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35 信じたいものはひとつだけ 1

「紅林役員。葛西頭取は、今日のことをどこまでご存知なんですか」 「……何も。小野田理事長に用があると言っていたから、この料亭の離れを押さえただけだ」  脩一は少しだけ間を空けてそう答えた。  沈黙がもっと長かったら、きっと俺は耐え切れなくて、畳に頭を打ち付けていたことだろう。 「では、俺と理事長のことは……」 「会っていたことも知らない。俺と君だけが真実を知っている」  脩一の声は低かった。主室の抑えた明かりのもとで、彼の顔が逆光になった。 「新庄社長さえ、君が贈賄に失敗したことを知らない」 「…紅林さん…っ」 「理人。お前は俺の掌の中だ」  氷の両目が俺を刺す。  ぞっとするほど冴えた脩一の眼差しの前に、為す術がなかった。 「お願いです――。ここで俺がしていたことは、誰にも言わないでください」  秘密を脩一に握られた。  心臓を鷲掴まれたように左胸が痛む。彼にだけは知られたくなかった。 「メインバンクに経営権を取られたら、社長は立場も地位も失います。お願いです。俺の独断で行なったことです。大新百貨店に責任はありません」 「理人。何故あの男を庇う」  脩一の瞳は、さらに冴えを増したように見えた。  俺は自分が何を守りたいのか分からなくなった。 「新庄恒彦がそんなに大事か」 「……父がいなければ、俺は誰にも振り返られることなく、食べるものも着るものもなく死んでいました。あの人に俺は大きな恩があります。――紅林役員、何でもしますから、今夜ことは秘密にしてください」 「恩があるから、体を売ろうとしたのか!」  脩一の激しい怒りに晒されて、ひくん、と俺の喉が鳴った。

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