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4 16年前の思い出 2
「初めまして、理人君。新庄です」
「…こ、…こんにちは…」
「君のお父さんとお母さんには生前懇意にしていただいた。我が家は子供がいなくてね。ぜひ君を引き取って育てたい」
「新庄さんはすぐにでもお前をお邸に連れて帰りたいそうだ」
「え…っ」
「よかったわねえ、理人ちゃん。優しい方がいらっしゃって」
「お……おじさんちにいくの……?」
「理人君。お金のことや将来のことは私に全て任せてほしい。君はもう何も心配することはないんだよ。私と一緒においで」
新庄に紳士的な微笑みを向けられて、ほんの少しの間、実の父に似た安心感を覚えた。
すると、脩一が俺を抱き寄せて新庄へと叫んだ。
「だめだ! 理人は渡さない!」
「しゅうちゃん…っ」
「理人は俺の弟だ。俺と一緒に暮らすんだ!」
ぎゅっと抱き締めてくる脩一のことが、好きで好きでたまらなかった。
9歳の幼い頭に思慕や恋情の区別はつくはずもない。当時はただこのまま、脩一と離れたくなかった。
「まるで宝物を横盗りされた駄々っ子だな。残念だが、未成年の君では理人君を育てることなんてできないよ。第一、君のご両親の了解は取っているのかい?」
「母さん、いいよね? 理人がうちに来てもいいよね?」
法要の手伝いに来ていた脩一の母親が、複雑な顔をしながら俺を見た。
親戚たちが浮かべている表情と、どこか似ていた。
「ごめんね、理人君。ごめんね……脩一」
「……母さん――。何でいいって言ってくれないんだよ!」
きゅう、と胸が締め付けられる。
両親が仕事で海外に出るたび、脩一の家で面倒をみてもらっていた。そのことと、本当の家族になることとは違うのだ。
「いやだ! 理人と一緒にいる!」
「しゅうちゃん……っ、ぼくも――ぼくも」
俺は脩一を抱き締め返して泣いた。
どうすれば願いは叶うのだろう。どこへも行きたくない。脩一のそばにいたかった。
「いいかげんにしなさい、脩一。みなさんが困ってらっしゃるのよ?」
「母さんなんか嫌いだ! 理人がどうなってもいいのかよ!」
「親戚の方々とよく話し合って決めたことだ。他人の君が口を出すべきではない」
「――他人じゃない……! 俺、理人のことが好きだ。大好きだから! お願い! 連れて行かないで」
「あまり我がままは言わないことだ。子供の君といるよりも、大人の私と暮らす方が理人君にとって幸せなんだよ」
「…っ」
急激に、脩一の体温が冷えていくのが分かった。
新庄の大きな手が脩一と俺を引き離す。幼馴染との別れは、唐突にやってきた。
「しゅうちゃん――」
「理人ぉ……っ」
「ぼくもしゅうちゃんがだいすき」
ずっと泣くのを我慢していた脩一の両目から、つう、と涙が溢れ出す。
願いひとつ叶えられない、俺たちは無力な子供だった。
「さあ、お友達とお別れをしなさい」
ばいばい、の一言が言えなかった。脩一と二度と会えなくなってしまう。
前触れもなくいなくなった両親と、脩一の顔がだぶって見えた。
「しゅうちゃん、これ、あげる」
「理人――?」
「だいじなもの。しゅうちゃんにだけ、あげる」
さよならの代わりに、脩一へ父親の形見の時計を渡した。
母親の時計と同じ時刻に針を止めた、ペアのクォーツ。
俺は、自分の手元に残した母親の時計を握り締めた。脩一と俺の時間も、今ここで止めてしまえば永遠になる気がした。
「乗りなさい。――車を出すよ」
家の前に停まっていたベンツに、俺は振り返らずに乗り込んだ。
父親の時計を手にしたまま、脩一が、どん、どん、とウィンドウを叩いている。
彼に、真っ黒のスモークガラスの中で身を縮めた俺の姿は、きっと見えていなかった。
(ばいばい。しゅうちゃん)
育った家と街をバックに、車が発進する。
隣から肩を抱き寄せてくる人に、俺はもらわれたのだと泣きながら思った。
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