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第20話
「朝日奈と2点差で負けた、これがどういう意味か分かるか?」
監督が問いかける。
「どちらが勝ってもおかしくない点差……ということは、気持ちや意識、ちょっとしたミス、そういうもので負けたってことですよね」
晴樹は首を縦に振り、悔しさをにじませる声でそう答えた。
今日の地区大会、トーナメントは圧勝だった。が、地区大会の優勝を決めるために行われた各トーナメントの優勝同士の試合には敗れた。
そのため現地解散とはならず、急遽練習するために学校へ戻ってきたのだ。
「晴樹の言う通り、どっちが勝ってもおかしくなかったって、分かってるよな? おまえらもったいない事すんな! こんな負け方で全国を逃したって想像してみ? 後悔せんか?」
もちろん後悔するに決まっている。
僕達が全国へ行くためには、この2点の距離をどこまで詰めて、追い越せるかが課題になるだろう。
握りしめた拳が小刻みに震える。今すぐ練習したくて、ウズウズした。
「流れを変える1点2点が必ずある、どの1点で負けたのか、流れが朝日奈に行っちまったのか、よぉっく考えろ」
ギリギリ拾えなかったあのボール、フォローできなかったあのボール、あと1ミリ頑張れたら……僕があと1秒早く反応できたら、流れが変わっていたかもしれない。
監督の言葉が刺さる。もっと、もっと、練習して強くなりたいと思った。
朝日奈は全国常連校、王者の意地とプライドがある。練習量もウチとは比べものにならないと、監督は言った。
朝日奈の練習はとてもハードだという噂だ。休日は1月1日のみ、平日は毎日21時まで練習している上に朝練もある。体育科の選手なら午後の授業は全てバレーボール、それだけの時間を費やして挑んでくるのだ。
そんな相手に勝ちたいと思うのなら、僕達は、朝日奈以上の熱量でバレーボールと向き合う必要がある。そして、練習時間で勝てないなら、頭を使って勝つしかない。
「朝日奈に勝たなきゃ全国には行けないってことを忘れるなよ」
監督は、怪我にも気をつけろと言葉を付け足すと、ネットの方を指差した。やるぞ、という意味だ。僕は素早くボールカゴを引き寄せる。そして、監督が歩き出すのを合図に、全員が動いた。
***
「つ、疲れた……」
寮のエレベーターホールで、大きなあくびをひとつ。
試合で朝が早かったこともあり、もう眠くて仕方ない。夕飯を食べた後で柊斗と走りに行くという日課も、さすがに今日は無理そうだ。
「寝る前にマッサージをしてあげるよ」
「……変なことする体力ないから」
「分かってるよ」
晴樹が笑いながら僕の肩を揉む。
筋肉を理解している人はマッサージが上手い。こうやって冗談半分で揉まれただけなのに気持ち良くて、眠気が増した。
「あっ!」
エレベーターが開くと同時に思い出す。
「どうした?」
晴樹がエレベーターの扉を手で押さえながら、軽く首を傾げた。
「ごめん、忘れ物したから先行って」
「危ないし、一緒に行くよ」
晴樹が手を離すと、扉はガコンと音を立てて閉じた。
「いやいや体育館に戻るだけだし大丈夫、過保護禁止!」
「何を忘れた?」
「救急バッグ」
「あぁ、それは取りに行かないとマズいか」
救急バッグの補充は1年の仕事だ。今月は僕の当番で、次の遠征に向けて準備をするよう顧問から言われたばっかりなのに、つい更衣室へ置いてきてしまった。
僕がボタンを押すと、またすぐに扉は開いた。
「ダッシュで行ってくるから、先にご飯食べてて」
「いや、待ってるから一緒に食べよう」
「なら先にお風呂入っちゃいなよ」
「わかった、じゃあ気をつけて」
晴樹は躊躇いつつもエレベーターに乗る。僕は扉が閉まるのを見届けてから、今来た道を戻った。
***
更衣室には、まだ灯りがついていた。今日の鍵当番は柊斗のはずだから、一緒に寮へ戻ろうか。そんな風に考えながら扉の前へ来た。
ドアノブを掴もうとした瞬間、扉が開いた。
「あっ、す、すみませんっ」
拓さんと軽くぶつかってしまい、慌てて横へずれる。
「おまえ……」
拓さんは不機嫌そうに僕を見下ろした。
「ちょうどいいや、良い機会だから言わせてもらう」
「なんですか」
「番と一緒に試合に出たいって、部長がお願いしたんだろ? こっちは本気でやってんのによぉ、ふざけんなって話」
「は、晴樹はそんな事しませんっ」
とは言ってみたものの、不安になった。
合宿の時の監督の反応を考えると、急に僕を使ってくれ始めたことに違和感を感じなくもない。僕は実力でレギュラーになったわけではないのかもしれないと、疲れきった身体のせいもあってか、少しだけ自信が揺らいでしまった。
拓さんが後ろ手に扉を閉めると、既に電気の消えている通路は薄暗くなった。窓から入る外灯の明かりがあるので動くのには困らないが、なんだか少し怖い。
「部長を呼び捨てか……部活はデートか?」
「あっ、いえ、ついクセで」
