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29 泥濘に囚われて 1

 老舗料亭の畳敷きの廊下を、女将に案内されながら歩く。  左手首の腕時計に、冷たい金属でできた手錠が、かち、かち、と擦れて音を立てた。  その手錠の片方の輪は、黒いアタッシュケースの持ち手へと繋がっている。  通されたのは庭園の見える二間続きの部屋だった。  主室には酒席が設けられ、二名分の杯が用意されている。  一人で来客を待つ間、今日の日付と客の名前、賄賂の金額を手帳に書き込んだ。  記録に残して罪の意識が軽くなる訳はないが、自虐的なその手帳を20歳の入社以来、肌身離さず持っている。  政治家や官僚、5年分の贈賄相手の名前を指でなぞって、俺は手帳を閉じた。  否応なく脩一の顔が脳裏に浮かんでくる。挫けてしまいそうだったから、大きくかぶりを振って、優しい彼の眼差しを消した。 「失礼いたします。小野田様をお連れしました」  女将が滑りのいい襖を開ける。  都市再生機構の理事長は、下座の俺を見付けるとやにわに微笑んだ。 「お待ち申し上げておりました。小野田理事長、本日はご足労いただきましてありがとうございます」  接待はいつも、畳に自分の額を擦り付けることから始まる。  今までなら現金を渡してそれで済んだ。  だが今日は、この体を賄賂にする覚悟をしている。 「堅苦しい挨拶はなしだ」 「…はい」 「君と会えるのを楽しみにしていたよ。前回は邪魔者が多かった。今夜は静かに飲めそうだ」  理事長がつけている大ぶりの指輪が、顎に触れて冷たい。  上向かされると、恥ずかしくてたまらなくなって、睫毛を伏せた。

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