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第26話 こんなところでイベント発生?

気を利かせてくれたのか、本心なのか、ロイは疲れているからと言って部屋に帰ってしまった。  完成した剣を、見せない理由は特にない。それに、剣が完成した事を、テオドールに教えたのはエレントだろう。 「こうして歩くのは……」 「……初めて、ですね」  別に手を繋いでいるわけではない。ただ、並んで歩いているだけだ。  けれど、こんなことさえ初めてだった。  許婚と言うのに、並んで歩くことさえしてこなかった。将来は、二人で並んで歩いて行かねばならないというのに。  ほとんど無言のままで、演習場についた。転移魔法がきちんと使えるようになったのだから、飛べばよかったのに、なぜか飛ばなかった。 「ゴーレムをだしてくれないか」  セドリックがそう言うと、エレントは黙って頷いた。エレントは土魔法に長けている。初めから得意だったわけではない。英雄の家系であるセドリックの役に立つ様にと、家庭教師をつけて習わされたのだ。 「いきます」  エレントが演習場の中央にゴーレムを作り出した。素材が演習場の土だから、見た目は脆そうだ。だが、一歩踏み出すごとにセドリックの足元が揺れた。操るのはエレントではあるが、ゴーレムの一撃は容赦がない。人ひとり潰せるほどの土の拳が、セドリックめがけて振り下ろされる。  身体強化をかけて、セドリックはその攻撃をかわし、反撃の体勢をとる。土と火では相性がそこまでよろしくはないが、ダンジョンでキメラを切った時の様に、剣の斬撃に魔力をのせる。  エレントは、操るゴーレムにただセドリックを攻撃するように指示を出しているに過ぎない。だから、ゴーレムの攻撃をかわし、手にする剣に魔力を注ぐセドリックを、エレントは見つめ続けた。  セドリックの剣を構える姿は美しかった。  どうして、自分はこの美しい許婚の姿を見てこなかったのだろう。  セドリックが剣を振り抜くと、その斬撃に乗った魔力が、炎の刃となってゴーレムを両断した。  魔力でもって断ち切られたゴーレムは、瞬時に元の土へと還っていく。そうして、小高い丘を作り上げ、何事もなかったかの様に静かになった。 「素晴らしいです」  エレントは、思わずセドリックに駆け寄って行った。  そうして、セドリックと向き合ってしまったとき、どうしていいのかわからずに、立ち止まった。あるいは、許婚として無邪気に抱きつけばよかったのかもしれない。けれど、長年の肩書きだけの関係故に、エレントはただ立ち尽くした。可愛らしい令嬢ならば、許婚のその首に飛びつくのも許されただろう。けれど年上で、身長も許婚と同じくらいあっては、そんな無邪気な行動は、はばかられたのだ。 「ありがとう」  セドリックは、ただ素直に褒められたことを受け止めた。そうして、エレントと目が合ったので思わず微笑んだ。 「…ぁ、汗が」  目があって、どうしたらいいのかわからなくなったエレントは、目線を逸らした際に目に入ったセドリックの汗が気になった。そうして、思わずポケットからハンカチを取り出した。 「ありがとう」  セドリックが礼を口にしたので、躊躇いつつも額の汗を手にしたハンカチで拭いた。こんなことさえ、許婚であるからこそ許される行為なのだ。  それなのに、なぜしてこなかったのだろう。  学年が違うから、年上だから、そんなことを言い訳にしていたのは自分だ。公爵家として、威厳を振りかざして行動をするような人ではないと知っていたのに、避けていたのはエレントの方だった。 「…今更、ですが……」  何故か喉の奥がひきつるようで、上手く言葉が出てこない。  誠実な許婚は、話し始めた自分の顔をじっと見つめている。 「私は、ずっと英雄を産むことを考えていました。だから、それに相応しい魔力を得ようとしてきました」  言い訳にしか聞こえない、なんともみっともない事を口にしていると思いながらも、エレントは伝えずにはいられなかった。 