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第8話
「昨日、晴樹と何を話したの?」
昼食中、勇気を出して聞いてみた。
「別に」
柊斗は短く、そう答えた。
今朝、晴樹にも同じ質問をしたけれど、似たような感じで何も話してはくれなかった。
「あ、いたいた」
1年3人が駆け寄ってくる。この話はここまでかと、諦めて3人の方を向いた。
「はいっ、洗濯じゃんけん」
藤木がじゃんけんのモーションに入る。
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
それを荒木が止めた。
「俺は昨日やったから免除だよね?」
「いや、昨日は昨日、今日は今日っしょ」
荒木の交渉を、藤木がつっぱねる。
「じゃあ改めまして……って、そうだ黒瀬は免除だ」
「柊斗は免除? なんで?」
「監督が呼んでる」
「ならすまん、行くわ」
柊斗は空いた食器を持って立ち上がると、すぐに出ていった。
「じゃあ今度こそ、はい! 洗濯じゃんけん、じゃんけんぽんっ!」
僕はチョキを出しました。
3人はイェーイと騒ぎながら体育館へ走っていった。
***
運動量の激しいレギュラーは、少ない人でもドリンクを1日4リットルは飲む。それだけ汗の量も半端なく、何度もTシャツを着替える。3日分を持参するのは大変なので、Tシャツだけは合宿所での洗濯が可能だ。
マネージャーの山川先輩は別の仕事があり、洗濯は1年の仕事となった。昨日は荒木で、今日は僕だ。さっきじゃんけんで負けた。
のどかな景色の中、鳥と洗濯機のさえずりを聴きながら、黙々と干す。
……干しても干しても、Tシャツがなくならない。
「あ、これ」
ふと、手にとったのはJVCの記念Tシャツだった。涼風は、去年は惜しくも逃したけれど、その前年は全国の舞台へ行っている。当時晴樹はスタメンで、その試合はリアルタイムで動画配信され、クラブチームのみんなで応援した。
憧れのJVC。僕もJVCの会場で試合がしたい。いつか必ず、いや、今年必ず!
僕はTシャツを広げてニヤニヤと眺めながら、JVCに出る自分を妄想した。
「俺のTシャツがどうかした?」
心臓が跳ねる。勢いよく振り返ると、目の前に晴樹がいた。
「いや、あの、JVCだな〜って、はは…ってか晴樹、試合は?」
慌ててハンガーにかけて干す。
Tシャツの群れはとてもカラフルで、陽の光を浴びてのびのびとはためいていた。
「主催チームの保護者さんから差し入れがあって、休憩になったから凌を呼びに来た」
「そ、そっか、ありがと」
僕は籠を邪魔にならない場所へ移動させると、軽く伸びをした。
「ねぇ凌、Tシャツだけじゃなくて、その中身にも興味を持ってくれないか」
「えっ」
一瞬、固まる。
晴樹は距離を詰めると、僕の髪に触れた。
「ちょっといいか」
「いいけど、何?」
「ここはαが多すぎるから、虫除けだ」
晴樹の両手が髪から下へ、するすると移動する。やがて腰にたどり着くと、僕のことを思いっきり抱き上げた。
「わっ! ちょっ、晴樹!」
そのままグルグルとまわる。
僕は晴樹ほど三半規管が強くない。手加減してもらわないと吐く。
「ねぇ晴樹、おろして!」
晴樹が笑う。昔と変わらない笑顔だ。僕はこの顔が、声が、大好きだった。もちろん今でも好きだ。
でも、晴樹の僕に対する想い、時々見え隠れするそれに、少し困ってしまうのは何故だろう。分からなかった。
***
差し入れはドーナツと地元の銘菓だった。
「これ、指導者に持っていくのどうする?」
「またじゃんけん?」
藤木と荒木が話しているのが聞こえたので、僕が手を挙げた。
「まだ洗濯物干し終わってないから、戻る途中で渡すよ」
「いいの? じゃあよろしく」
「ありがとな!」
袋を受け取ると、僕はドーナツを食べながら指導者達の休憩室へ向かった。
休憩室は、体育館のすぐ隣にある。その裏をしばらく先に進めば洗濯コーナーだ。
「Ωは筋肉もあまりつかないですし、背も低いですからね」
開いた窓から声が漏れている。Ωという言葉に反応し、僕は足を止めた。
「番探しの入部だろうしなぁ」
「でも意外とやる気の高い子ですよ? そこそこ上手いですし」
監督と顧問の声だった。
これは僕のことかもしれない。1つ1つの言葉が、頭の中で響く。
「上級生とも、この短期間であれだけ打ち解けて、凄いと思いますよ」
「そこはやっぱあれだろ、Ωは甘えるのが上手いというか、誘うのは得意なんだろ」
「まぁ、向坂以外はみんなαですしね」
「フェロモンにやられてる部分はあるんじゃねぇか?」
世間がΩをどう思っているか、どういう扱いなのか、分かっているつもりだった。それでも、いざ目の当たりにすると少なからずショックだった。
「部員である以上、使ってやりたいとは思っているがな、大事な時期に発情されても困るし、悪く言えば邪魔だわな」
「αは抗えませんしね」
「あいつら自分でフェロモン撒いたくせに被害者面するからなぁ、たまったもんじゃないよ」
「監督、分かりますけど、それ今の時代はNGな発言ですよ」
視界がにじむ。
でも泣かない。他人の何倍も努力しなくちゃいけない事なんて、初めから分かっていた事だ。今更傷つくなんて、そんな暇があるなら筋トレの1つでもして強くなるべきだ。だから泣かない。
「誰かに噛まれてくれたら、少しは扱いやすくなりますけどね」
「まぁ確かにな」
頭では分かっていても、胸の奥がざわざわと苦しくて、立っていられなかった。
思わず1歩後ずさる。と、誰かにぶつかった。
「大丈夫か?」
「あ、すみませ……」
慌てて振り返り、謝る。よろけた僕を受け止めてくれたのは柊斗だった。
「これ、指導者にって言われたんだけど」
柊斗は手に持った2本のペットボトルを軽く持ち上げた。コーヒーだった。
「なら僕が渡しておくよ、ほらドーナツも渡さなきゃだし」
僕も掲げて見せる。
「いや監督に話あるし、オレから渡すわ」
が、柊斗は僕の差し入れ袋を静かに奪った。気を遣われたのかもしれない。
「ねぇ、いつから僕の後ろにいたの?」
「ついさっきだけど」
「監督達の話、聞こえた?」
「いや、聞いてない」
「本当?」
「え、おまえ盗み聞きしてたわけ?」
言葉に詰まる。
柊斗はさほど気にする様子もなく、歩き始めた。
「ってかおまえ、その匂い……」
柊斗が足を止めて、振り返る。
「匂い?」
「いや、何でもねぇ」
何かを言いかけて、やめた。
『番探しの入部だろうしなぁ』
『誘うのは得意なんだろ』
『大事な時期に発情されても困るし、悪く言えば邪魔だわな』
『自分でフェロモン撒いたくせに被害者面するからなぁ』
監督の言葉が、頭の中でずっと繰り返されている。
僕はチームにとって、Ωという爆弾でしかないのだろうか。一緒に全国を目指したいというのは、迷惑な事でしかないのだろうか。Ωは大人しく……Ωだから……Ωは……。
苦しかった。
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