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第2話

 涼風学園、入学式当日。  桜のピンクに心躍らせながら歩く。やがて創立者の胸像の前まで来ると、その先にずっと会いたかった顔が見えた。浅葱色のチームトレーナーに白のゲーパン姿で両手を広げている。 「晴樹!」  駆け出し、晴樹の胸に全力で飛び込む。 「入学おめでとう、凌」 「ありがとぉぉ!」  見上げると、ツーブロックの黒髪がさらりと揺れた。胸囲が昔と全然違う。遠くから見るとシュッとしていたのに、抱きついたら意外と逞しくて驚いた。 「朝練?」 「そ、ちょっと抜けてきた」 「いいなぁ〜、僕も早く部活行きたい」 「なら、午後の練習に来いよ」 「え、いいの?」 「大丈夫なはずだけど、まだ体験入部期間だから制限はあるかもな」  並んでゆっくりと歩く。  入学式は第一体育館、今日のバレーボールは第二体育館でやっているらしい。なんと学園内には第三体育館まであるそうで、さすがは私立と感動した。  お互い、積もる話が止まらなかったが、あっという間に目的地へ到着してしまった。これから話す機会はたくさんあるだろうと、気にせず話を切り上げ別れを告げる。 「また後でな」  晴樹もそう言って二、三歩歩いたが、あっと声を漏らしてすぐに振り向いた。 「そうそう、晴樹じゃなくて晴樹さん、な?」 「え、さん付け? 今更?」  小学生の頃から晴樹と呼んでいるのに、今更でちょっと複雑だ。礼儀としてはそうなんだろうけど、壁が出来たようで少し切ない。  そんな気持ちが顔に出てしまったのか、僕の顔を見た晴樹が吹き出した。 「2人きりの時は今まで通りでいいから、な?」 「分かった」  溢れんばかりの笑顔で、僕の髪をぐしゃぐしゃと撫でる。そしてバイバイと小さく手を振ると、晴樹は第二体育館への階段を颯爽と駆け上がっていった。  晴樹が消えていった方角を見つめて、足を止めた女子達がキャーキャーと騒ぐ。僕はなんだか誇らしい気持ちになり、ニヤついた。  晴樹はかっこいい。清潔感と誠実さ、それが見た目にも現れた優しい顔立ちは、芸術レベルに整っている。すらりと背が高く、スポーツマンというよりかはモデルのようなスタイルをしているが、さっき触れた感じだと脱いだら多分凄い。  晴樹は確かに見た目が良い。でも、真の魅力は中身だ。晴樹はαであることに胡座をかかず努力する人だ。だからこそ尊敬しているし大好きな先輩なのだ。そんな晴樹と同じコートに立つため、僕は僕だけの武器を磨き、勝負していこうと思う。  深呼吸をひとつ。そして、入学式の会場へ足を踏み入れた。 ***  体験入部期間は17時までしか練習に参加させてもらえないらしい。仕方がないので、僕は寮で片付けを済ませた。  食堂で夕飯を食べて、軽くランニングをして、風呂に入って、ベッドに寝転がってなんとなくトス練習をしていた時、ドアがノックされた。はーいと軽い返事をしつつドアを開けると、そこには晴樹が立っていた。 「あれ? 部屋番号教えたっけ?」 「いや、結衣さんから聞いた」  結衣さんというのは僕の母の名前だ。  入学が決まった時、母は晴樹のお母さんに何度も会いに行っていた。そういえば晴樹くんにもよく頼んでおいたから〜とかなんとか言っていた気がする。 「入っていいか?」 「もちろん」  身体の向きを変えて、中に招き入れる。迷わずベッドに腰をおろした晴樹からトントンと優しく促され、僕も隣に座った。  寮の部屋はシングルベッドと小さな冷蔵庫が1つずつあるだけ、とても簡素だ。テーブルはベッド脇から引き出してベッドの上で使用するスタイルで、その空間の無駄のなさに驚いた。まるで蜂の巣、とにかく狭い。ベッドに座ると、目の前はもう壁だ。毎朝何もない壁を見つめるのも何だと思い、写真を何枚か貼っていた。 「懐かしいな」  壁に貼られた写真を、長い指先がそっとなぞる。 「これ、俺の引退試合?」 「うん」  晴樹が小学6年、僕が4年だった。ピンチサーバーの経験は何度かあったけど、スタメンで一緒に戦えたのはこの試合だけだった。レギュラーの1人が前日に骨折してしまい、急遽僕が試合に出て、めちゃくちゃ足を引っ張った苦い思い出。 「ずっと晴樹と一緒のコートでバレーしたかったから嬉しくて、でも僕はこの時何も出来なくて……」 「ちびっこが6年に混ざってあれだけやれたんだから、立派だったよ」  晴樹は当時もたくさん褒めてくれたけれど、僕は素直に受け取れなかった。 「ううん全然ダメだった、だからあの悔しさを思い出すためにこれを貼ってる」 「そっか」  賞状を持って微笑む晴樹と、目が笑っていない僕。この写真を見ると、僕はいつだって初心にかえることが出来た。  あの日、晴樹のおかげで優勝はできたけれど、反省点が多すぎて帰って泣いた。思い出すと今でも胸がぎゅっとなる。 「俺、この頃からずっと、凌は上手くなるって確信してた」 「本当?」  晴樹が大きな手で、僕の頭を撫でる。相変わらずの子供扱いだけど嫌じゃなかった。 「だからまた、一緒に頑張ろうな」 「うん、一緒にやれるのはこの1年だけだし、僕は今年、絶対レギュラーになる!」 