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⑤……聞きたくなかった。

愛してる、とあいつは告げる。何度も、何度も。  それが本当だってんなら。身を起こす気力もなくベッドに沈んだままに、かけるは考えている。もし、それが本当なら。あいつが俺を愛してるってんなら。  こんなに一方的な強姦、する訳がない。どれだけ俺が嫌がっているのか。恥も外聞もなく、俺がどれだけ泣いて懇願してしまっているのか気付いているなら。  奪うだけのセックス。あいつには快感しかないんだろうが、こちらは常に恐怖を痛みを苦痛を叫んでいる。届かない叫びに、しまいに俺が抜け殻みたいに何も反応しなくなる姿を、あいつは毎回見てる筈なのに。  そう迄して、俺を犯したいと思うあいつの本心は何なんだろう。あんなに信頼し合った親友だったのに……。  かけるが会社を休んだ日の夜、押し掛けてきた雄大は夜通しかけるを蹂躙し、翌日自身も会社を休んだ。 「知り合いの医者に捏造して貰ってインフルエンザの診断書を出して貰った。明日会社に提出する。お前は心おきなく一週間休め」。出掛けていて帰って来たと思ったら、何だかそんな事を告げられた。  理解する気もない。伊集院の時から続けて三日、休みなく体を弄ばれ、肉体的精神的共に限界だった。  その日から、日中に死んだ様に眠り、夜、恐らく会社が終わってすぐにやってくる雄大に朝迄抱かれ、を繰り返している。動けないって意味では監禁みたいなもんだな、とかけるはぼんやり思ったりしている。  時計は、もう見ない。思考に何故は入れない。狂わない為の、かけるの精一杯だ。  ガチャッ、と玄関で音がする。悪魔の降臨だ、とかけるは目を閉じる。  足音は、まず台所に向かう。自分が作って行った雑炊を日中かけるが食べたかどうか、確かめる為だ。それから、かけるが身を置く寝室に。  近付く足音、近付く体温、近付く匂い、まず触れる唇――今日はいつもと違う、とついかけるは目を開けてしまった。昨日迄はまず唇が塞がれ、意地でも反応を殺す事を貫こうとして成せずに抵抗を示す迄、しつこく口を貪られた。なのに、今日は。  愛しむ母親の様に、額に軽く口付けただけで。見上げるかけるに返される柔らかな目も、それ迄とは違う。  戸惑いが顔に出ていたのだろう。無言の問いに答える様に、雄大は口を開いた。 「俺は、相当イカれてたらしいな」  自嘲の滲む声。息を殺してかけるは続きを待つ。 「お前が好きだった。それこそ出逢ってからずっとだ。ずっと、思いを抑えてきた。だから、手に入れたくて、お前を自分のものにしたくて必死だった。実際手に入れたら前以上にお前が愛しくなって、もっともっとお前が欲しくなって、……狂ってしまう位、俺はお前が好きなんだ」  内容の割に真剣な口調ではないのが、相手が今正常な理性を保っている事を表している様で、かけるは内心そこに安堵しながら聞いている。懺悔めいた告白は、まだ続けられる。 「お前の事を、考える余裕がなかった。お前が辛い顔しかしてない事も、嫌がる声しか上げてない事も、抵抗を諦めて無気力になってる事も、判っていながらわざと頭から追いやってた。お前が――俺を嫌いになってる事も」  動かない方がいいのだろうか、とかけるは躊躇った。けれど横たわる時間が長い最近、その体勢から長い事相手を見上げる事は予想以上に疲労をもたらし、ゆっくりとかけるは身を起こした。  近付くでもなく手を触れるでもない、そのままの位置の姿勢を保つ雄大の言葉は、まるで呟きだった。 「お前の体だけを手に入れて、俺は浮かれてた。その分、お前の気持ちは俺から離れていってるのにな……」  かけるに、返せる言葉はない。ただ、雄大の目が覚めたらしい、と言う事だけは理解出来、心からの安心に長く静かな息を吐いた。  すっと伸びた手に、手の平を掴まれた。