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7 デパート王と若き役員
大新百貨店に両親が納入業者として関わっていたことを知ったのは、俺が大人になってからのことだ。
新庄家に引き取られてすぐに名字が変わり、神川 理人、という旧名で呼ばれることはなくなった。
寂しさに耐えられなくて、引っ越して三ヶ月も経たないうちに、電車を乗り継いで生まれ育った街へ帰った。
9歳のおぼろげな記憶でようやく辿り着いた生家は、既に更地にされ、駐車場になっていた。追い討ちをかけるように、隣の脩一の家には違う名字の表札がかかっていた。
思い出も脩一との繋がりも、何もかも絶たれた俺を、養父が新庄家に連れ戻した。
親戚に疎まれた俺は、債権者である彼に生家を差し押さえられ、そのまま裸で放り出されてもおかしくなかった。
血縁でもないのに引き取って育ててくれた養父には大きな恩がある。だから彼に「恩返しをしろ」と言われた時、何の疑問もなく頷いた。
20歳になると同時に養父の秘書になり、大新百貨店が事業を拡大するたびに、彼の命令に従って利害の絡む政財界の人間や官僚たちに賄賂を運んだ。
悪いことをしている自覚はあっても、逆らうことはできなかった。
全ては事業のため、裏切らない道具にするために、養父は俺を育てたのかもしれない。
養父には実の父のような愛情も、温かみも感じたことはなかった。社長としての冷徹な背中があっただけだ。
罪の意識に傷付きながら、流砂に埋もれるように生きている実感のない毎日を過ごすうちに、俺は25歳になった。
9歳で止まってしまった人生が、今日、突然の来訪者によって激しく揺さぶられた。
「紅林君。我が社にあなたのようなお若い役員をお迎えできて光栄です」
社長室の革張りのソファに、紅林脩一役員が悠然と体を預けている。
倍以上年齢の離れた相手を前にしても、脩一の威厳や瑞々しい風格は少しも損なわれることがない。
「海外勤務の長かった若輩者ですので、何卒ご指導ください。五番街のダイシン・デパートメントはよく利用していました」
眼光の鋭いその眼差しをどう形容したらいいだろう。
人の上に立つことにまるで躊躇がない、獅子や虎を思わせる覇者の雰囲気だ。
「紅林君は東銀ニューヨーク支店の現地採用とか」
「ええ。そうです」
「よほどの才覚がなければ、そのお若さでメガバンクの支店長は務まらんでしょうな」
「近々29歳になります」
「あちらは極端な成果主義でしょう?」
「同じ銀行でも日本国内の支店とは経営理念が異なり、向こうでは私よりも若い上席官が活躍していますよ。父の仕事の都合でたまたまアメリカで育ちましたが、あの国の合理的な思考傾向は私によく合っているようです」
社交辞令の混じった二人の歓談を聞きながら、テーブルにコーヒーを給仕する。
普段なら俺でなく、部下の秘書に任せる仕事だが、社長室に入室する口実がほしかった。
脩一に忘れられてしまっても、彼の今までの暮らしぶりや、こんなにも堂々とした男性に育った経緯を知りたくて、興味が尽きない。
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