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第25話

「夕飯届けにきました」 「ついでにお見舞いでーす!」  隣の部屋から声が聞こえた。知った声だ。  そろそろと歩み寄り、少しだけ扉を開いて覗き見る。  その姿を目にした瞬間、僕は “あぁ、やっぱり柊斗が好きだ” と思った。でも、それと同時に、“僕みたいなヤツが隣に立っちゃダメだ” とも思う。 「柊斗に……那央也まで、大丈夫だって言っただろ? わざわざ来なくても良かったのに」 「だってもう3日も休んでるじゃないっすか! 大丈夫なんすか?」  そう言って、那央也さんが晴樹へお弁当を渡す。 「オレ達の分も持ってきたんで、一緒に食べてもいいですか」  柊斗も別の袋を持っていて、それを軽く掲げてみせた。 「悪いけど、また今度でもいいか?」 「なら、少しだけあいつに挨拶してもいいっすか? 心配なんで」 「やっと眠ったとこだから……心配はありがたいけど、本当に大丈夫だから」 「じゃあ寝顔をちらっと見て帰ります」 「それで起こしちゃったら可哀想だろ?」  晴樹と柊斗が押し問答する。 「あっ! なんだ凌、起きてんじゃん!」  と、那央也さんが僕の覗き見に気付いた。  恐る恐る寝室から出ていくと、晴樹は小さく溜息をつく。 「凌、寝ていないとダメじゃないか」 「えっと、ごめん……」 「で、結局何で休んでんの? 風邪?」  那央也さんが晴樹の横からひょっこり顔を出す。僕が答えるよりも先に、柊斗が口を開いた。 「この部屋、フェロモンやばいっすね」 「あぁ、発情期か! 全然分かんなかった、ってか柊斗は番持ちΩのフェロモン分かんの? 超敏感君じゃーん!」 「凌、薬飲んでねぇの?」  柊斗は那央也さんの言葉を無視して、僕に問いかけた。 「えっと……」 「薬が合わなくてね、飲めてないから……ちょっと察してほしいかな」  僕の言葉を遮って、晴樹が答える。  薬が合わないというのは嘘だ。それを知っている柊斗は眉を顰めた。 「なるほど晴樹さん、ふぅぅぅ!!」  だが事情を知らない那央也さんは、僕と晴樹を囃し立てた。  ちなみに、那央也さんのこのノリは通常運転だ。涼風にはムードメーカーが2人いて、1人は3年のサキさん。サキさんがお笑い系なのに対して、2年の那央也さんはとにかくチャラい。晴樹に向かって指を差し、 “やってんね~” と言える後輩は那央也さんぐらいだろう。 「ま、ま、なら平気っしょ、一緒に夕飯食べましょうよ! 2人の馴れ初めとか聞かせてくださいよー!」  晴樹は仕方ないといった感じでテーブルの椅子を引く。それを合図に柊斗がお弁当を並べて、那央也さんがドリンクを配った。 「食べたらすぐ退散するんで」  那央也さんはそう言ってフタに手をかける。が、柊斗がそれを止めた。 「食べる前に1つだけ、すみません」  真剣な眼差しだった。 「凌にマーキングテストをしたいんですけど、いいですか?」 「マーキングテスト?」  晴樹と那央也さんは、それが何だか分からない、という顔をした。 「マーキングテストというのは、Ωに対してαがマーキングのフェロモンを浴びせるテストのことです」 「それをして何になるんだ?」 「オレが凌の、運命の番かどうかが分かります」  那央也さんが口をあんぐりと開け、目を見開く。晴樹は逆に、何かに堪えるように目をぎゅっと閉じた。 「柊斗は自分が運命の番だと、そう言いたいのか?」 「はい」 「凌は? テストを受けたい?」  急に話を振られて戸惑う。  僕は汚い。ここ数日で、それを痛感した。柊斗は僕を好きだと言ってくれたし、僕も柊斗が好きだ。でも、何もかもが遅すぎたんだと思う。晴樹の僕に対する執着は異常だ。刺激すればするほど、泥沼なんじゃないかと思えた。  つまり、ここで白黒はっきりさせることに何の意味があるんだろう、と、諦めきっていた。 「凌」  柊斗が僕の名前を呼ぶ。優しい声だった。目を見ると、柊斗がゆっくりと頷く。大丈夫だと言われたような気がした。 「テスト……してみようよ」  勇気を出して答えた。  晴樹の唇が震える。