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④壊れていく心の自覚
信じられない……。
部屋の隅、体操座りで縮こまって、かけるはそればかりを頭の中繰り返していた。
信じられない。雄大も、伊集院迄が。
信じられない……。
あんな事をされたどちらにも、顔を見合わせて、平気な振りなんて出来る筈もない。会社になんて、行ける訳がなかった。
信じられない。各々にされた行為、告げられた言葉。同じ男、なのに。
初めから最後迄ただ熱く、貪る様に欲望をぶつけてきた雄大。
こちらの反応を楽しむ様に、余裕を感じさせるリードを保っていた伊集院。
男の自分に、あんな事。
好きだとか、愛してるだとか。
信じられ、ない……。
ごつっと頭を壁にぶつける。もう何度も繰り返す仕草。
夢なら、早く醒めろ。悪夢なら、消えちまえ。
痛みが何を紛らわす訳でもない。けれど、痛みなしにはまともでは居られなかった。
何も口にせず、トイレ以外動かずに、一日をただそうしてやり過ごした。気持ちが空のかけるに、夜になった感覚はない。ごつんと頭を壁にぶつけ、信じられない、を繰り返す。壊れた人形の様だった。
ガチャン、と突然静寂が破られた。自身の世界を脅かすのであろう存在の出現に本能的に気付き、はっと背を伸ばす。ゆっくりと向かって来る足音……顔を見たくない張本人の一人がかけるの目の前に現れた。
逃げようにも部屋の隅、防衛本能がかけるを立ち上がらせた。そんなかけるのすぐ前に立ち、かつての親友は口を開いた。
「休むなんて、相当――熱は測ったのか? 何か食ったか?」
心配そうな声も、かけるには煩わしい。触れられそうになった伸ばされた相手の手をばしっと払ってどかし、かけるは低く呟いた。
「鍵置いて、今すぐ出てけ」
雄大は、黙っていた。合鍵なんか渡していた事すら忘れていた程、社会人になってからと言うもの相手がかけるの部屋にやって来る事はなかった。こんな、使って欲しくない時に、簡単に使われてしまうなんて。
今後の為にも、今すぐ回収しておかなければ。
「寄越せ」
動かない相手に、急かす様に手の平を突きつける。口を開いた相手は、ぽつりと言葉を落とした。
「体調が悪い訳では、ない様だな」
ぎっ、とかけるは相手を強く睨む。問題を摩り替えられる訳にはいかない。譲らない態度のかけるに、相手はふっと笑いを一つ見せて。
かけるの前から遠去かり、相手は勝手にそのまま部屋の中央、テーブルの前に腰を下ろした。 居座る気だ、気付いてかっと頭に血が昇るが、衝動的な言葉は相手を有利にしかさせないだろう、と咄嗟に考え、掴み掛かりたい思いをかけるは必死に堪えていた。
座った相手の態度にはかけるの動きを待つ余裕があり、同時にてこでも動かないと告げるふてぶてしさがあった。むかつく腹が、自分の方が部屋を出て行く、と言う斬新な打開策を提案してきたが、携帯や財布がよりにもよって相手の座ったテーブルの片隅に置いてあると言う現実に、それを置きっ放しにして飛び出す案は諦めざるを得ないのだった。
無視をする。残る手段はそれしかなかった。相手を視界の隅にも入れたくないので、かけるは部屋を出た。おい、とか言う声に、追い掛けてくる足音が続く。
廊下に出てすぐで、肩を掴まれ強引に相手の方を向かされた。相手に主導権を持たせる訳にはいかない、怒りと共にかけるはその手を叩く勢いで強く薙ぎ払う。睨むかけるの憎悪にも、けれども相手は怯む様子はないのだ。
逆に、愛しむ様な細めた目――愛してる、だとか散々口にしたあの時を思い出させる様な。
途端に相手を直視する事が出来なくなり、かけるは内心で暴れ出す動揺を悟られまいと、素早くドアノブに手を掛ける。ドアを開けた瞬間かけるの体を押す様に身を割り込ませて、相手はなだれ込む形にかけると自分を室内に入れた。
ガチャッとドアを、その上に鍵迄閉めた相手を、かけるは殴りつけてでもどかそうと、固めた拳を振り上げる。がっしとそれを宙で止め、相手は反対にその腕を捻る様に押さえ込んだ。
顔をしかめて声は呑み込み、無言で相手の首元を狙って蹴りを入れる。それは狙いどおりに相手に打撃を与え、よろけた相手の緩んだ手から掴まれた腕を取り戻し、かけるは更に重さを載せたパンチを相手の顔面に叩き込んだ。
力加減など、する訳もない。正当防衛で通すから殺してもいいだろうと思う程、かけるには憎しみと恨みしかないのだ。
まだ倒れない相手の顔を上げさせる形に、顎を狙って膝を入れる。いい感じに攻撃は決まり、調子を上げようと張り切る意識とは反して、唐突にかけるはふらついた。
