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第7話 乙女ゲームではない?
実技の時間は、ランニングからだった。実技場の外周を走って、軽くストレッチをしただけで、ロイは疲れた。今までこんなことをしたことがない。筋トレだってしたことがないから、ロイの腹は薄い。
ストレッチをしている時に、ようやく集団の輪から離れたところに、テリーと王子の姿を見つけた。
セドリックがテリーと話をしている。騎士科の中ではこの二人が最高の家格になるのだろうか?もちろん、王子は別格だ。誰もあそこに近づこうとはしない。魔術学科の時は、そんなことをお構い無しに、聖女であるアーシアが積極的に話しかけていたけれど。
打ち込みの練習をする際、実力差がありすぎるため、ロイは教師と組むことになった。もちろん、ロイは基礎なんか知らない。教師が一からロイに基礎を教えてくれた。剣を握ること自体が初めのロイは、しっかりと握ると言うことがよくわからなかった。杖は持ちやすいように握っていたから、しっかりと、と言うのが分からない。杖は手にしっくりとくる感じで握っていた。
カンタンな打ち込みをするだけで、ロイには重労働で、オマケに手が痛かった。
組手の時間、ロイはひたすら見学させられた。経験がないから、動きをひたすら見て、覚えろということらしい。刃が潰された剣であるから、当たっても切れることは無いけれど、金属に違いは無いので、かなり痛そうだ。
金属同士がぶつかり合う独特な音を聞いて、ロイは首を縮こませてしまった。魔力がぶつかり合うのと違って、大変生々しいのだ。
最後に王子とテリーが組手をした時、あまりの激しさにロイは思わずセドリックの後ろに隠れてしまった。つい先日、テリーに抱き抱えられたけれど、テリーは随分と大きい。体の厚みはロイの二倍以上ありそうだ。そんなテリーより見た感じ一回り小さそうに見えるのに、王子はガンガン攻め込んでいく。見た感じ、二人から魔力を感じないから、肉体だけでぶつかり合っているのだろう。一人っ子だから兄弟喧嘩の経験もないロイは、ただ争う姿を見るのも実は怖い。
セドリックの制服を握りしめて、その背中から隠れるようにして見ているだけで、汗がにじみでてきた。魔術学科の実技を見ている時には、こんな風にはならなかった。
打ち合いが終わった後、教師が二人に何やら話をしていて、それを聞く二人の顔が真剣すぎて、ロイには怖かった。おそらく、セドリックは教師の話を聞いているのだろう。頷いているような振動がロイに伝わってくる。ロイはセドリックの制服を掴んだまま、ミシェルを見た。ミシェルも教師の話を聞いていたようで、ロイの顔を見て少しだけ笑ってくれた。
アーシアに言われただけで騎士科に、来てしまった事をロイは後悔した。けれど、魔術学科にいたままだと、アーシアに襲われる。学園を辞める訳にはいかないから、ロイは騎士科にいるのだけれど、なんか違う。
教師が最後に色々話をして、今日の授業は終わった。結局のところ、ロイは基礎体力がないから、宿題として体力作りを、言い渡された。
教師がいなくなっても、誰も帰らない。ロイはセドリックにくっついたまま、周りの様子を伺っていた。周りと違う行動を起こせば、悪目立ちする。とりあえず、セドリックに隠れていれば何とかなりそうな雰囲気を感じているので、ロイはセドリックが動くのを待った。
それなのに、セドリックではなく、王子が行動を起こしてロイの前にやってきた。
「お前がロイ・ウォーエントか」
せっかくセドリックの背中に隠れていたのに、王子がロイの顎を掴んだ。上を向かせられて、王子と目が合った。この間は少し離れたところにいたから、よく見えなかったけれど、王子は見事な金髪碧眼だ。
「………はい」
上を向かされたせいで、返事がしづらい。けれど、しない訳にもいかないので、なんとか返事をすると、王子は満足そうだ。
「レイヴァーンが言っていた、かわいい顔とやらを私も見てみたいものだ」
そんなことを言われて、ロイは驚いてセドリックの制服をさらに強く握りしめた。
「え?なに?」
意味が分からなくて聞き返すようになってしまった。
「テオドールが、お前を可愛がったとき、とても可愛い顔をしていた。と聞いたが?」
王子が、そんなことを言ったので、周りにいた生徒たちがロイの顔に注目する。
「この間見たくせに、なに言ってんの?」
ロイは訝しんで言い返した。
「この間見たのはレイだ。私ではない」
「レイ?」
そういえば、この間、テオドールも、その名前を口にしていた気がする。
「ロイ、お前もしかして」
ずっとロイが隠れるようにしていた背中のセドリックが、振り返るようにしてロイを見た。その顔の眉間にはシワが寄っている。
「お前、私とレイの区別がついていないのか?」
王子が笑いながら言ってきた。
区別、とは?
