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第44話 喧嘩
*酒田視点です。
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「最近の永井はおとなしいな」
「ほんそれ。いい感じ。今のあいつなら友だちになってもいいね」
運動会以降あんなにべったりだったのに、夏休み前は会えなきゃ死んでしまうと言っていたのに、たったの1週間でラット化まで引き起こしていたのに、夏休み明けの永井は引いた。
慶介も不気味がっているが、変に指摘して、じゃあ元に戻すとか言われたら嫌だからと、あえて何も触れずに過ごしている。
「番っても良いと思うくらいに?」
「はぁ? ・・・番になんか、ならねぇよ。変なこと言うなって」
「そうか、すまん」
言わせた気もする。と思いながらも、慶介の些細な一言に心は喜び跳ね回った。
顔に出してはマズイと『駄目だ、期待するな』『ぬか喜びになるだけだ』と平常心を取り戻すために言い聞かせるが、頭の中の小人が『でも、ならねぇって言った』と大騒ぎしている。仕方がないので、永井のことを考えて気を鎮めることにした。
(最近の永井は、本当に、慶介が欲しがっていた友達そのものだ)
まるでアルファの友人同士かのようなやり取りと、オメガという異性に対する丁寧さを取っ払った雑な扱い。性的な感情のない第1性のみの関係性のように見える永井に気を良くして、慶介がどんどん心の内側へ入ることを許しているのがわかる。
去年は、他のアルファ達が馴れ馴れしくするだけで『そういうのは酒田にしか許してねぇから』と酒田を特別あつかいしていた。そういった特別扱いを永井にも許し、警護として近すぎる関係よりも近い距離で楽しげにしている。
友達にするにはしんどい、などと言われていた永井が今では、友達になってもいいと言われていることに、酒田は胸の内に暗い感情が溜まるのを感じていた。
*
ふと、慶介がトイレに立った。普段なら一人で行動するなと酒田が止めて、夏休み前の永井なら喜々と一緒について行ったであろう。が、今日は二人とも動かなかった。
「さっきの、慶介が一人になりたがってたの、よく気づいたな」
一つ前の5分休憩でも、薬が入っているポケットと反対側をなにもないのにチラチラ見ていた。こういう行動を取る時は、少し体調が悪い前兆だ。本当は、まずは薬に頼らず教室の机で突っ伏して少し休めばいいのだが、慶介はそういう姿を見せたがらないし、薬を飲んでいる姿すら嫌がる。
「ああ、匂いで分かる。頭痛じゃねぇかな? 痛み止め飲んだらすぐ戻ってくるだろ」
「匂いで、・・・頭痛まで、分かるのか?」
「何となくだけどな」
慶介は、本当にちょっとしたら戻ってきて少しボーッとしていた。それを気遣ってか永井は柔道の世界大会の話題を酒田につらつらと語っていた。
永井の話を聞き流す酒田は、眼の前が真っ暗になりそうな絶望感に襲われていた。
唯一、絶対優位だと思っていた慶介に関する観察眼も『匂い』で嗅ぎ取れるのだとすれば、今まで確信していた優越感が失われていく。
元より勝てるところなど何もない。力も学も敵わない。慶介からの信頼を失っている酒田は、もはやベータの友人たちにも劣り、永井の鼻の前では酒田など無用の存在になりさがる。
9月も下旬になって涼しくなっているのに、身を焼かれているような熱さを感じる。
胸に溜まっていた暗い感情の嫉妬に火が付いて、情けなさや悔しさを巻き込み燃え上がっている。炎の中で黒く灰になったもう一人の自分が『当然の結果だろう』と諦念の声で嘲笑してきた。ほんの少し前までは小人が大騒ぎしていたのに。
こんこんと湧くささやかな好意は綺麗な水の様なのに、数秒後にはドロドロとした油になって腐臭を放ち、酒田の思考を鈍らせ同じ疑問をグルグル繰り返している。
──なぜ、慶介なんだ。
──なぜ、運命の番が現れるんだ。
──なぜ、その相手が永井なんだ。
(・・・なぜ、俺じゃ、だめなのだろうか・・・)
*
永井が転校してきてから、酒田の部活は永井のリハビリ練習の相手に変わった。
「来年はあいつがいねぇからな、全部勝つ」
永井は、真犯人だと言っていたあの男が、インターハイで優勝を逃したことから、再び柔道に力を入れるようになった。高校生しか出られない春と夏の大会に向け、酒田も通う道場にも入ってきた。
酒田が通っている道場は、関西の警備会社の実業団で運営している道場なので、永井も納得の猛者揃い。部活では怪我のリハビリみたいな練習しかしていなかった永井も本気を出して、道場では大人たちと試合同然の真剣な組み合いをして実業団の実力者を投げ飛ばしまくっている。