昨夜からの体力の消耗、それを補う栄養の摂取をしていない事、が響いたらしい。瞬時のかけるの隙を、相手は逃さなかった。正面から押される様にぶつかられた体に引き倒され、かけるは相手に床に組み敷かれていた。
相手に有利な態勢は、それだけではなく色々な事を思い出させる――先程迄の優勢は逆転し、かけるは必死で腕を足を相手にぶつけ、この状況からの脱却を図ろうとする。押さえ込んだ余裕からか、笑う相手はからかう様な言葉を落とした。
「なかなかに本気の殴る蹴る、だな。危うくオチかけた」
今の体力では相手に敵わない、と一転して考えは冷静にならざるを得なかった。暴れる手足から力を抜き、諦めた様に相手から顔を背けたかけるに気付き、相手の手からも僅かに力が失せた。大人しくしておいて隙をみて反逆するつもりのかけるの作戦に対抗する為だろう、かけるの動く隙間をなくす様に体を密着させて、相手は囁いた。
「どんなにお前に嫌われようと……俺は、どんどんお前が愛しくなる」
始まった、とかけるは全身に走らせたままの緊張は緩めずに思う。相手の顔なんて見たくないから、と最大限にあさっての方に伸ばして張った首筋に、熱い湿った感触が触れた。
びくっと身をすくめる。肌を強く吸い上げて、相手はそこに紅い印をまた残すつもりなのだ。一番分かり易い所有の印を付ける為に。
耐えよう、とした。昨日伊集院にだって散々同じ事をされた。これ位の事で相手は興奮しない、油断はしない。抵抗を企てるのはもっと後で。
考えて、はっとかけるはつぶっていた目を開けた。昨日の伊集院が残したらしいキスマーク。意識したくもないから鏡での確認はしていなかったが、相手はそれを目にしたのだろう。その上で、同じ様な場所に自分も同じ事をしてみせている。
かけるの体の強張りに気付いてか、相手はすっと唇を離し、問いを口に載せた。
「誰に付けさせたんだ? この新しいキスマークは」
相手の声に微かに滲む怒りに気付き、お前が怒る義理がどこにある、とかけるは内心言い返している。かけるからの答えを求めてはいないらしい相手は、すぐに続けた。
「俺への当て付けのつもりか? 会社を休む位、夢中になってるのか? どこの商売女だ」
……何を、言っているのだろう。かけるの腕を押さえ込んだ手を離して、相手はかけるの首筋にその手を触れた。指先が、なぞる様に動く――耐えきれず、かけるは顔を戻して剥き出しの首筋から相手の手が触れるスペースをなくそうとした。自由になった左手で、強く相手を押しのけようとする。
やんわりとその手首はすぐ捕まえられ、相手の優しく見つめる目を見てしまって、かけるの体はまた固まる。唇に触れそうになる程に間近から、相手はかけるに囁いた。
「俺にされた事を消そうとして、女に逃げてるのか? こんなに分かりにくく薄く、でも無数にキスマークをつける女なんて、かたぎの奴じゃない。抱く方は気持ちが良かったか?」
何か、誤解をしている。けれど実際は相手の想像よりも悪い、わざわざ誤解を解く必要はないだろう。言い返す気はなかったが、相手の誤解を有利に使ってやろうと考え、かけるは低く言葉を返した。
「ああ、俺は全うに健全な一男子なんでね。お前に嫌な目に遭わされて、舌噛んで死んじまおうかとまじで悩んでたけど、可愛いくて柔らかい女の子に癒されて生きる意欲が沸いたよ。自分が死ぬかお前を殺すか、どっちもとらずに忘れてやるって打開案で手ぇ打とうとしてやってんだ、さっさと俺の前から消え失せろ。二度とその面、俺の前に見せんじゃねえ」
最後は吐き捨てる様に、最大限に凄む睨みを向ける。僅かに傷付いた様な相手の表情に、もう一押し、とかけるは言葉を探す。そんな隙を奪う様に、相手は――一つもかけるの言葉が響いてなどいなかった相手は、囁きを落とした。
「……さっき言ったとおりだ。お前が何を言おうと、どれだけ嫌がろうと、俺にはお前を手に入れる事しか優先出来ない。俺はお前を愛してる、駈」
――まるで、この間のデジャウ゛の様に。
今回のかけるの抵抗は本気だと、分かっているからだろうか。抗う気を削ぐ様に、暴れる意志を奪う様に、相手はこの間は執拗に繰り返したキスを落とすより先に、真っ先に猛る雄を挿入してきた。
穿がれて、突き上げられ揺さ振られ、お前は俺のものだと繰り返される。余りに野蛮な方法で、完全にかけるの抵抗は封じられてしまった。
それは征服でしかなかった。頭の隅、ほんの僅かにまだ相手を信じたい部分があったのに、完膚なき迄にそれは粉々に砕かれた。相手自身の手によって。
――心が空になるのを、かけるは感じていた。
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