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第12.5話 ※柊斗目線★
あいつからは、いつも甘い香りが漂っていた。砂糖菓子みたいな甘ったるさじゃなく、柔軟剤みたいに人工的でもなく、身体が欲する自然な香り。つい首筋に鼻を寄せてしまう。
オレは最初から、あいつに惹かれていたのかもしれないな……。
***
「これ、お願いできる?」
荒木がコーヒーを2本、恐る恐る差し出した。
「し、指導者のコーヒー、黒瀬さっき洗濯じゃんけん免除だったから、その代わりにって藤木が……」
ちらりと目をやると、藤木が荒木に向かって不満そうに口をパクパクさせていた。
「同じ1年なんだから怖がんなよ」
荒木からコーヒーを受け取る。
「監督と顧問に渡せば良いんだろ?」
コクコクと頷く荒木。オレはすぐに休憩室へ向かった。
休憩室の前には、見慣れた後ろ姿があった。よぉ、と声をかけたが反応がない。窓から聞こえる監督の声、それに聞き入っているみたいだった。
フェロモンがどうのと言っていたからΩの話題で盛り上がっていたんだろうけど、そんな事よりオレは、あいつからプンプン漂うα臭の方が気になった。これはαにしか分からないもので、マーキングに使うフェロモンだ。
オレはその臭いが誰のものかすぐに分かった。
「ってかおまえ、その匂い……」
部長とどういう関係なのか聞こうとして、やめた。
「匂い?」
「いや、何でもねぇ」
聞いたところでオレには関係ない。なるべく考えないようにした。
***
気づけば、あいつと昼食を食べるのが当たり前になっていた。あいつの口から出るのはバレーボールの話ばかり。聞いていて飽きない。
だが、あの日、事件は起きた。
「なんか最近、ちょっとだけ調子が悪いってゆーか……今日、食欲ないかも」
朝から気にはなっていた。いつもの甘い香り、そこに少しだけ違和感があったからだ。
焼肉弁当を食べながらあいつを眺めていると、頭の中でバラバラだったパズルのピースがものすごい勢いで次々とはまっていった。
噛まれた項、監督たちが話していたΩの話、部長のマーキング、番、細くて白い身体、そして、匂い……
オレはあいつの匂いを確かめた。いつもの甘い香りの中に、Ωの発情期特有の匂いを僅かだが感じた。
「おまえ……Ω、か?」
あいつは諦めたように、少しだけ笑った。
「やっぱ合宿の時、聞いてたんだ」
「は? いやだってフェロモンがっ……」
「フェロモン?」
自分がフェロモンを出していることに気がついていない。オレだって首筋で確かめるまで分からなかった。だが、それが濃くなるのは時間の問題だし、巻き込まれたらただでは済まない。
「フェロモンって、なに?……なんで?」
「なんでって発情期だろ、いつもどうしてんだ?」
オレは慌てて荷物をまとめた。
「いつもって……知らないよ、初めてだから」
あいつの目が、とろんとしている。
βの親戚が、自分達に都合の良いΩをオレに送り込んできたことがある。発情期のΩと閉じ込められて……苦い過去を思い出してしまった。
オレはαだ、こいつの近くにいるわけにはいかない。幸い、薬があるということで寮に運んでやった。が、フェロモンの濃くなるスピードが予想以上に早く、部屋に着く頃には気を抜けばもっていかれる状況になっていた。
薬を飲んだか確認すると言い訳をしてキスをして、応急処置なら手でもできたのに口でして、我ながらずるい奴だと思う。胸が痛んだ。あいつはオレを友達だと思ってくれているのに、関係を壊したくないのに。
発情期に判断力は皆無だ。だから必ず後悔する。あの日のΩとオレみたいに。なぜならあいつには、部長がいる。
自分の太腿を殴り、腕を噛み、オレは耐えた。欲しくて欲しくてたまらなかった。触れてくれと泣いて懇願するあいつに、オレだって触れたかったんだ。
でも、出来なかった。
薬が効いて眠ったあいつの頬をそっと撫でる。好きだ。でも自分の気持ちに自信が無かった。発情期のαとΩほど、薄っぺらい関係はないと思っているからだ。
凌のことを考える。
こいつは自分の武器で戦うと言っていた。αとΩでは、体格差もかなりのものだ。それでも、諦めずに挑戦する姿に惹かれた。
バレーボールが好きで、仲間を大切にするヤツで、勉強はできないクセに栄養や筋肉に関しては妙に詳しくて。好きなことは全力で楽しんで、努力も惜しまない。
ずっと一緒に暮らせたら毎日が楽しいだろうな。
だが、叶わぬ夢だ。あいつには部長がいる。部長の執着は多少引っかかるが、多頭飼いを誇るような下衆なαに比べれば遥かにマシだろう。むしろ、悪い人ではない。家柄も良く、αの中でもずば抜けたカリスマ性を持つ人だ、これ以上の相手はいないだろう。第一、本人が慕っている。ジュニアからの付き合いで、大好きな先輩だと言っていた。
オレはメモを残し、部屋を出た。
***
Ωのフェロモンにあてられたオレは、午後の授業も部活も休んだ。
ベッドに倒れ込むと、布が肌に擦れる感覚に、肌がざわつく。目を閉じるとあいつの顔が浮かんだ。蕩けた顔でオレを見る、オレを求める姿がたまらなく愛しかった。
左手を見つめる。そして、あいつに舐められた指にそっと口づけをした。
『ぁっ……んっ……』
脳裏に焼きついて離れない、あいつの艶めかしい声。俺の手は、自然と下へ伸びていた。
勃ちっぱなしのそれを握り、上下に手を動かす。あいつの事を思い浮べると、手が止まらなかった。次第に動きを激しくさせる。やがて全てを吐き出すと、激しい後悔が待っていた。
あいつを汚してしまったような、後味の悪さ。自己嫌悪、そして胸の痛み。
このままじゃダメだ。本当はオレを頼ってほしい、でもオレじゃダメなんだ。
苦しみを必死に誤魔化して、オレはスマホの通話ボタンを押した。
あいつのことを、部長にお願いするために。
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