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第10話
薄暗い部屋で目が覚めた。身体は重たいが、疼きはおさまっている。
枕元のスイッチを押して電気をつける。見慣れた寮の自室、どこに目をやっても昼間の柊斗を思い出してしまい、僕は恥ずかしさで顔が熱くなった。
あれから何度お願いしても、柊斗は一線を越えてはくれなかった。そうこうしているうちに薬が効いてきて眠ってしまったらしい。
柊斗はもういない。代わりに、壁にメモが貼られていた。
《起きたら電話くれ、何時でも気にするな》
どの面下げて電話するのか。迷惑をかけすぎて合わせる顔がないし、恥ずかしすぎて話せない。
でも、助けてもらったお礼は言うべきだ。βだと嘘をついていた事もきちんと説明したいし、謝りたい。
僕はしばらくスマホを見つめていたが、やがて意を決して柊斗に電話をかけた。
「……起きたか」
「あっ、うん」
すぐに繋がった。
待っていてくれたのかもしれないと思うと、胸がどきどきした。
「大丈夫か?」
「もう平気……あの、ごめん」
「別に」
「それから、ありがとう」
「気にすんな」
返事は素っ気ないが、優しい声だった。
何から話せば良いのか分からず、言葉に詰まっていると、柊斗が先に口を開いた。
「おまえ、あれ緊急用の薬なんだって?」
「うん」
「部長がおまえの親から新しい薬を受け取ってくるらしいから、あとは部長に面倒見てもらえよ」
声は優しいのに、突き放されたように感じる。苦しくて、僕はシャツの胸元をぎゅっと握った。
「柊斗、怒ってる?」
「いや別に怒ってねぇよ」
「僕、Ωだって先入観で見られたくなくて、βだって嘘ついて学校通って……それで柊斗に迷惑かけてっ……ごめ、ごめんなさい」
涙が溢れる。
今日は泣いてばかりで、自分が嫌になる。
「それはまぁ、公言すると色々リスクあんだろ? その辺は察してるし大丈夫だから」
「でも、そのせいで今日、僕とあんな……嫌だったんだろ?」
「……嫌じゃねぇよ」
そんな声で言われたら期待してしまう。苦しそうな、切なそうな、そんな声。
柊斗に会いたい。
僕が今会いたいのは柊斗なのに。なぜ晴樹に面倒見てもらえなんて突き放すのだろうか。
「とにかく今は休めよ、じゃあな」
通話が切れる。
僕は小さくうずくまって泣いた。
***
夜も更けた頃、ドアがノックされた。
「柊斗……」
僕はふらつきながら立ち上がり、ドアを開けた。
「大丈夫か?」
「あ……」
だが、そこに立っていたのは晴樹だった。
柊斗じゃなかった。何故かそれがたまらなく悲しくて、思わず涙ぐむ。
「凌、話は柊斗から聞いてる」
晴樹が僕の頭を撫でる。涙がぽろりと溢れた。
「急だけど、部屋を移ろう」
「なんで?」
「だってここ、風呂トイレ共同だろ? フェロモンに反応するβも時々いるから危険だ」
「なら僕、実家に戻るしかないのか」
発情期は1週間程度。ベテランΩなら薬を上手く使ってβだと偽り生活することも可能だろうが、僕は発情期デビューしたばかりで不安定な状況だ。自分に合う薬もまだよく分からず、周期もどうなるか分からない。安定するまでは実家から通うしかないだろう。
実家から涼風は3時間程度。通えないこともないが、部活のことを考えると練習時間がかなり削られるので痛い。
これからJVCに向かってどんどん面白くなる時期なのに、こんなことになるなんて。
悔しくて唇を噛んだ。
「学校に許可はとったから、俺の部屋においで」
「え?」
「事後報告でごめんな」
晴樹が廊下から荷台を引き寄せる。
こんな狭い部屋だ、元々荷物は少ない。全ての荷物を荷台に乗せ終わるのに、そう時間はかからなかった。
***
晴樹の部屋は凄かった。αの寮は豪華だという噂は耳にしていたけれど、想像以上に広い。
まず、リビングと寝室が分かれているし、それぞれ十分な広さがある。もちろんお風呂やトイレも部屋の中にあるし、家具だって重厚感や品格を感じさせるものばかりだ。
白い床に白い壁、カーテンやら何やら白で統一された部屋は、アクセントに碧色が使われていて、涼しげで誠実な印象を受ける。とても晴樹らしい部屋だった。
「座って」
促され、リビングのソファに座ると、晴樹はテーブルの上にカサリと紙袋を置いた。
「これ、結衣さんから預かった」
見慣れた薬局の名前が書かれている。
「抑制剤だ」
中身を確認する。昼間飲んだものとは違う薬のようだった。
「1日1回、時間は何時でも良いけど毎回同じ時間に飲むようにって」
「分かった」
「昼間は何時に飲んだ?」
「1時にはなってなかったと思う」
「なら、次は昼の12時に飲もうか」
晴樹が微笑む。
僕の頬に手を添えると、すりすりと親指の腹で撫でた。
「それにしても、こんなに他のαの匂いをぷんぷんさせて……妬けるな」
胸がどきりと音を立てる。
柊斗と過ごした時間を思い出すだけで、僕の身体は疼いてしまう。
見透かされそうで、思わず目を逸らした。
「柊斗に何かされた?」
「何かって……」
「だって発情期にαとΩが一緒にいて何もないなんてこと、あるか?」
確かに、あった。大人の階段をのぼってしまった。だが、それを細かく報告する気にはならない。事故のようなものとはいえ、振り返るととても大切な思い出のように思えた。大事に胸にしまっておきたい。
「柊斗は薬を飲ませてくれて、それだけだよ」
「本当に?」
試すように僕のことを覗き込んだ晴樹に、平静を装って頷いてみせた。
「そっか、柊斗は意外と紳士なんだな」
晴樹はクスクスと笑いながら立ち上がる。奥の脱衣所の扉を開けて、電気をつけた。
「もう遅いし、お風呂どうぞ」
「晴樹が先でいいよ」
「俺はもう入ったから」
「なら、お言葉に甘えて」
荷物を漁り、着替えを準備する。
晴樹は寝室の方へ歩いていった。ドアに手をかけて、止まる。
「そうそう、ベッドは1つしかないけど、広いから大丈夫だよね」
小学生の頃はよくお互いの家に泊まっていた。その頃は普通に一緒に寝ていたし、なぜ改まって聞くのかと首を傾げつつ、僕は大丈夫と答えた。
なぜ大丈夫だと思ったのか、僕は馬鹿だった。
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