ロイは分からなくて首を傾げた。
「レイって誰のこと?」
ロイは聞き返した。
テオドールも口にしていた名前だけど、誰の名前なのか知らない。
「お前、そんなことも知らなかったのか……」
セドリックが呆れた顔をロイに向けた。
ロイはなんのことだか分からなくて、ポカンと口を開けてしまった。
「ロイ、こちらの方は第・二・王・子・アレックス様よ」
ミシェルに言われて、ロイはまじまじと目の前の王子の顔を見た。
「第二王子?………えっ?王子って二人いたの?」
ロイの発言で周りの空気が凍りつく。
「ロイ、お前……」
セドリックが絶望的な顔をしていた。
「こんなにも私に興味がないヤツは初めてだ。ロイ、お前は面白いな」
ずっと顎を掴んでいたアレックスの手が、するりと動いてロイの頬を撫でた。
「ひゃあ」
思わず悲鳴のような声を上げて、ロイはセドリックの背中にしがみついた。
「おい、よせ」
ロイは必死に手を伸ばして、セドリックにしがみついたから、セドリックの鳩尾の辺りにちょうどロイの手がきた。
「セドに、随分と懐いているね」
ロイが、セドリックの背中に顔を押し付けるから、アレックスはロイの髪を撫でた。その触り方がなんだか変な感じがして、ロイは余計にセドリックの背中にしがみついた。
「アレックス様、程々にして下さい」
テリーが止めに入って、ようやくアレックスの手がロイから離れた。けれど、ロイはセドリックの背中から離れようとはしなかった。
「まぁ、いい。後で寮の私の部屋においで」
アレックスはそう言い残してテリーと共にいなくなった。
ロイは、セドリックの背中から顔を上げないでいたけれど、さすがにセドリックが、耐えかねてロイの腕を掴んで引き剥がした。
「うわぁん」
セドリックにちょっと引っ張られただけで、ロイの体は簡単に宙に浮いた。そうして、セドリックの前に立たされる。
「お前……バカなのか?」
「え、酷い」
ロイが反論すると、セドリックがロイの頭に鉄拳を落とした。とは言っても形だけの鉄拳だ。
「この国の王子が双子なことぐらい常識だろう」
セドリックに言われた事で、ロイは衝撃を受けた。だって、ロイは本気で知らなかったのだ。子爵なんて下級貴族だから、王子にお目通りするような行事に参列したことなんてない。それに、前世でゲームをしていた時に、そんなこと説明されていない。
(もしかして、右向きと左向きがあったのって?)
ロイはふと、嫌な感じがした。そこまでやり込めていなかったから、隠しルートに入れていないキャラがあったのかもしれない。なにせ、姉の狙いのルートしかプレイしていなかった。今更だけど、記憶にある王子のイラストは、右向きと左向きがあった。
「………知らなかった」
ロイは小さな声で答えた。
「マジかよ」
セドリックが、天を仰いだ。
「ねぇ」
ロイはおずおずと尋ねた。
「双子なのに、どうして第一と、第二って区別するの?」
ロイの疑問には誰も答えてはくれなかった。
それなのに、アレックスに呼ばれたからと、実技の後だから、と、ロイはシャワルームに連れ込まれた。
「えええええええ」
同級生たちは、制服を脱いでシャワーを浴びている。もちろん、男しかいないから平然と裸だ。誰も何も隠そうとはしない。
「アレックス様の部屋に行くのに、シャワーを浴びてないだなんて失礼だろう」
そう言って、セドリックはロイの制服を脱がそうとする。
「待って、待って、待ってってば!」
ロイは慌ててセドリックの手を止める。脱がされるとかないし、脱ぎたくないし、見たくない。
「アレックス様を待たせる訳にはいかないだろう」
セドリックはそう言って、ロイの制服のボタンに手をかける。
「ヤダヤダ、なんで脱がせようとするの?」
「俺が洗ってやる」
平然と、とんでもないことを、セドリックは言う。
「無理無理無理、そんなことしないで」
ロイが逃げるのを、同級生たちは黙って見ている。
「お前、一人でちゃんと洗えるのか?」
完全にロイを子ども扱いしている。
「大丈夫だから、洗うとかじゃなくて、浄化魔法使えるから」
