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4-3 君の手で‪✕‬して。

 夢を見ているようだった。なんて自分に都合の良い夢。  もしかしたら、俺はもう死んでいるのかもしれない。でも、天国になんか行ける筈もないから、やっぱり俺は眠っているのに違いない。  アイちゃんの腕の中で体温を感じながら一頻り落涙した後、俺はそっと身を離した。 「ありがとう、アイちゃん。俺もう、いつ死んでも悔いがないよ」  心の底から幸福に浸って、笑みを零した。だけど、アイちゃんは切なげな表情(かお)をする。 「……そんなことを言うな」 「ん……ごめんね」  だけど、そればかりはどうにもならない。俺の身体は今も細菌が減少し続けている。やがて完全に消滅した時、俺は人間に戻り、そして死体と化すだろう。 「大丈夫だ。お前を独りにはしない」  アイちゃんが俺の肩に手を添えて告げる。俺は複雑な気持ちで頷いた。 「その時が来たら、一緒に逝こう」  新しい約束を交わして、二人、手を繋ぐ。  ――あとどれくらい、こうしていられるだろう。  その内に、アイちゃんが提案した。 「ひとまず、ここは離れた方がいいな。発信機で場所を知られているから、あまりに私の帰りが遅いと追手が来るかもしれない」 「そうだね。とりあえず、着替えが要るよね。軍服目立つし、二人共血まみれだし」 「済まない。私の血だな」 「アイちゃんの所為じゃないよ」  アイちゃんが申し訳なさげに俺の方を見た。アイちゃんの血を受けた胸元。シャツの前が大きく開いたままのそこに痛ましげな視線を向けて……ふと、彼は何かに気が付いた風に表情を変えた。 「アイちゃん? どうかした?」 「……待て、傷痕、消えてないか?」 「え?」  問われて、自身の胸元に目を落とした。そこにはアイちゃんの乾いた血の痕はあるものの、チップを取り出した際の手術痕は綺麗さっぱり消えて無くなっていた。  思わずアイちゃんと顔を見合わせて、二人して思い切り面食らった。 「え、何で? うわ、他の傷も治ってる!」 「どういうことだ?」 「まさか、アイちゃんの血で……?」  考えなかった訳じゃない。細菌の補充をすれば、あるいは……とは。でも、一度破綻しかけたシステムがそんな簡単に再構築されるだなんて思わない。下手をしたら崩壊に拍車をかける可能性だって有り得た。  愕然と紡いだ次の瞬間、アイちゃんに引き寄せられた。唇に熱い感触がぶつかる。噛み付くみたいな唐突な接吻(キス)。驚いて瞠目していると、開いた口唇の隙間からアイちゃんの舌が滑り込んできた。次いで流れてきたものは、とろりと芳醇な果実を思わせる、甘くまろやかな液体――アイちゃんの血の味だ。 「んぅっ……」  背筋を一気に快楽が駆け上った。――美味しい。もっと。もっと、欲しい。  アイちゃんの舌に舌を絡めて、吸い付く。その度に甘い液体が喉奥に注がれていく。  脳髄が痺れて頭がぼんやりする。多幸感が溢れて全身を満たしていく。  吐息を混ぜ合わせ、一つになるように、暫し無心に互いの唇と舌を貪り合った。 「ハァッ……はぁ」  やがて、どちらからともなく交わりを断った。名残を惜しんだ唾液が二人の間に架け橋を作る。互いに荒い呼吸を繰り返しながら、見つめ合った。――その紅の瞳に映る俺の瞳もまた、鮮やかな深紅に揺らめいていた。  身体に力が漲っている。先刻まで死にかけていたのが嘘のように、今なら何だって出来そうだ。  アイちゃんが気怠げに目を細め、掠れた声で囁いた。 「前は、こうやってお前が俺に血を与えてくれたんだったな」 「そうだね。これだと、あの時と真逆だね」  何だかおかしくなって、二人で笑い合った。 「これからは、俺が定期的にお前に血を与えよう。そうすれば、お前の中の細菌が無くなることもないだろう」 「それなら、アイちゃんも死ななくて済むね」 「そういうことだな」 「まさか、殺される予定だった相手に、逆に生かされることになるとはね。あーぁ、こんな方法で良かったなんて。散々悩んだ俺が馬鹿みたいじゃん」 「手遅れになる前に気付いたんだから、結果良しだろう」 「まぁ、そうだけど」  色々思い出すと何だか恥ずかしくなって、俺は片手で額を押さえた。 「本当、大変お騒がせしました」  風が吹く。忘れ去られたコーヒーの香りと共に、ひらり、雪の華が舞い込んだ。それは降り積もり、やがては廃墟の町を白く染め上げていくだろう。  そうして、雪が全て溶ける頃には、また春が来る。あの川沿いの桜並木は、きっと今年も美しい花を咲かせるに違いない。  ――だけど、それを知る者は、もう居ない。 「さあ、そろそろ出るぞ。あまり長居は禁物だ。これから、どこへ向かうか」 「どこへだって行けるよ。君となら」    【完】

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