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19 あの頃のまま

「上へ出られるぞ、理人」 「――はい。屋上からの景色はこの日本橋本店の自慢です」  脩一と屋上へ出ると、地上七階の風と、鳥の囀りに迎えられた。  子供向けの遊園地だったそこは、今は土のプラントを敷いて庭園に改築してある。  自然の少ない日本橋の風景に鮮やかな草木の緑が映えている。 「ああ、いいな。空気が違う」 「堂本専務がこちらの店長だった頃、緑化案を出されたそうです」 「あの人は百貨店をよく分かっている。大新に尊敬に価する幹部がいてよかった」  そう言うと、脩一はおもむろに革靴を脱いだ。  瞬く間に裸足になってしまう。 「何をなさってるんですか?」 「芝生の上は、これが一番気持ちがいい」  仕立てのいいスラックスの裾から覗く足の甲。  柔らかい芝生が脩一の両足を受け止めている。 「学校で習っただろ。靴は厳禁だって」 「え?」 「君も脱がせてやる」  長身の背中を屈め、脩一は膝を折った。  俺の靴に彼の両手が触れる。傅かれる格好に戸惑った。 「だ、だめです、紅林さん」  スーツの肩を揺すって脩一を拒む。  掌に感じた隆々とした筋肉の硬さが、俺を黙らせる。 「そのまま掴まっていろ。転ぶぞ」  大人の男に成長した脩一。  いじめっ子から守ってくれた優しさで、靴を脱がせてくれる彼。 「寒いか?」 「う、ううん……っ」  一瞬、敬語を忘れた。  足許から上目遣いで見詰めてきた彼が、子供の頃と同じ無邪気な顔をしていたから。  立ち上がった脩一は、ネクタイを緩めて自分へと右手を伸ばした。 「おいで」  周りに客や従業員は一人もいない。彼の手を、握り返さない理由などなかった。 「失礼します――」 「何だそれは」  ぷ、と笑って、脩一は俺の左手を握った。  彼の指先がほんの少しだけ、腕時計のクリスタルガラスを撫でた。  脩一と手を繋いで庭園を歩く。彼の温もり。懐かしい郷愁が湧いてくる。 (しゅうちゃんだ。子供の頃のままだ)

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