ロイは必死でセドリックを制して、自分に浄化魔法をかけた。それこそ、頭のてっぺんから、つま先まで、制服のシワまで綺麗にした。
「………なんだ、それは」
浄化魔法を、初めて見たのか、セドリックが驚いていた。いや、その場にいた同級生たちもみな、驚いている。
「え?使わないの?」
ロイは、ずっと当たり前に使っていた。確かに、使用範囲は術者の腕しだいではあるので、ここまで全身くまなくできるのは珍しいのかもしれない。
「使わないのではなく、使えないからこうしてシャワーを浴びているんだ」
セドリックに、言われてロイは納得した。確かに、浄化魔法が使えるのなら、騎士科の食堂があんなに汗臭いなんてことにはならないだろう。
「えと、セドリックも、する?」
多分、アレックスの部屋にはセドリックが、案内してくれるのだろう。だから、セドリックも綺麗にしないと一緒には行けない。
「…あ、ああ、頼む」
セドリックの了承を得たので、ロイはセドリックにも全身に、浄化魔法を施した。
「うん、汗くさくないね」
ロイはセドリックの胸元の匂いを嗅いだ。
「バカか、お前は」
セドリックはそう言って、ロイを離した。けれど、ロイの手を繋いで騎士科の寮に向かって歩き出した。
「ねぇ、歩くの早くない?」
コンパスの違いを無視してセドリックが歩くから、ロイは、若干早足だ。これでは、冬だと言うのに汗をかいてしまう。
「…わかった」
セドリックは立ち止まってから、そう言うと、ロイの歩幅に合わせて歩き出した。けれど、少しセドリックが前を歩くのは変わらない。
「王子の、部屋を知ってるの?なんで?」
ロイは疑問に思ったことを口にした。だって、ロイは魔術学科の方にいる王子の部屋なんて知らない。
「大抵、行かなくても知ってるもんだろう」
「そうなの?」
行く必要がないから、ロイは知る必要もないと思っていた。
「騎士科に所属するなら、用がなくても場所や人物は把握しておくことだ」
セドリックに言われ、ロイは頷いた。どうやら、騎士科は呪文を覚える代わりに、場所や人物を、覚える必要があるらしい。
セドリックに連れられて、アレックスの部屋に入った。中には当たり前のようにテリーが立っていた。そして、何故かテオドールまでいた。
(ゲームで見てたイラストに似てる。テリーとテオドールがいたんじゃ、区別つかないじゃん)
アレックスはソファーに座っていて、その両脇にテリーとテオドールが、立っている。なんだかこの間に似ている。
「聞いたよ。騎士科の寮に二人部屋の空きがないから魔術学科の寮に残るんだそうだね」
アレックスがそう言ってきたので、ロイは頷いた。
「お前ほどでは、逆に二人部屋の方が危険な感じがするけどな」
アレックスがそんなことを言ったけれど、ロイには意味が通じない。
「アレックス様、ロイは子爵家ですから、一人部屋は使えないのです」
テオドールがアレックスに、そう告げる。
「だが、魔術学科の寮からでは、騎士科の校舎は遠いだろう?」
アレックスがそんなことを言うので、ロイはすぐに口を開いた。
「別に、問題ないですよ。転移魔法を使えますから」
それを聞いて、テオドールの表情が変わった。
「あなた、長距離の転移魔法を使えるのですか?」
「え?使えるよ。魔術学科の生徒は大抵使えるんじゃないの?」
ロイがそんなことを言うと、テオドールは眉間に皺を寄せた。
「長距離の移動を、誰しもができるわけではありません」
テオドールに、言われてロイは思い出した。言われてみれば、ほとんどの生徒が発動できなかった気がする。卒業までに、教室の、端から端へと移動できるようになれば、合格だと聞いた気もする。
「お前、長距離の転移魔法が使えるのか」
アレックスが身を乗り出してきた。なんだか不味い雰囲気を察したロイは、セドリックの顔を伺った。
セドリックは、黙って首を横に振る。
「えっと、俺、通学に支障はないんで」
ロイはそう言って、ドアに向かって走った。アレックスの部屋は結界が貼ってあるから、魔法が発動しない。ドアが開いたので、ロイは迷わずに開けて廊下に出た。テリーが、追いかけてきたのがわかったので、すぐにロイは転移魔法を発動させた。