びくっと目を上げたかけるの指先をぎゅっと自分の手の中に包む様に握って、真っ直ぐな目を向けた雄大は囁いた。 「愛してる……お前に伝えたい他の言葉を、俺は知らない。お前を愛してる。なのに、傷付けてる。恨まれる位、酷く傷付けてる筈だ。判ってる。許されないのも、今後信じて貰えない事も、判ってる。だけど――判って欲しいんだ。俺はお前を愛してるんだ」  言葉と視線の重さに、かけるは溜らず目を伏せた。雄大が目を覚ました、様に思えたのは錯覚だったらしい……自分の愛の深さに、相手は酔っている。  自分の過ちに気付いて心からの謝罪をすれば許されるだろうと、無意識に相手は思うのだ。策略でも過信でも狡猾な演技でもなく、恐らく純粋に「愛」を信じるが故に。  悪かった、だが全ては愛情から起こった事なんだ。愛故の過ち、愛するが故の脱線、愛の強さ故の盲目。都合の良い大義名分を傘にきているだけだと、絶対に相手は気付かない。  気付かないから、反省しない。きっと同じ事を、相手は何度も繰り返すのだ。一時の高まる欲望のままに暴走し、ふと我に帰り冷静になった気になり、こちらを説き伏せる絶対的フレーズを連呼し、無意識の服従を強いる。  俺はそれに騙される程馬鹿なつもりじゃない、とかけるは思う。だけど、教祖みたいなそんな相手を捻じ伏せるだけの有効な手段や効果的な言葉を知らない。  そうしてかけるの読みどおり、俯いたかけるを説得出来たと勘違いする雄大はそっとかけるを自分の腕の中に包み、何も言葉を返さないかけるに満足気に囁くのだ。  今からはお前を大事にするから。済まなかった駈、許してくれ。  愛してる……。  ようやくの平和な二日を経て、体力だけは回復していた。会社で責任ある仕事をこなし、自らに課せられた社会的役割を自覚する事は、滅茶苦茶にされた自我を取り戻すのに何より大切な事なのだった。  インフルエンザだと雄大が偽の診断書を提出したお陰で、社内で深くマスクを被るかけるの真意は表情を隠す為だとは、誰も考えない。僅かな間に痩せて、暗い表情しか出来なくなっているかけるにとっては、有難い事だった。  休んでいた間に溜まっていた仕事を丁寧にこなす内、どうにかビジネスライクに、雄大とも伊集院とも最低限の会話をする事が出来ていた。  社員食堂での食事はとれそうにないと見越していたから、買って来ていたパンを手に社外に出る。途中の自販機でコーヒーを買い、公園のベンチで一人のんびりパンをかじった所に、声が降ってきた。 「隣、失礼しますね」  いいですか、も何もない。こちらが断る言葉をはなから遮った、強引な台詞をぶつけてきたそいつは、しかも言葉の最中からもうかけるの隣に腰を下ろしているのだ。  顔も見たくないナンバーツー、伊集院だ。体を反対側に向けて拒絶を表すかけるには構わず、相手は話し掛けてくる。 「インフルエンザって、うそですよね」  何となく、相手がそう言うだろう事の予測はついていた。だからかけるに動揺はなく、相手を無視したままパンをかじる。 「だってあなたがインフルエンザなら、加納センパイにも伝染ってるはずですもんね。加納センパイ、毎日ぴったり定時に会社から出ていってましたから。幸せな一週間だったんでしょうね、毎日愛し愛されて」  怒りに振り向きたくなるのを、かけるは必死に堪えていた。腹に障る相手の台詞は、まだ続いていた。 「加納センパイってば、あなたに夢中なの隠しもできないんですよ。当然僕以外加納センパイの想い人は知らないけど、浮かれてるのみんなにバレバレ。相手は誰だ? って話題で持ちきりですし、あれじゃその内誰かに気づかれ」 「そうなる前に、お前が皆に教えてやったらどうだ」  低く、かけるは口をはさんでいた。面白がる台詞など、もう聞きたくなかった。体を相手に向け鋭く睨み据えながら、かけるは続けた。 「お前が言わないんなら、俺が言ってやる。