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第43話 変化
夏休み明け、永井の突撃に構えていた慶介は肩透かしを食らう。
永井は下駄箱で待っておらず、教室で慶介の席の前に座って鷹揚に構えたまま『よぉ、久しぶり』と片手上げた。
落ち着いた雰囲気を訝しみつつ、いつ飛び付いてくるかとドキドキしながら教科書の類を仕舞うが永井は見ているだけで何もしてこない。動き出したのは置き勉用の教科書の類を全て片付け終わったあと、手の甲に軽いキスの挨拶をしただけだった。
「服もいいけど、温度を感じるとなお一層いい匂いだ。慶介は俺の匂いはいらねぇか?」
あまりの大人しさに、まるで別人のようだと感じていたけど、この発言で相変わらず永井は永井のままなのだと思いなおす。
手にキスをされたオメガが、アルファにキスを返すということは、告白に『YES』を返すということと同じ。ピッと手を引き、小さく舌を出して拒否を示すと、永井は小さく首をすくめた。
それからも永井は大人しいままだ。
夏の前のように『番になろ?』と迫ってこない。まずは目が違う。水瀬から受ける視線と同じくらい、冷たい、とは少し違うが、視線から求愛の熱量を感じない。あの熱線ではない目なら長く見ていてもしんどくないので、前よりも永井と目を合わせる時間が長くなった。
むしろ、今は酒田からの視線のほうが、問い詰めたいと言いたい熱が籠もっていてそらしたくなる。
目が求愛をしないのなら、口も求愛の言葉を語らなくなった。その口から出てくるのは本当にくだらない雑談か、お互いに関心がある事柄についての話だけ。『嫌だ』『やめろ』『離せ』といった言葉を言わなくて済む様になるのは本当にありがたい。心底嫌いでもない相手に拒絶をするのはやはり神経をすり減らす。
体の接触もまた大人しくなった。休み時間のたびに匂いをこすりつけるようにバックハグをしていたのが、慶介の席に来て、慶介を膝に乗せて座るだけに変わった。腕はしっかりとお腹に回されているが、項の匂いを嗅ぐこともないし、耳に頬を寄せ、囁いてくる事もない。椅子がないから仕方なく膝に座らせてるだけ、みたいな、自然なんだけど不自然な感じだ。
肩を組んでも、手放し難いとでも言うような力強さはなくなり、ちょっと位置の高い肘置きみたいな扱いをされている。
部活前は何度、怒られてもやめなかったキスがなくなって、教室で『じゃ、あとでな』と一言のみ。
慶介は収まりが悪いので『あんまり酒田をいじめるなよ』とか『今日は遅くてもいいぞ』とか一言、返すようになった。
*
学園グループの一大イベントである大文化祭。
1年生の時は夏休み明けから準備を始めたが、2年生は進級式のあった4月には大文化祭委員が決まって、話し合いを重ね、計画が着々と進められていたらしい。夏休みには『出店』をかけたプレゼンやコンペもあった、とか。
慶介たちは準備に係るような余裕が一切なかったので何も知らないおまかせ状態で、今日の準備期間の初日を迎えた。
「カフェ出店が決まりました~!」
おぉ~と拍手喝采のなか、慶介はよくわからないまま同じく拍手だけしていると、分かっていない慶介に酒田が耳打ちしてくれた。
「屋台みたいな模擬店じゃなくて飲食スペースのあるカフェ風の模擬店の事を出店って言うんだよ。去年のフワフワかき氷食べた店の並びのやつだ」
「あれ、生徒がやってんの? お店のやつかと思ってた」
「企業スペースだよ。企業が生徒のアイディアに乗ってお金出してくれたらあのスペースにいけるんだ」
「なるほど、それがコンペか」
教室の中央に机を9つ並べ、他の机は端によせ、文化祭委員が店内の図面やイメージ画像、カフェに出すメニューなどのカラー印刷された紙をバサバサと並べた。
人数分の用意はないらしく、関心がある人だけがとって残りの人は机を覗き込むやり方のようだ。座席が関係なくなった永井が、店内イメージとメニュー画像の紙を持ってきて見せてくれた。
「和カフェか。・・・抹茶わらび、ほうじ茶ゼリーパフェ、このグラデーションあんみつゼリーすげぇな」
「みろよ、慶介。初期案はあんみつゼリーだけだったみたいだぜ?」
「へぇー」
皆が紙に集中している中、委員会の一人が注目させるために、パンパンと手を打つ。
「注目〜! 和カフェの給仕衣裳は、大正ロマン、着物エプロンと書生さんでーす!」
そして、わざわざ光沢紙に印刷された衣裳を着た写真が机に広げられた。
