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30 泥濘に囚われて 2
「…ほう。男芸者とはよく言ったものだな」
古めかしい形容で理事長は俺を呼んだ。
今夜は、脩一とグラスを重ねるはずだった。
約束を破った俺の唇に、漆塗りの酒器の吸い口が忍んでくる。
細く湾曲したその管が歯列を割って舌先に触れた。
(もしこれが――脩一の指だったら)
ありもしない想像で胸がざわつく。やめよう。冒涜だ。脩一を侮辱することになる。
あんなにまっすぐで太陽のように眩しい人が、俺のような犯罪者を相手にするはずがないのだ。秘書や補佐以上の存在を脩一は求めていない。
俺は、彼に忘れられた人間だから。
「まずは一献」
日本酒が喉へと流れ込んでくる。ごく、とそれを飲み干した。苦かった。
「――理事長。赤坂の件で社長がぜひともお力添えを賜りたいと申しております」
「他の者から話は聞いている。だが大新百貨店の躍進に歯止めをかけたい人間もいてな。理事会を押さえるのは容易ではない」
理事長の計算が垣間見える。
利害関係を楯にして、立場の弱い俺に揺さぶりをかけている。
「ぜひとも当社をお選びください。赤坂アーバンビレッジに進出させていただいた暁には、理事長に然るべく御礼をご用意させていただきます」
ふふ、と理事長は鼻を鳴らせた。サディスティックな視線が俺へと落ちてくる。
「何卒当社へお引き立てを――。こちらは、ほんのご挨拶代わりの品でございます。お納めください」
手錠を填めたままアタッシュケースを彼へ差し示した。枷の音が耳障りだった。
「鍵がなくては開けられん」
「鎖に通して……服の下に飾ってあります」
「ほほう。それは何の趣向だ」
「理事長。どうかお察しください」
野太い指先が首筋を下りていく。汗ばんだ感触に身震いした。
理事長は上着の中へ手を忍ばせてきて、シャツの上から胸をいやらしく揉んだ。
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