒したとは言わないが、心地よい疲労と充足感がある中、山口たちを駅まで送って、彼女さんが重岡に丁寧に頭を下げて『ありがとうございました』と言う横で慶介たちは別れの挨拶をする。 「じゃあな、田村!」 「おう!」 「田村、・・・またな」  谷口が意味深な顔で言うものだから、気を抜いていた慶介は激しく動揺して、胸の奥に隠していた不安が急激に膨らむのを止められなくなった。  楽しんでいるという仮面がとれてしまった慶介に谷口が被せて言う。 「また、来年な」 「・・・っ!」  たった1年先の約束が、慶介が隠していた不安の核心を突いた。  慶介が選んだ薬の過剰摂取は、体の反応を抑える事ができるが、それは『命を縮める』という選択でもあった。  症例の統計的に、薬の過剰摂取は10年がタイムリミット。それ以上続ければ、脳の萎縮が始まり30代後半からアルツハイマー病と同じような症状が出始め、そうなれば薬を止めても40代後半には8割が死亡し、10年以上薬を過剰摂取した患者の中で50歳を超える人は少ない。  あと何回『また来年な』と言い合えるだろうかと思ってしまったら、慶介は流れ出した涙を拭う事も出来ず、泣き顔を隠すことも忘れて、涙が流れるままにし、2人の姿を脳に焼きつけた。  この瞬間の思い出も、今、噛み締めなければ、いつか思い出せなくなるかも知れない、と。  泣き出した慶介を雑に慰める山口と泣かせてしまったと焦る谷口、何が起こったのか見ていなかった彼女さんと重岡は困惑している。  慶介は必死に唇を食いしばった。  少しでも開いてしまったら、もう、胸の内に隠した不安や決意、想いが止まらなくなると思ったから。  理由を話そうとしない慶介に山口たちは『どうした?』と尋ねるばかりで、答えたくない慶介はなおのこと辛くて、でも慶介を心配する2人は、友達の距離という枠をあっさり超えて来て、胸は痛いが背中や肩が暖かい。  ハグを山口にしかけて、彼女さんがいた事を思い出して寸での所で止まると、 「お前がオメガでも、俺ら、友達だろ?」  逆に山口が腕の中に迎え入れてくれて、谷口が背中を撫でてくれた。  こんな、泣いてる姿なんて見られたくなかった。  子供の頃からどんなに辛くても学校では友達にはそういう姿は見せなかったし、愚痴をこぼした事もない。  だって、学校に来れば楽しくて、友達といれば嬉しかった。それなのに『泣く』なんておかしいと思っていた。でも、もう、涙は止まらないし、でも、とても嬉しくて温かい。そして、悲しくてたまらない。  ──どうして、こんなことに・・・  電車を数本乗り過ごさせてしまって、改札で別れる予定を入場券を買って電車に乗るところまで見送る事になった。  目元が赤いままの慶介が、掠れた声で言った。 「・・・じゃーな」 「またなって言えよー。来年も遊ぼうぜ。釣り以外(・・・・)でッ!!」 「何でだよ、釣りやろうぜ~」 「絶対、嫌ッ! ゴカイとかいうやつキモすぎ。最後は田村まで普通に触ってたし、釣りは断固拒否する! 普通に遊園地系にしよ~。それなら夏休み以外でも行けるやん?」 「じゃあ、次は遊園地な。田村、また遊ぼうぜ!」  『また』という言葉に、慶介の涙がジワジワ込み上げ、また泣いた。  山口らの『約束な』という言葉に頷きで返して、3人の乗った電車を見送った。 ***

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