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第8.5話 ※柊斗目線
オレの両親はαだ。父方はバリバリのα家系だが、母方はβ家系。βの両親からαが生まれる確率は1%もない。つまり、母はその1%を引き当てた奇跡のαであり、そんなレアな母のことを、アスリートの父が勝利の女神さまだと惚れ込んで……いや、ゲン担ぎで? とにかく気に入って、それで結婚したのだと聞いている。
オレには兄が1人いる。名前は翔(かける)だ。オレの名前が柊斗(しゅうと)、つまりカケルとシュート。お分かりいただけただろうか、父はプロサッカー選手だ。
そんなわけで、物心ついた時からボールは友達だ。父の所属するチームの下部組織であるクラブチームには、幼稚園の頃から顔を出していた。
当然、2つ上の兄は先にサッカーを始めていた。
兄は十分天才だった。6歳の子供がこんな足技をみせるのかと話題にもなったほどだ。だが、兄が1年かけて習得したそれを、オレは3日もかからずに披露してしまった。
兄は十分天才だった。学業も常にトップだった。憧れの、きっとαであろう兄だった。
家族が壊れた日、それは兄の性別検査の結果が出た日だ。兄は「β」だった。周囲の兄に対する態度はガラリと変わった。
βだと判明する前までの兄は、寝る間を惜しんで勉強をしていた。眠くないのかと問えば、楽しくてついと笑っていた。兄は必死だったのだろう。自分はαだと信じたい、αでありたいと。
オレが「α」だと分かった日から今日までの間に、兄はいくつかの言葉をオレに投げかけている。
「俺、もう頑張らない……βの努力なんて、無意味だ」
怒り、哀しみ、そして諦めが渦巻く瞳。オレはただ黙って兄の言葉を聞いた。
「自分より劣る兄を眺めて、優越感に浸りながら生きればいいさ」
時々、自嘲気味に笑う。
「他人を踏み躙って、馬鹿にして、富を独占して、どれだけ偉いんだよα様はよぉぉ!」
そして時々、暴れて家中のものを壊した。
兄は人一倍努力できる人だった。βだとか気にせず生きれば必ず成功したと思うし、オレにとっては自慢の兄だった。だが、兄を理解できる人間は、この家の中にはいなかった。父も母もオレもαであり、βである彼の苦悩が分からなかった。
兄は壊れてしまった。
***
母は美しい人だった。
過去形なのは、もうこの世にいないから。オレが中学2年の秋に、38歳の若さで亡くなった。働きすぎたのだと、オレは思っている。
母の親戚はほぼ全てβであり、大なり小なり母に寄生していた。親兄弟だけではなく、その先までも母が面倒を見る必要があったのだろうか。その事で父とはよく喧嘩をしていた。
αは金を稼ぐ。母のことを金づるとしか思わない親戚達にはウンザリだった。母がいなくなったら、次はオレに取り入ろうと必死に擦り寄ってきて……吐き気がした。家でも学校でも、βはそんなヤツばかりだ。αに近づけば甘い汁が吸えると思ってやがる。
「αの甘い汁が吸いたくて必死だな」
「え?」
「もうウンザリなんだよ、どいつもこいつもβはっ……」
高校で、妙に絡んでくるβがいた。名前は牧野凌。小さくて白くて細い。そしてよく笑いよく喋る。女子にはモテないが、同性からはそこそこ好かれるタイプだ。
初めて会ったのは体験入部の時だった。その姿を視界に捉えた瞬間、オレは吐き気を覚えた。だが、今になって思えば、あれはいつもの汚いβに感じる吐き気ではなく、どちらかといえば緊張しすぎた時の感じに近いものだった。そして、とても眩しかったのを覚えている。なぜか少し、胸が苦しかった。
そいつはオレに尋ねた。
「βと仲良く出来ないなら、何で涼風に来たんだよ」
オレが涼風に来た理由、それは母が言ったからだ。兄を理解してあげてほしいと。許してやってほしいと。
βは嫌いだが、それでもαとβの距離が近い学園へ通えば、何かが変わるんじゃないかと期待したんだ。結局、登校するまでに少し時間がかかってしまったが、今はあいつのおかげで無事に通えている。
「何でバレーボールしたいって思ったんだよっ! バレーボールはチームスポーツだぞ? 仲間をどれだけ信じて、どれだけ仲間のためにプレーできたかで勝敗が決まるんだぞっ」
バレーボールがどんなスポーツか、なんてどうでも良かった。サッカーじゃなければ何でも。
ただ、なんとなく目についたから体験に行っただけだったのに、あの日あいつと出会って、オレはバレーボールの面白さを知ってしまった。
***
合宿初日の夜、夜空の星を眺めながら、部長と話をした。
「柊斗は番のこと、どう思う?」
番――。
αがΩの項を噛むと番となる。番となったΩは番のα以外を受け付けない。番を解消することができるのは “運命の番” だけだ。この世のどこかにいるとされる、たった1人の運命の相手。それは都市伝説みたいなもので、現実的ではない。つまり捨てられたΩは、もう誰とも愛し合えない。
「呪いっすね」
短く吐き捨てた。
Ωと違ってαは複数の番を持てる。馬鹿らしい、ふざけている。番なんてもの、呪いでしかないだろ。Ωのことを想えば、本気で愛しているなら、噛めないはずだ。
「俺は素敵なことだと思ってる、好きな子を縛りつけて自分だけのものにしたいタイプなんだ」
何が可笑しいのか、ふふっと笑った。
「隠す気ないから言うけど、俺は凌を番にするよ」
「番って、あいつβっすよ」
「βでもΩでも、αで俺より背が高かったとしても、凌がいい」
堂々としたものだ。自信に溢れて、相手の都合はお構いなしで、αそのものだ。こういうヤツは自分と一緒になれば相手も幸せになれると本気で思っている。
物好きなαに目をつけられて、あいつも大変だなと思った。
「俺は嫉妬深いんだ」
「そんな感じっすね」
「柊斗とは良いチームメイトになれると思っているんだが、大丈夫そうか?」
つまり、凌には手を出すなってことだ。オレは一生ひとりで過ごすと決めている。だから迷わず答えた。
「はい」
「そう、良かった」
部長が微笑む。
胸が苦しい。でも、なぜ苦しいのか分からなくて、ぎゅっと目を閉じた。
***
αは嫌いだ、周りを傷つけるから。
βは嫌いだ、弱いから。
Ωは嫌いだ、出会ったところでお互い不幸になるだけだから。
オレは絶対に、誰かを噛むことはない。
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