学校での大人しさと、闘志を漲らせ柔道にのめり込む姿の落差に酒田は頭を捻るばかりだ。
今日の部活はなかなか納得行く仕上がりにならなかったようで遅くなってしまった。
少し遅れるとのメッセージに返信が無かったので、いつも通り、永井と自習室に慶介を迎えに行くと慶介の姿が無かった。
周囲を見渡しても慶介のカバンも見当たらず、近くにいた人に聞くと『同じクラスの人が来て連れて行かれてたよ』とのこと。
教室に向かうと、出入り口を補佐アルファが監視していた。「何かあるのか?」と聞くと、中でオメガたちが和カフェの衣装の試着をしているらしい。
嫌な予感がした。
中では女子が慶介に女装を施しており、予感は的中してしまった。
大正ロマンのイメージでよくある、紫の矢羽柄に赤色の袴。毛先が茶色のウェーブの入った付け毛を横に垂らし、大きめの髪飾りが揺れている。ビビットな色合いの着物とそれに負けない濃いメイクは少女性が高められていて男であることなど感じないくらいだ。しかも、よりによって、着物用に買った黒の光沢のあるネックガードだから、去年よりもいい仕上がりだった。
(・・・本当に、正直言って、よく似合ってる)
慶介のちょっと困った顔を見ても、胸の内に湧いた正直な感想を打ち消せなかった。せめて、口にするまいと酒田は口を閉ざすが、永井はそうではない。
「慶介、すげぇ似合ってる! 最高だ! めっちゃ良いよ。その格好で給仕しろよ!」
最近、全く見せなかった熱量が籠もった目と声で永井が褒めた。
抱きしめたいのを我慢しているかのような落ち着きのない手が腕や髪を撫で、口説き文句を我慢するためか、それとも語彙力が低下しているだけなのか『似合ってる』を連呼する。
そんな永井の言葉に、周りの女子も追い打ちをかける。
「そうだよ、女装やろうよ」
「今だけとか勿体ないよ」
「こんなに似合ってるのに」
慶介の顔が強張っていき、ほんの一瞬だけ泣きそうな目になったあと、嫌なのを我慢するための作り笑顔で『仕方ねぇなぁ』と言った。
その瞬間、酒田は頭に血が上り、眼の前が真っ赤になった気がした。
「嫌がってるのが解らないのかッ!?」
酒田の怒りは言葉だけなく拳となった。
ギリギリ残っていた自制心で握っていた手を開き、酒田は掌底で永井の顎を撃ち抜き、不意打ちを食らった永井は揺れる脳にバランスを崩し膝から崩れ落ちた。
酒田からの2発目を防ぐため、永井が威圧フェロモンを放ち、酒田もそれに応じるように威圧フェロモンを放った。
前に教室でやり合った時のようなしょぼい威圧ではない。酒田の本気の威圧は景明そっくりであった。
威圧に気圧され仲介に入るのが遅れた補佐アルファたちは、始まってしまった酒田と永井の取っ組み合いの喧嘩に狼狽した。
二人の殴打の応酬はそれぞれの顔や急所を狙い、流血沙汰にならないのはお互いにギリギリの所で拳が入るのを止めているから。張り詰めた緊張感に、周囲は息を呑むのもはばかられ、リアルの戦いは漫画みたいな音もエフェクトもなく、あるのは『これ以上はマズイって!』というハラハラ感。
両者の力が均衡していた殴り合いが、次第に技の掛け合いにシフトしている。柔道部同士の襟元の取り合いはカッターシャツが引きちぎれそうな程に激しい。
位置取りの最中で身体にぶつかった教室の机に、気をとられた永井の隙をついた酒田が技をかけて、永井が床に背中を打った。
しかし、試合のように技をかけられたから終わりではない。そこからは柔道の寝技というのかレスリング並みのマウントの奪い合いが始まり、周りの机と椅子がガタガタと押し広げられていく。
補佐アルファ達は喧嘩の仲裁に入るタイミングを計れずにいた。
両者の勢いは強いままで、どちらも攻め手を緩める気配がない。そもそも、どちらを押さえれば良いのかも迷っていた。今回は珍しく、酒田が仕掛けた喧嘩であり、しかも周りからみると酒田の言い分はあまりに唐突で理不尽にも思えた。永井は不意打ちを食らったことから、ただ応戦しているだけ、とも言える。
周囲が迷っている内に、体力か気力が切れ始めた酒田に対して、冷静さを取り戻してきた永井が本領を発揮し始めた。
露骨な馬乗りを狙っていた酒田と違って、永井は寝技で酒田を押さえ込もうとして、それが成功するタイミングが増えて徐々に攻勢に傾いていく。押さえ込みから逃れようとする酒田は防戦一方になり、ついに永井が完全に固めた。
その機を逃さず、慶介が2人の喧嘩を止めた。
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