晴樹から呼び捨てはダメだと言われているが、なかなか難しい。聞き流してくれる先輩が多いので甘えていたが、僕の態度が悪いと感じる人もいるのだと思い知った。
「手が届く場所に全国があるのに、こんな時に私情を持ち込んで、それでぶち壊しとか勘弁してくれよ」
「そんなっ……」
「おまえがバレーボール好きなのも、本気で全国目指してるのも分かってる、でもΩだろ? 大人に混ざって子どもがプレーしてるみたいなもんだろ、ぶっちゃけ迷惑じゃん」
なのに何でメンバーは文句言わないのかと、拓さんは僕を見下ろしブツブツ呟いている。
言い返したいけれど、相手は先輩だ。しかも来年も一緒にプレーする仲間だ。拓さんはどうしたら僕を認めてくれるのだろうか。良い言葉が浮かばず、僕は黙るしかなかった。
「先輩が外された理由、オレ分かりますよ」
突然の声に顔を向けると、柊斗が更衣室の扉を足で抑えて立っていた。
部屋の明かりが漏れて、僕達を照らす。
「まだ外されてねぇし!」
「でも外されかけてますよね? 自分でも分かってるからイライラしてるんでしょ」
「……実力で負けたなら文句はねぇよ、汚い真似するからイラついてんだ」
「なら文句ないっしょ、先輩はリベロだからサーブ打たねぇはずなのにサーブ練したり、自由時間にスパイク練したりしてますけど、そういう時間ぜんぶこいつはレシーブ練してますよ」
そう言って僕を指差す。ちらりと拓さんを見ると、拓さんは怒りに唇を震わせていた。
「拓先輩って、リベロしたくてやってる人じゃないっすよね? こいつはリベロしたくてやってるし、チームがリベロに求める課題を理解して練習しているんです」
「俺よりこいつの方が上手いって言いたいのか?」
「拓先輩も上手いですよ、でも多少下手でもそういう態度とか、努力とか、何かが監督に使ってみたいと思わせたんじゃないっすか? こいつが入った方がチームにプラスになるって、オレも感じてますし」
悔しかったら拓先輩ももっと頑張ってくださいと、煽る。
喧嘩は売りたくない、チームワークが乱れるのも嫌だ、でも下手に会話に混ざると状況が悪化しそうで、僕は見守ることしかできなかった。
拓さんは僕達を睨みつけると、無言で立ち去った。
「柊斗、先輩にあんな……言い過ぎだよ」
でも、僕の努力を認めてくれて、あんな風に言ってもらえて、嬉しかった。
「別に、本当の事しか言ってないし」
「でも……」
「あれは拓先輩の問題だ、おまえは監督に指名されてプレーしただけなんだから、堂々としてりゃいいんだよ」
柊斗はあまり気にする様子もなく、壁にあるスイッチに手を伸ばした。電気を消す前に目的を果たさねばと、僕は慌ててその手を掴む。
「あ、ちょっと待っ」
「うわっ」
今日は疲れすぎていてダメだ。拓さんとの事で緊張もあったのかもしれない。足がもつれて、柊斗を押し倒してしまった。床に倒れた柊斗が小さく呻く。
「ご、ごめん」
先に半身を起こした僕は、柊斗が頭を打っていないか心配で、じっと見下ろした。
「柊斗、大丈夫?」
「大丈夫だけど、何でこうなったわけ?」
「えっと、救急バッグをとりたくて……」
「なら口で言えよ」
柊斗も半身を起こす。
「ってか……」
そして、肩をさすりながら、ゆっくりと視線を下げた。つられて僕も、柊斗の視線の先を見る。
なんと僕は、柊斗の膝の上に跨って座っていた。向かい合わせなので恥ずかしさ倍増だ。慌てて立ちあがろうとしたが、柊斗は僕の腰をぐっと抱き、それを阻んだ。
「柊斗、あのっ」
柊斗が僕の首筋に顔を埋める。
「落ち着く匂い……」
ぎゅっと抱きしめられて、胸が苦しくなった。こんな事をされたら、意識せずにいられない。
「は、離してよ」
離してもらわないと困る。この気持ちの封印が、わずか数日で破られてしまうなんてことになったら……僕の封印、しょぼすぎる!
「……ダメだな、オレ」
柊斗が呟く。
「悪ぃ、ほら立てよ」
柊斗の手は、すぐにそっと離れた。
離せと言ったのは自分なのに、こうもあっさりと離されて、寂しく感じてしまう。
僕は入り口脇に置いてあった救急バッグに手を伸ばし、手繰り寄せた。それを持って立ち上がり、後退する。
柊斗が更衣室の電気を消し、扉を閉めるのを、窓にもたれてじっと見つめる。鍵についたプレートがドアノブにあたり、カチャカチャと鳴る音が響いた。
「……帰るぞ」
柊斗が背を向ける。
たった数メートルの距離だけれど、外灯の明かりを頼りに歩くこの暗い通路が、いいなって思えた。さっきは怖いと感じたのに、不思議なものだ。
「ねぇ柊斗」
「ん?」
柊斗が足を止めて、振り返る。
窓からの明かりが柊斗の輪郭を優しく照らす。ふわふわの髪がきらきらと輝いて、なんだか大型犬みたいで愛しくて、僕は無意識で手を伸ばしていた。
「なんだよ」
「なんか、ふわふわで犬みたいだなって思って」
「一応聞くけど、何犬?」
「んー、トイプードル」
雰囲気は大型犬だけど、髪だけ見たらトイプードルだ。
わしゃわしゃと撫でると、柊斗はなんだよそれ、って笑った。
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