「親が決めた許婚だと思っていました。政略的なものだから、そこに自分の気持ちはいらないと思っていました。結婚したら産めばいいのだと、そう…考えていました。でも、違ったのですね」  エレントは、セドリックの額の汗を拭いていたハンカチを、握りしめた。 「英雄を産むというのは、生み出す。と言うことだったのですね」  一歩後ろに下がる。  セドリックが、そんなエレントを不思議そうに見ている。 「今更です。私は英雄を生み出せなかった。用無しとなった私は許婚ではなくなるでしょう」  エレントがそんなことを口にしたので、セドリックは実家で母親が言ったことを思い出した。 「それは?」  それは?どういう意味なのか?それはどういうことなのか?問いかける相手は目の前にいる許婚なのか、それとも母親なのか。 「英雄の技を見せていただき、ありがとうございました」  エレントは深々と頭を下げると、去ってしまった。呼び止めることが出来なかったセドリックは、転移魔法を発動させた。こんな胸のしこりを持ったままなのは良くないことだ。  夕食の時間がきて、食堂に生徒たちがあふれ始めた頃、ロイはミシェルを見つけて駆け寄った。 「セドは?」  いつも、唯一の女子生徒であるミシェルの隣には、セドリックが立っていた。それなのに、今日はいない。 「あら、ロイと一緒では無いの?」  ミシェルの方が、驚いた顔して聞き返してきた。 「ううん、夕方には学園に一緒に帰ってきたよ。俺は疲れてたからさっきまで部屋で寝てた」  ミシェルは夕食ののったお盆を持っていたから、空いている席に腰を下ろす。ロイは手ぶらだから、ミシェルのお盆をじっとみた。 「今日は食べられそうだな」  ロイはそう言って夕食を取りに行こうと厨房の方へ目線を向けた。が、食事をする生徒たちの中に、知っている顔を見つけてしまった。 「ねぇ、セドは?どうして一人なの?」  一人黙々と食事をしていたエレントは、突然目の前に現れたロイに驚いた。危うく手にしていたフォークを落としそうになったけれど、口の中のものを飲み込んでから口を開く。 「いえ、私は一人です。セドリックとは演習場で別れました」 「なんで?」  てっきり一緒にいるものだと思っていたから、ロイはただ聞いただけだ。けれど、その質問をロイにされることがエレントには辛かった。 「なぜっ、て……それをあなたが、聞くのですか?」  エレントに睨まれて、ロイはだいぶ驚いた。許婚だと聞いたから、今日はちゃんと邪魔をしないように離れたのに。ゲームの内容は知らないけれど、人の恋路を邪魔すれば、悪役令息として断罪されるに違いない。だから、ロイは極力邪魔をしないようにしたはずなのだが? 「英雄の剣をチラつかせて二人っきりで学園を抜け出したくせに」  驚いているロイに向かって、言葉が飛んできた。  そんな言いがかり、と言い返せないところが辛い。 「二人っきりで演習場も使っていただろう」  また一人、エレントの隣にやってきて、口を開いた。言っていることはほぼ、事実なので否定のしょうがない。 「え?ええ?」  英雄の剣でゲームの必殺技を試したいと浮かれていたロイは、ここが、そっちのゲームの世界では無いことをすっかり忘れていた。ここはこっちの乙女ゲームの世界だったのだ。しかも、何故かロイは男主人公で悪役令息なのだ。  まだ一年も経っていないのに、もう断罪イベント?とかそんな考えが頭の中をグルグルしてしまったロイは、何も言えずに瞬きを繰り返すだけだ。 「あなたが英雄を生み出したのではありませんか。できなかった私は用済みです」  エレントがそんなことを言うから、食堂にいる生徒たちの視線が集まる。  野次馬根性なのか、単なる貴族の道楽とも言える噂好きなだけなのか、エレントの発言を聞いて、いっせいに誰それ構わず口を開いた。  そのせいでうるさくてたまらない。普段は静かな食堂が、急に喧騒に包まれたことで、魔術学科の食堂にいたアーシアは、ようやくイベントが発生したことに気がついた。  人垣の向こうに、体の大きな騎士科の生徒に囲まれたロイが見えた。