「くそっ」
ロイの耳元で、テリーが悪態をついたのが聞こえた。
ロイの転移魔法の発動が、テリーの手より早かったのだ。さすがに二回もテリーに羽交い締めされるのはごめんこうむりたい。
ざっくりと魔術学科の建物をイメージして転移魔法を発動させたから、着地したのが校舎の入口だった。
「ああ、寮じゃなかった」
ちょっと失敗したと思ったけれど、部屋に戻っても、テリーが、追いかけて来ないとは限らない。
ロイは少し休んでから、部屋に帰ろうと思って、ゆっくりと視線を動かした。
「げっ、聖女」
視界の中に、アーシアの姿があった。
「何よ、その言い方は」
唇をとがらせて、アーシアが文句を言う。中身を知らなければ、可愛らしいものだ。
「せっかく逃げてきたのに……」
ロイは思わず愚痴が出てしまった。
「逃げてきた?誰から?」
それを聞き逃さずに、アーシアが食いついてきた。
「え、あ、騎士科の王子」
名前はなんだっただろうか?ロイは考えた。基本、人の名前を覚えるのは苦手だ。そもそも、王子が二人いてびっくりしたのだ。
「え?アレックス様に会えたの?早くない?」
アーシアは嬉しそうに言う。
「え?なんで、知ってるの?」
ロイは不思議に思って聞き返した。
「何言ってるの?アレックス様は、あんたの悪役令息ルートの最難関攻略キャラよ。名前は聞けた?」
「え?うん。名前は聞けたけど?」
今、何か聴き逃してはいけないことを耳にした。
「じゃあ、攻略ルートが開いたんだ!すっごーい、初日でアレックス様を出せるなんて、さすがは悪役令息ね!」
なんだかアーシアの鼻息が荒い気がする。
「ねぇ、さっきっから、意味がわからないんだけど。なに、悪役令息って、ルート?」
途端、アーシアの表情が険しくなった。
「え?、あんたってば、自分の立ち位置分かってないの?悪役令息なのよ、攻略対象者を攻略しなさいよ」
そんなに、凄まれてもロイにはイマイチ理解ができない。意味が分からなくて首をひねっていると、アーシアが教えてくれた。
「ねぇ、ここがゲームの世界だって知ってるわよね?この間説明したと思うけど、あんたは悪役令息で、騎士科を攻略する主人公なの」
「なんで、悪役令息が主人公?」
ロイが聞き返すと、アーシアはわかりやすいぐらいにため息をついた。
「分かってないわね。ねぇ、騎士科には女の子は何人いた?」
「一人」
「でしょう?あんたは男なんだから、相手が一人しかいなかったら、攻略シミュレーションとしてはなんの面白みもないじゃない。いーい?あんたの攻略対象は、婚約者のいる貴族の子息なの。だからあんたは悪役令息って、呼ばれてるの。分かる?」
「へ?」
ロイは思わず間抜けな声を出した。なんだかとんでもないことを言われた。
「乙女ゲームなんて俗称なのよ。シミュレーションゲームの、ジャンル恋愛ってことなの。つまりあんたは貴族の子息と恋愛するの。しかも対象者は全員婚約者がいるの。所謂NTRってやつよね。された方はたまったもんじゃないわよね。だって、相手は下位の子爵子息なんだもん。だから、あんたは悪役令息って呼ばれるのよ」
「ええええええ!!!」
アーシアから説明されて、ようやく理解出来たロイは、ただ驚いた。そして、脱力した。
へなへなと力なく座り込む。
「大丈夫よ、この世界同性婚できるから。しかも、魔力で子ども作れるし」
なんの慰めにもならないことを、アーシアは嬉しそうに教えてくれた。
「ちょっと待って、俺、そんなゲームやりたくない」
「今更無理よ。もうゲームは始まったもの。何かしらのエンディングまで進めなくちゃ……っても、エンディングは卒業式だけどね」
アーシアはそう言って、極上の笑みを浮かべた。
「え?ウソでしょ……」
まだ入学して二ヶ月しか経っていない。一月始まりで、一年は十二ヶ月。しかも学園は四年制だ。恐ろしいほど先は長い。
「お互い頑張りましょうね?」
アーシアが握手を求めて手を差し出してきた。ロイは無意識にその手を取った。
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