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第49話 ポケットの中

*酒田視点です。 ──────  翌朝。  日が出る前の空はまだ少し暗い。  静かな廊下にドアロックが解錠される音が響く。  部屋からあふれ出てきた強烈で濃いアルファフェロモンとオメガフェロモン。そして、行為の残り香。  1つの足が目の前で止まり、1つの足音が遠ざかって行った。  酒田は顔を上げられなかった。  昨日から一滴も流れなかった涙が今になって悔しさで溢れた。泣きたいのは慶介の方だろうに、自分に泣く資格なんて、権利なんて微塵もないのに。だけど涙が溢れて、廊下にポタポタと落ちた。 「俺は慶介の心を守りたかった。守り、たかった・・・貞操も、項も、俺が、なんとしても、と、思ってたのにっ! なのに、全然、・・・守れなかった。むしろ、俺のせいで、すまない・・・。すまない、慶介っ・・・本当に・・・死んで詫ても、償いようがない・・・」  土下座した頭を冷たい廊下に押し付けた。  このまま頭がかち割れてしまえばいいと思った。 「そんな詫びは、いらねぇな」  慶介の指が酒田の髪に滑り込んできて、髪をサラサラと撫でた。  酒田はなんだか堪らなくなって、口が勝手に動いた。 「ほんとは、・・・ほんとうは、俺・・・っ!」  ──もう警護であることを捨てる。  友達でいようなんて嘘だった。できるわけが無い。本当は酒田こそが、慶介の最も嫌がるアルファそのものだった。  慶介のことを誰よりもオメガとして見ていて、その手をとってキスして、キスを返してほしかった。初めてのヒートの最中に電話が鳴った時だって、ヒートのお相手だと思って違ったことにガッカリした。  お友達ごっこだって、本音では恋人気分だった。ネックガードの暗証番号を知っている自分はもはや婚約者みたいなものだと陶酔していた。  永井が塩対応されてることに誰よりも小気味よく感じていたのは自分だ。だから、自分が居られなくなった友達というポジションに永井が収まった時、悔しかった。警護の立場である我が身を恨んだ。その苛立ちをぶつけるように喧嘩をふっかけた。  本当に、馬鹿だ。こんな事になるんだったら、最初から正直でいればよかった。 「・・・俺がッ、項を噛みたかった・・・ッ!」  胸に秘めていた想いを、ついに口にした。  しかし、なんと無意味な告白だろう。何もかもが手遅れ。生涯に一度きりの項には既に噛み跡ができている。後から噛んだって上書きは出来ない。    爪が食い込むほどに硬く握られ廊下に押し付けられた手を、慶介の手が一本ずつ優しくほどいていく。  そして、持ち上げられた爪の先に、カツンと金属のようなものが当たった。  ハッと顔をあげた酒田が見たのは── 「似合ってるよな?」  ──八万ロックの鍵付きネックガード  使い所がなくて、結局、部屋に飾ると言っていた。慶介のお気に入りのネックガードが、慶介の首にあった。  酒田は滂沱の涙を流した。  似合ってるなんてもんじゃない。それこそが、慶介の首を飾るに相応しい。  後悔が吹き飛んだ。しでかした罪は消えないとわかっているけど、全ての失態を帳消しにしてもらったかのような感覚になった。  神に感謝した。慶介の強い意志に畏敬の念すら覚える。あの状況から、どうやってもう一つのネックガードをつける事が出来たのか想像もできない。  そもそも、何を思って鍵付きネックガードをカバンに潜ませていたのか。気まぐれか、または虫の知らせ。もしかすると神のお告げかもしれない。でも、なんでも良い、とにかく奇跡だ。  いや、むしろ八万ロックのネックガードこそが慶介の強靭なる意志によるものなのかもしれない。  酒田は、反省の心を突き破り歓喜するアルファの本能で気づく。  たとえ情事の後の匂いがしても、気怠げな表情をしていても、胸元に執着の痕が無数にあっても、慶介の身体からは濃厚な誘惑フェロモンが漂い、酒田の鼻に届いている。  それはすなわち、項が噛まれていないことを表す。  気崩れた襟元から覗く噛み跡も、項だけは踏み荒らされることなく守られ、新雪のように輝いて見える。  誰のものでもない項がこんなに嬉しい。  生きてさえくれれば良いなんて思ってなかったのだと、その項が守られていた事が最上の意味を持っているのだと。  ──慶介が自分で守った項。  酒田は涙をぬぐい、おもむろにポケットにあった物を慶介に差し出した。  手のひらでキラリと光る銀色のそれは、真実、慶介から託された信頼の証。  ネックガードの鍵。 「慶介・・・。俺と、番になってください」 ***

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