あいつが一週間、どれだけ俺に苦痛だけを強いたか。それに、お前が俺にした事も。皆の前で恥を晒す事も、俺は辞さない。お前の馬鹿げた軽口を黙らせる為ならな」  ただならぬかけるの怒りに、伊集院は口をつぐんでいた。苛立ちは収まるどころか増幅している、これ以上何を言うか自分でも分からない。素早くかけるは立ち上がった。  咄嗟に後ろに引かれた手を振り払おうとした処を、肩を掴まれがばっと押さえつけられた。嫌悪に体を逃がそうとしたかけるを抑え込む様に、ベンチに座らせる形に伊集院は力を込めてかけるを誘導した。 「バレても構わないんですけどね、僕個人は」  耳元に囁かれた言葉、座らせたかけるから手を離して、一見よろけたかけるを支えてベンチに戻しただけの行為を装おって、にこりと伊集院は笑った。 「けど、加納センパイに殺されます僕。まだちゃんと幸せ知らないのに、死にたくはありませんから。そうなる事態はさけないと」  もう一人とは違う意味でこちらも応えない伊集院に、かけるは舌打ちして顔を背けた。襲われた前科がなければ気付かずにいただろうが、こいつの一見人当たりの良い笑顔の下に、どれ程広く底のない欲望が眠っているか、知ってしまったかけるにはこいつは雄大の数倍も恐ろしい相手なのだった。  こいつの考えは常人には理解出来ない。隠さず思いを口に載せるのに、恐らく心からの言葉なのに、その意味が全く分からない。思考自体が根本から違い過ぎる。  どうしてこんなくどい奴らに限って好かれてるんだ、と頭を抱える気から、かけるは動けずに居たのだ。伊集院の続く言葉を待った訳じゃない。  なのに、立ったままの伊集院はかけるの顔を覗き込む様にして、悪戯っぽい笑顔で尋ねるのだ。 「ねえ、クイズです。僕の幸せってなんだと思います?」  知るか、と無視を決め込もうとして。幾ら目を合わさず答えない意志を顕わにした処で、何故かそこだけは気の長い相手はいつ迄も無言の笑みで待つのだ。……この間が、そうだった。  根を上げて口を開く迄執拗にかけるの唇を攻め、質問に答える迄いつ迄も、何度でも同じ問いを繰り返した。少しでも反応を示したところにはしつこ過ぎる愛撫を加えてきた……。  考えが忘れたい凌辱を呼び覚ましかけて、かけるは思わず焦って目をつぶった。長い間を置いて、ぎゅっとつむんだ唇と目を開けても、変わらず笑んだ相手はかけるの顔を間近から見つめている、やけになってかけるは吐き捨てた。 「俺を手に入れる事、だろ」  自身で口にするのも恥ずかしい台詞だが、精一杯の睨みで誤魔化した。くすっ、と伊集院は柔らかな笑いを落として。 「んー、七十点ですね。惜しいから、ごほうび」  言って、ちゅっと音を立ててかけるの口に唇をつけてきた。慌てて体を逃がすかけるを心底楽しそうに見つめ、無頓着男は正解を告げるのだ。 「加納センパイとラブラブで幸せいっぱい、のあなたを加納センパイごと手に入れること、です」  ――矢張り、意味不明だ。警戒に身構えるかけるを翻弄している自覚はないままに、相手はふわりと笑った。 「じゃあ、僕戻ります。まだ昼飯食べてないんで」  そこはかけるの反応を求めず、言い置いて伊集院は背を向ける。残されたかけるは、ぐったりとベンチに背を預けてしばし放心していた。  ――加納先輩とラブラブで幸せいっぱいのあなたを、加納先輩ごと手に入れることです。  一体、どういう意味なのか。俺を好きなのか、雄大を好きなのか。案外雄大の方が本命で、俺はおまけ、って事なのか?  考えたくない考えに、囚われてしまっている。わざわざ不必要に心を乱される。だから伊集院は恐い、のだ。  畜生……。かけるは歯を喰いしばり、叫びたい言葉を喉元で食い千切る。  てめえらの気持ちなんか、聞きたくねえんだよ!!

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