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第42話 オメガの心
*酒田視点から始まります。
──────
今日は慶介の服を永井に届ける日だ。
追けて来た前科がある永井には待ち合わせではなく、家まで届けることになった。
夏の猛暑日の中、玄関先で既に待っている永井に慶介の服を渡し前回の分を回収する。受け取った永井はすぐに、ちょっとだけチャックを開けて服を抱き締め、溢れてくる匂いを取りこぼさないように大事に嗅ぐ。
険のある顔が緩んで、ヤバい目がイキイキと生気を取り戻す姿を見ると、苦々しい気持ちよりも幼馴染として安心する気持ちのほうが少し大きい。
「・・・慶介って、シャツ一枚で過ごしてたりする?」
「いや、Tシャツも着てるが?」
「次の服、インナーとTシャツの2枚、持ってきてくれよ」
「それなら、たぶんOKもらえると思う」
「本音を言うとパンツが欲しい」
「誰がやるかっ!!」
永井が家に入って鍵を締めたのを確認してからその場を去る。
慶介の服の中にGPSなどの機器が隠されていないかのチェックをしたあと、永井のフェロモンが一切残らないよう洗濯しなおすために酒田の家へ向かう。
前回の持ち込んだ慶介の服を酒田の母親から受け取って、今回の分を頼んで、母親のお茶に付き合って、近況報告をして『しっかり励むのよ』との言葉で送り出される。
赤信号で止まった酒田は夏の暑さにうなだれ、母親に見せた明るい顔をため息と供に捨てた。
酒田はここ最近、己の不甲斐なさに打ちのめされている。
慶介は入院以降、何かを隠していて酒田と重岡にだけ明かされないことがあることを察している。多分、知っているのは本多さんと信隆。水瀬さんは知っていても、いなくても仕事をきっちりとこなす人だから、知らされなくても気にしないだろう。
秘密を作られるだけでも、気落ちするのに、淡路島の一件だ。
慶介はベータの友人たちの前で泣いた。
秘密にしていることこそ口にはしなかったが、辛い気持ちを明かし、ベータの彼らは慶介の心を癒やした。
同じ土俵にも上がれないと思っていたはずのベータが、酒田の役割を奪った。足元がぐらつくほどの衝撃だった。
──自分はもう信頼されていないのか?
──頼りにされていたのではなかったのか?
──そんなに俺は頼りないのか?
──なぜベータなんかに頼るのだ?
今までの人生で感じたことのないような強い嫉妬が渦巻き、慶介を大事に思い心配するのは仲間であるはずのベータの彼らを敵視してしまった。
酒田に明かされない慶介の秘密は深刻な事なのだとわかった。でも、わかったのはそれだけだ。なにがどう深刻なのかは分からない。でも、なんにしろ、その秘密は慶介がベータの友人たちに堪えきれずに涙を見せるほどの我慢をしなければならない辛い事のようだ。
(分からないままでは、配慮のしようがない)
自分には存在価値があるはずだと、何か出来ることがないかと気を回そうとするのだが、酒田は自分がどう動くべきなのかが解らなくて焦燥感ばかりが募って、嫌な想像ばかりをしてしまう。
(慶介・・・。何を、隠してるんだ?)
