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3-3 生涯、忘れ得ぬ初対面。
連れられてきた先は、軍隊じゃなくて実験場だった。
金属製の巨大な水槽みたいな講堂で責任者と名乗る眼鏡に白衣の男の話を聞く内に、事態は思わぬ方向へと展開していった。
感染、ゾンビ化、殺戮ショー。
どうやら、俺達は知らぬ間に怪しい薬の実験台にされていたらしい。突然周囲の人々が苦しみ出し、しまいには人喰いの化物と化して他者を襲い始めたものだから、場は空前絶後のパニック状態に陥った。
鍵のかかった逃げ場の無い檻の中を右往左往と逃げ惑う人々の中、俺はただぼんやりと突っ立ったまま、目前で繰り広げられる光景を眺めていた。
不思議と恐怖は無かった。足掻いたところで、どうせ意味は無い。最早諦観の境地だ。だからなのかは知らないけれど、薬に対する拒絶反応すらも俺には無かった。
その内に、ゾンビ化した奴が一体、気まぐれにこっちに寄ってきた。
あ、これは死ぬな、と思った。今から俺はこいつに喰われる。責めてあまり痛くなければいいなとも思ったけれど、それは無理な相談だろう。
ゾンビは目前まで迫ると、ラストスパートとばかりに勢いを付けて飛びかかってきた。赤黒い液体に染まった鋭い刃が、照明を浴びて鈍い光を放つ。その光に、走馬灯らしきものを見た。
あーあ、俺の人生、これで終わりか。終始ろくなものじゃなかったな。まぁ、俺にはお似合いか。
結局、欠けた〝何か〟は見付からなかった。それだけを少し心残りに思っていたら、次の瞬間、信じられない出来事が起きた。
ゾンビと俺の間に、第三者が割り込んで来たのだ。
「え?」
頭二つ分くらいは抜きん出た長身の、ガッチリした筋肉質の男。短い黒髪を後ろに撫で付けたその人は、振り返るや告げた。
「逃げろ!」
苦しげに息を切らせた、余裕の無い表情。薬の拒絶反応か、滝のような汗、血走った目。黒い瞳の奥に、キョトンとした俺が映る。
って、言われたって、どこへ……。この場所に出口は無い。ああ、血が……噛まれてるよ、君。何で俺なんか庇ってんの?
混乱した思考は、一切言葉にならなかった。
その人は牙を受けた腕を振り払うようにして、ゾンビを床に叩き付けた。
だけど傷が広がって、出血が酷くなっている。その臭いを嗅ぎ付けたのか、周囲の他のゾンビ達までが寄ってきた。それらが、容赦なく俺達に襲い掛かる。
今度こそ万事休すかと思ったけれど、結果としてゾンビの牙は俺には届かなかった。黒髪の人がまたも俺を庇ったのだ。こちらに向かってきた奴から順に、果敢に素手で挑みかかる。拳で突き、よろめいたところを脚で蹴り飛ばし、掴まれたら掴み返して引き剥がす。
――凄い。ゾンビ相手に負けてない。
呆気に取られて、瞬きすらも忘れた。
しかし、相手はいくら倒したところで起き上がってくる不死の兵隊だ。それに、多勢に無勢。捌ききれずに、やがては無数の牙が彼を貫いた。
息を呑んだ。
|忽《たちま》ちに全身を鮮血に染めて、その人は吼える。途端、黒瞳がじわりと紅に変じていくのを見た。
ゾンビ達と同じ、赤い瞳――。
直後から、彼の動きに変化が生じた。噛み付くゾンビ達を一体ずつ鷲掴みにし、その肉に指を食い込ませて凄まじい力で引き裂いていく。手足を重点的に、行動不能の肉片に変わるまで、徹底的に破壊する。
人並外れた怪力。薬の……細菌の影響か。
血の雨を降らせながら雄叫びを上げるその人の姿は、凄惨なのに目が離せなくて、まるで猛り狂う男神のようにすら見えた。
そうして、自身に取り付く最後の一体を退けると、彼はゆらりとこちらに振り向いた。瞳はいつの間にか元の黒に戻っている。先程までの苛烈さは鳴りを広め、そこには穏やかな表情が浮かんでいた。
唖然と見上げる俺の顔を覗き込むようにして、彼は一言。
「怪我は無いか」
と、質 した。
……いや、君の方が、よっぽど酷い怪我だよ?
そう思ったけれど、俺は圧倒されてしまい、ただ無言で頷きを返した。
すると、彼はふっと力を抜いて微笑み、
「良かった」
それだけ言って、頽 れるようにその場に倒れ込んだ。
「ッ……ちょっと、君!」
ようやく声が出せた。呼び掛けながら、その人の傍らに膝を着く。彼は瞼を閉ざし、一切の反応を示さない。
容態を確認すると、それは予想通りに酷いものだった。ズタボロに敗れた衣服から覗く素肌には、あちこち噛みちぎられて内部組織が露出している。そこから、どうと鮮血が溢れ出して床に血溜まりを作り始めていた。
脈拍も呼吸も弱々しく、いつ絶えてしまうか頼りない。
――このままじゃ、死んでしまう。
「何で?」
再びその疑問が、今度は口を衝いて出た。
「何でこんなになってまで、俺なんか守ったの?」
意味が分からない。
何の関係もない、たった今初めて会ったばかりの赤の他人だ。そんな相手に、何故自分の生命 を投げ出してまで――。
下心? そんなものでは、ここまで出来ないだろう。
――初めてだ、こんな人。
死なせたくない。反射的に、そう思った。
その時、別のゾンビの一群が、のっそりとこちらに近付いてくる様を捉えた。
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