「その意気だ」  また一緒にコートに立ちたい。そして今度こそ晴樹の、チームの役に立ちたい。晴樹が最高のスパイクを打てるように、僕も最高のレシーブで繋げたいと思った。  と、バレーボールの話をしていたらバレーボールがしたくなってきた。ちょっとだけ外でパス練しない?って誘おうかと思い口を開きかけたところで、はたと気がつく。 「そういえば、何か用?」 「うん、なるべく早く話しておきたい事があって」  晴樹が両手の指を絡めて、自身の膝の上に置く。腕も長けりゃ指も長い、飛ばなくてもブロック出来るんだろうなーとか思いながら眺めていると、晴樹は真面目な顔で口を開いた。 「……ごめん」 「何が?」 「母親経由で凌の個人情報を……その、Ωのこと、凌の許可なく知っちゃってさ」 「別に、晴樹になら知られても平気だけど」  そうか、と呟く晴樹。  事情を知っている人が身近にいた方が安心だと母は考えたのだろう。学校に提出する書類は「Ωであることを公言しない」にチェックして提出したというのに。  公言しない、つまりΩである事を隠して通うことも可能だが、その場合はΩであることが原因の事件を起こせば一発アウト、自分が被害者だったとしても退学となる。  公言する場合は、学校側から可能な限りの配慮を受けることが出来るし、万が一のことが学園内で起こった場合、なかなか立派な見舞金を受け取ることも出来る。  なら公言した方が良いのかと言うと、そういうわけでもない。公言することで悪いことを考えるαから目をつけられやすくもなるし、少なからずいじめや差別を受けるだろうから、どちらに転んでもΩの人生はハードモードだ。 「本当にΩなのか?」 「一応ね、検査結果はΩだった」 「さっきの自己紹介ではβって言ってたけど」 「だって先入観持たれて試合に出られないとか嫌だし……いつかちゃんと話すからさ、今はΩのことは内緒で」 「もちろん誰にも言わないけど、その……」  躊躇いながら、僕を覗きこむ。 「発情期とか大丈夫なのか?」 「分かんない」 「分からないって、抑制剤は?」 「飲んでないよ」 「え、飲んでないのか?」 「うん、だってまだ発情期になったことないし」 「まだ!?」  中学生の頃に経験するΩが多いらしいから、晴樹が驚くのも無理はない。 「僕、毎日ハードな運動してるし、発情期なんて来る暇ないんだと思うよ」 「そういうものじゃないだろ」  晴樹は呆れたように眉を下げる。 「でも、恋愛とかも興味ないし、来る気がしない」 「危険すぎる……」 「お守り的な薬も常に持ち歩いてるし、多分何とかなるよ」 「凌、発情期をなめるな」  なぜか晴樹は静かに怒り始めていた。  こわい顔をされても困る。来たらダッシュで薬を飲んで、あとはその時に病院なり何なりに相談すれば良いだけの話ではないのか。  そもそも発情期なんて来なくていいと思っているし、来る気配もない。今はそんな事よりもバレーボールに集中したいと思っていた。 「べ、別になめてないけど、想像つかないし、今やれる事もなくない?」  晴樹が僕の両肩に手を置き、ぐっと力を込めた。正面からじっと見つめられて、その真剣な眼差しに戸惑う。 「いいか、発情期はαとΩ、両方の人生を狂わすかもしれない」 「うん……」 「人に迷惑をかけるかもしれない事なのに、そんな楽観的でどうする」  確かに晴樹の言う通りだった。何も言い返せない。 「でも俺が一番心配なのはな、おまえが傷つくことだ」  切なく響く声に、胸が締め付けられる。  僕がバレーボール以外のことにあまり興味がないのは仕方がないにしても、大切な人に心配をかけてはいけない。もっと自覚するべきだった。 「なぁ凌、ひとつだけ約束してくれ……絶対に、αと2人きりにならないこと」  迫力に押され、首を縦に振る。 「先生も例外じゃないぞ、αは危険だから絶対に2人きりになるなよ」 「わ、分かった、気をつける」  どれくらい見つめ合っただろう。  ゆっくりと表情を和らげた晴樹に、僕は内心で胸を撫で下ろした。 「晴樹は例外でいいんだよね?」  もちろんと言って微笑む。そして、とても優しく温かい手が、僕の頬を撫でた。 「少しでも体調がおかしいと感じたり、何かあれば遠慮せず言えよ」 「うん、ありがとう」  困った時に頼れる人がいるというのは心強い。晴樹がいてくれて本当に良かった。 -----------≪用語解説≫---------- ピンチサーバー:試合中、大事な場面やサーブで点数が欲しい時に、サーブのいい選手と選手交代をする。もしくは点差が開き圧倒的に勝っているような試合で、普段試合に出られない選手を記念に出させてあげるなんて事も。凌の場合は後者。 スタメン:試合開始時の出場選手。 スパイク:相手コートに向けてボールを叩きつけるように打つプレーのこと。 レシーブ:相手からのスパイクやサーブを受け、セッターにボールをかえすプレーのこと。 ブロック:いわゆる壁。両手を上にあげてネットの前で飛ぶ。相手のスパイクの威力を弱めてレシーブしやすくしたり、直接相手コートにボールを落として1点奪ったりするプレーのこと。

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