酒田はポケットの中で拳を握った。
**
永井の家に向かう酒田を見送ってしばらく経ってから、夏休みなのに珍しく休みだという景明に呼ばれた。
「慶介、話がある」
慶介の自室に2人きりになると、景明はバックから紙の袋が出されて慶介の顔色が変わる。
「慶介。俺の部屋に勝手に入った事は、この際、許す。問題は、これや。8月分の薬がなくなってる。・・・学校に行っていない夏休みは、弱い方の薬を飲むはずだったよな? 何でなくなってるんや?」
慶介の顔から血の気が引いていき、頭の中は言い訳の言葉が駆け巡り、視線が彷徨い、あるはずのない逃げ道を探して、口は乾いていく。
「・・・っ、・・・」
「正直に言え」
「は、・・・腹が、痛くて・・・」
「どんくらい痛む?」
「ほんとに、ちょっと。・・・違和感あるくらい」
景明の圧のある視線が本当のことを隠そうとする慶介の表情を捉え続ける。ついに、慶介は滲み出る涙を留められなくなり、落ちた涙と一緒に本音を零した。
「・・・・・・認めたく、なかった。永井じゃなきゃダメなんて」
半袖の縁で涙を拭う慶介の頭を、厚く柔らかな景明の手がグリグリと撫でた。
警護らしからぬ行動だった。景明は今、叔父として甥の慶介を、家族として素直に心配してくれていると感じた。
そういう気持ちを踏みにじり、お互いに信頼しあえるから成り立つ『部屋に勝手に入らない』という当然のルールすらを破った。
慶介は警護たちを、家族を信じていなかったことに気づいて『ごめんなさい』と、繰り返し謝った。
景明が、深く重いため息をついた。
「永井はだめか? ・・・永井は俺の教え子の中でも一等優秀だ。古臭い言い方をするなら超弩級の上位アルファだ。怪我がなかったら、本当に世界一に君臨したやろう。性格はキツいが、あの手の優秀なアルファは自分のオメガにはメロメロになるからな、生活には苦労せんし、どんな我が儘も聞いてもらえる。家柄も悪くないし、柔道ができなくても素質が優秀やから、いくらでも育てられる点においては将来有望や。釣書だけで見るならウチに届いた釣書の中でも一番候補や。・・・・・・永井はそんなにダメか?」
景明の言わんとしていることが捉えにくい。
でも、多分、伝えるべき言葉は──
「・・・だめじゃ、ない。ダメじゃないけど・・・」
慶介は続きを言うのをためらった。景明は先程と同じく『正直に言え』を繰り返し、軽い威圧を出した。
「・・・っ、さ、酒田がいい・・・!」
こじ開けられた口は閉じることのできないまま、抑えられなくなった慶介の本当の気持ちが、言葉になり、音になり、景明に打ち明けた。
「つ、番とかよくわかんねぇけど、一緒にいるのは酒田がいい。酒田がいいけど、・・・駄目だったんだっ! 酒田の匂いじゃ腹が痛いの治らなかった・・・! このままじゃ、酒田と番になったとしても、腹が痛いのは治らないままかも知れない! もし、番になったあとも腹痛いの治らなかったら、番になった後じゃ、もう永井の匂いは拒絶反応で駄目になるって医者が言ってた。そうなったら俺は・・・。どうしたらいいか、もう、わかんねぇ・・・!」
谷口に『付き合っちゃえよ』と言われてから、慶介は自分の中で酒田を友達と呼べない感覚があることを認めざるを得なくなった。
そうすると、ズンと重い腹の痛みが、普通の抑制剤に追加分を足しても残る違和感すら、とてつもなく許せなくなった。
何とかならないかと酒田のインナーを盗んで、夜、抱えて眠ってみたけど朝一番に感じる鈍痛は消えなくて、こんなに心は安心で和むのに『どうして?』と望みが断たれて行く現実が憎くて仕方がなかった。
心が弱るほどに余計に思うのだ。こんなことは何の解決にならないというのに、なんという無駄をするのだ、と。
痛みや違和感を薬で消したって、その先にあるのは30代後半には始まる記憶障害と50歳まで生きられない現実。
根本的に慶介の体は永井を運命の番として認め、フェロモンを求めていているのだから、心が伴っていなくとも生きながらえるために永井を選ぶ方が正しい。
そう、正しいと分かっている。だけど──
涙が滲み出て、溢れて、拭って、泣くのを堪えて、やっぱり流れて、半そでの袖口が濡れてペタリと腕に張り付いた。
「隠すから1人で悩むことになるんだ。何とかならんか俺も考えてやるから、これからはちゃんと相談しろ。お前の警護は酒田だけやないんやぞ」
ヘッドロックをかけるみたいな力強さで、景明の胸に押し込められた慶介は声を押し殺して泣いた。
泣きすぎて頭が痛くなった慶介はベッドに横になり、景明がタオルケットをかけてくれた。
「俺、なんか、最近泣きすぎな気がする」
「当たり前やろ。それだけの事抱えとるんやから」
「そっかな・・・」
「酒田が帰ってきたら教えてやるから、しばらく休んでおけ。泣いた痕跡は隠したいやろ、鏡で顔を確認してから上に上がって来るんやぞ」
そして、景明にしては珍しく視線をずらして言った。
「──薬、いつでも止めてええ事、忘れるな」
慶介はしっかりとうなずいた。
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