ロイの腰には柄に魔石のはめ込まれた剣が下がっている。英雄の剣完成イベントが起きたのだ。セドリックの許婚が、涙ながらに剣の完成を喜び、身を引くことを宣言するイベントだ。 「セドリックが、いないじゃない」  このイベントシーンでは、英雄の剣の素材を必死に集めてくれた主人公にセドリックが礼を言い、何もしなかった許婚を咎めるのだ。許婚がいながら他の人と二人っきりで学園を抜け出していたことを糾弾されるけれど、英雄を誕生させたのは主人公だと褒められる。そして、スチル絵が手に入るのだ。  しかし、そのスチル絵の隣にいるべきセドリックがいない。これでは、ロイが糾弾されるだけのイベントになってしまうではないか。 「なんで、いないのよ」  明日は砦のダンジョン攻略に出発するイベントの日だ。その前に、こんなイレギュラーなイベントが起きるなんて聞いていない。何としても、正しいイベントになってもらわないと困る。  アーシアは、セドリックの姿を探した。最悪セドリックでなくてもいい。ロイがこのまま断罪されないように修正をかけられる人物がいれば……  アーシアが必死になって辺りを見渡していると、エレントの静かな声が耳に入ってきた。 「ロイ、あなたが英雄の剣のための素材を集めてくれたと聞きました。それに、剣を作るための工房も、あなたが探してくれたのだと」  エレントが話し始めたことで、ざわついていた生徒たちが急に静かになった。  アーシアは驚いて、エレントを見た。  やはり、そこにセドリックの姿はない。それなのに、エレントはロイに向かって話しかけている。 「私は何もしなかった。ロイエンタール公爵家から見れば、私は役立たずな許婚です。英雄が生まれるための手伝いを何一つ行わなかった。ですから、私は惨めな言葉を言い渡される前に決断をするのです」  エレントの話を聞いて、アーシアは慌てた。そのセリフは今ここで言うセリフではない。そもそもセドリックがいなくては、イベントが成立しない。ロイはこちらのゲームをしたことがないから、正しいイベントが分かっていない。  イベントの進行を妨げようと、アーシアは騎士科の食堂に一歩足を踏み入れた。魔法でもなんでも使って、エレントがこれ以上セリフを言えないようにしなくてはならない。そう思って、アーシアは魔法を繰り出そうとポケットにしまい込んである杖を握りしめた。  と、その時。 「何を決断した?」  セドリックが、まるで魔法の様に現れた。  いや、魔法を使って現れたのだけれども。 「………っ」  驚いたエレントが、一歩後ろに下がった。その弾みで椅子が倒れる。大きな音がしたけれど、セドリックは気にしなかった。 「なぜ勝手に決める?エレント、お前が英雄を産めないと、誰が決めた?まだ何もしていない」  セドリックがエレントの正面に現れたものだから、食堂に居合わせた生徒たちは、その登場の仕方も相まって、熱狂的に騒ぎ立てた。 (これじゃあ、イベントの内容が違ってる)  ロイが糾弾されるのは回避出来たけど、イベントの内容が大幅に変わってしまった。これじゃあ、スチル絵が見られない。 「セド、どこ行ってたんだよ。遅い」  大勢に詰め寄られて、あわや断罪イベントか?と恐怖したロイが、セドリックに抗議した。ロイの言葉を背中で聞きながら、セドリックはさらに一歩、エレントに近付いた。 「まずは話をしよう。色々と誤解があるようだ」  セドリックがそう言って、エレントの手を取ると、ほとんど男しかいないはずの騎士科の食堂に悲鳴が上がった。騒ぎのほぼ中心にいるロイは、慌てて耳を塞ぐ。 「ロイ、あとで、な」  セドリックはそう言うと、転移魔法を発動させて、エレントと共に消えてしまった。  後に残された生徒たちは、急に大人しくなり、また静かに食事を再開した。 「なによ、これ……スチル絵が…」  楽しみにしていたスチル絵が、なんだか違うことになり、アーシアは一人落胆するのだった。 後書き編集

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