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6 再会
「失礼いたします。新役員をお連れしました」
秘書室内が俄かに緊張した。
着替えたばかりのスーツの襟を正して、外側から回されたドアノブを見詰めた。
「お待ち申し上げておりました。当社代表付きの秘書を務めております、秘書室長の新庄理人と申します」
模範的な角度で頭を下げて新役員を迎える。
受付嬢に案内されてやってきたその人は、整然とした秘書室の床を一歩踏み締めてから、静かに名乗った。
「東亜銀行の紅林脩一だ。よろしく」
ずくん、と俺の左の手首が脈打った。低いその声に導かれるまま、顔を上げる。
「紅林――脩一、さん」
単なる同姓同名ならこんなにも心臓は高鳴らない。
俺の両目に飛び込んできたその人の面差し、武道の空気が漂う涼やかに切り揃えた黒髪、姿勢よく伸びた背中や精悍で逞しい風貌、それら全てが幼馴染の面影とぴたりと重なる。
間違いない。脩一だ。
「あ…あの……っ」
俺の頭の中が白くなる。ここがどこで、自分が何をしているか一瞬忘れた。
しゅうちゃん、と思わず声に出しそうになって、必死で堪えた。
「何か?」
血が上った自分の耳に、彼の声は冷たく響いた。
メインバンクの若きエリートそのものの冴えた眼差しで、脩一は俺を窺っている。記憶の中を探そうともしない、初めて会った人間に対する目だ。
(俺のことを忘れてる……?)
息を飲み込んで感情を押し殺す。
再会の驚きや興奮が、信じたくない現実の前に醒めていった。
「い――いえ。失礼いたしました、紅林役員」
悲しかった。彼が自分を覚えていないことが。
俺は、脩一のことを一日も忘れたことなどなかったのに。
別れの日に、俺のことを抱き締めて泣いてくれた幼馴染。
大切な存在だった彼は、16年の空白とともに赤の他人になっていた。
「新庄社長にご挨拶したい。君、取り次いでくれ」
「かしこまりました、ご案内いたします。こちらへどうぞ」
女性秘書にそう命じて、脩一が俺のすぐ脇を通り過ぎていく。
頭ひとつ分背の高い彼の体を、しなやかに包む上質のスーツ。陽に焼けたその左の手首に、俺が渡した時計はなかった。
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