こちらはコピーがないので覗き込むしかないらしいが、慶介は興味がないし見たくないのでボケっと突っ立っていたら。永井に持ち上げられて連れて行かれてしまった。
着物の柄や色はまだ思案中らしい。色んなパターンがある中、男オメガの一人が着物エプロンで女装しているのを見つけて嫌な予感がした。
「本多くんのも用意してあるよ!」
文化祭委員会のオメガ女子が広げた写真を数枚掴んで、慶介に突き出し、目を輝かせて言った。
脳内では『いらね~』とゲロ吐くモーションをしたが、慶介はジト目だけ返した。
「なんで慶介の分?」
「去年の女装知らないの? すごく似合ってるんだよ?」
永井がきょとんとした顔と声で尋ねる。
衣裳担当らしい大文化祭委員の女子がスマホで画像を永井に見せた。
それは慶介が削除したはずの女装アカウントと化したSNSの画像だった。いくらアカウントを消してもスクリーンショットで各個人が保存していてはどうしようもない、と舌打ちした。
見たくもないし、見せたくもないので、永井の顔をひねり上げて逸らせようとするが、永井は赤子の手をひねるように、簡単に慶介の両手首を片手で掴んで制する。なら次は逃げようとしたら、絞め技なのか分からないが片腕で抱え込まれあっさり捕まってしまった。
永井は女子のスマホを操作して女装写真に見入っている。そして、彼女がどこで手に入れたのか知らないが、春休みのお見合いの着物姿まであった。
「慶介の着物、見たい!!」
キラキラ輝かせた目は、意外にも性的な感情が含まれない純粋な好奇心だけのように感じる。
酒田がやってきて永井の腕から慶介を助け出しながら、慶介の代わりにお断りをしてくれる。
「止めてやってくれないか? 去年は男衣裳が無かったから仕方なく しただけで、慶介は別に女装が好きなわけじゃないんだ」
「えー・・・、本多くん用に選んであったのにー」
本多くん用の衣裳があった事実に慶介は二重にホッとした。
出店が決まったということは、企業が関わってくるので逆に生徒がすることがなくなる。
調理も衛生管理の事情から企業側がやってしまうし、カフェスペースの内装やらもデザインさえ出せば印刷や準備もやってくれるらしい。デザイン担当とレシピ担当、文化祭委員会のメンバーは忙しいが、それ以外はぶっちゃけ暇。
生徒ができる役割は当日の給仕係と呼び込み係くらいだ。
その少ない役割分担を決めるのだが、嫌がらせみたいに給仕係はオメガと同じ人数が設定されていた。
そこに慶介が手を挙げないから枠は1つ余ったまま。
そもそも裏方で良いと思っている慶介。せめて目立たない呼び込みで良いと言えば『着物エプロンで呼び込みしたら注目してもらえるよね!』と言われるし、着物エプロンから離れたくて、ウェイターベストと黒エプロンの格好をするレジ打ちならやると言えば『アルファの仕事取らないであげて』とか言われるし、大文化祭委員はなんとしてでも慶介を給仕にしたいらしい。
周りの『サッサと決めろよ』という空気に負けて慶介は諦めた。
「・・・給仕すれば良いんだろ。その代わり、衣裳は書生さんしか着ないからな」
昼飯はアメリカン・バーガーを食べたら、バーガーだけで満腹になって残ってしまったアイスティーを永井に助けてもらいながら飲んでいた時、ふと、思ったことを聞いた。
「そういや、永井は俺の女装知らないんだな」
「大文化祭の時なんだろ? その頃は、もう出席停止されてたからな」
「え、出席停止、長くね? ・・・半年以上?」
「まぁ、そうだな」
「じゃあ、俺が大運動会初めてだったのと同じように、永井は大文化祭、初めてって事?」
「ベータ育ちの慶介と違って、話は聞いてるし、中学生の時に客として参加したこともあるから、何もかも初めて、とは言わねぇけど?」
「そっか、じゃあ、3人で回ろうぜ」
「酒田と3人で、か? ・・・俺がいて、いいのか?」
「何だよ、そこまで行くと卑屈っぽいぞ。俺らと一緒じゃ嫌かよ」
「いいえ~、オメガ様のお望み通りに~」
永井のおふざけに慶介もムッとした顔を返す。
さらに、酒田ほどひどい蹴り方は出来ないが、永井の怪我をしている側の足の甲を蹴ろうとしたのだが、目測を謝って足の小指を踏んづけてしまった。スリッパなので小指はほぼむき出し、永井が『いでっ!』と声出して痛がったので、ごめんと謝りながらもケラケラ笑った。
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