僕は小さな声で、ごめんと呟いた。 「那央也先輩、こいつにマーキングしてみてください」 「えっ、俺!?」  那央也さんが焦った顔でキョロキョロと見回す。 「凌はオレに対して拒否反応が出ないんです、だから第3のαの力が必要で……それでちょうどいいので誘いました、すみません」  柊斗が頭を下げると、那央也さんは頭を抱えてしゃがみ込んだ。 「うわぁぁ嵌められたぁぁぁ!」 「本当にすみません……」  那央也さんが何かをブツブツ呟いているが、聞き取れない。 「でも無理はさせたくない。ただでさえ本調子じゃないのに、拒否反応で体調が悪くなるかもしれないし、今日じゃなくても――」 「いえ、もし運命の番だと分かった時は、凌を連れて帰りたいと思ってるんで」  晴樹は反対したけれど、柊斗はそれを却下した。 「そんなっ……」 「もちろん、凌が部長を選ぶなら話は別です、その時は大人しく1人で帰ります」  視線が僕に集まる。 「と……とりあえずテストしてみようよ。那央也さん、よろしくお願いします」  僕は、那央也さんの前に立った。  これを逃したら、晴樹は僕をどこかに隠すんじゃないか、そんな気もしたから――。 「あ、いや、よろしくって……」  頭をかきながら、僕を見下ろす。  制服を着崩し、耳にはピアスを何個もつけて、スポーツマンというよりはバンドマンという雰囲気の彼は、意外と真面目な先輩だ。だから嫌なんだろうなと思う。でも、お願いするしかなかった。 「マーキングってさ、ほら、ちょっとムラムラしないと出来ないじゃん? 先輩の番に向かってそんな……え、いいんすか?」  晴樹がダメだと言いそうだったので、僕が先に答えた。 「大丈夫ですから、よろしくお願いします」 「ムラムラすっかなー凌だしなぁ」  渋々といった感じで、しかもさらりと失礼な事を呟いて、僕をぐいっと抱きしめる。 「え、ちょ、凌これって……わぁ!」  と、僕のパジャマの襟を引っ張った。僕は慌てて胸元を掴み、それを隠す。 「いいじゃん隠すなよ、見せて」  那央也さんが僕の手をどかそうと、手を重ねる。見上げると、すぐそこに那央也さんの整った顔があった。αの人って、どうしてこんなにも綺麗な人が多いのだろうか。中性的な雰囲気が魅力的で、少しだけドキドキした。 「すご、どんだけヤっ……すいません自重します」  キスマークを見られて、かぁっと顔が熱くなる。その間に、那央也さんは僕の髪をかき分けると、首元に顔を埋めた。すりすりと、唇を優しく擦り付ける。 「うっ……」  それは突然やってきた。  やばいとか、まずいとか、何かを感じるより先に、グポッと吐いていた。 「ぎゃぁぁぁ」 「す、すみません……」  那央也さんの悲鳴が響く。何も食べていなかったから、そんなに吐くものは無かったのだが、それでも不快な液体が少しジャケットにかかってしまった。 「あ、洗ってきます! あと、明日クリーニングに出すんで、えっとっ」  薄っすらと残る吐き気に口元をおさえつつ、狼狽える。 「凌、大丈夫だから」  柊斗がジャケットを脱ぎ、那央也さんのものと交換した。 「だから交換したのか、可愛い事言うから俺の事が好きなのかなって思ってたわ」  那央也さんは受け取ったジャケットを羽織る。 「でっ、でも、なら柊斗のジャケットが――」  言い終わらないうちに、柊斗が僕を抱きしめた。僕の首周りにつけられたものを目にして、苦しげな表情を見せる。 「もっと早く、迎えに来るべきだった……」 「ううん、ごめん……僕、あの……」  この部屋で何があったのか、それを伝えるのはつらすぎた。柊斗は言わなくていいと言い、そっと唇を重ねた。 *** 「納得できないなら、病院で検査してもいいですけど、どうします?」  柊斗が晴樹に問いかけると、晴樹は僕たちに背を向けて答えた。 「……凌の好きにしたらいいよ」  沈んだ空気が流れる。 「晴樹……ごめん」  晴樹の肩は震えていた。僕はそれに気づかないふりをして、柊斗と一緒に部屋を出た。

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