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⑥戻らない友情

学生時代から、雄大は誰に対しても人当たりが柔らかく平等に優しく、女子の人気が高かった。  来る者は拒まず、去る者は追わず。そんな信条があるのか、相手から付き合ってと言われる度に簡単にOKし、気軽に交際を始めてはじきに別れ、を繰り返していた様だった。  かけるの知る限りでも、短い付き合いを何人と交わしていたのやら。言い寄ってくる女の子すら居ない男子勢からすると、羨ましい限りだった。  自分から誰かを好きになった、と言う言葉を雄大の口から聞いた事はなかった。傍目にも雄大は誰にも夢中になっていない様に見えたから、天性のプレイボーイってやつだよな、とか皆で陰で言い合っていた。  ――今なら、その理由は明らかだ。雄大自身が口にした。  俺を好いていたから、らしい。……かけるは深い考えに沈む。  雄大と自分は周囲も認める大親友だった。何をするにもまずお互いを誘い合った。信頼して何でも晒け出したし、何度も互いの家で飲み明かした。俺には全くの友情、けれどあいつには忍耐と隠蔽が課せられた恋慕。  片鱗も俺に違和感を感じさせずに今迄の友情を築けていたのだ、雄大は何と自制と理性に長けた、演技役者だったんだろう。  だけど、あいつが言う様に長い事抑えてきた反動、なのだろうか。一度解放された欲望はもう隠される事もなく、今あいつは、自分がしたい様に俺を自分の家に連れ込み俺の家に押し入り、隙あらば抱こうと迫り続けている。嫌悪を拒絶を顕わに悪態をついて、必死で本気の暴力で抵抗するから、今の処新たな強姦には到らず済んではいるけれど。  今日は会社で誰だれとやたら親し気に話してたな、そんなあらぬ嫉妬を口にし、お前は俺だけを見ていろ、と真剣に強要を迫る。防ぎきれないキスに応えているつもりはないのに、逃げられないそれを肯定や受容と見なす相手は、幾度もお馴染みの愛してる、を繰り返す。  それで俺を束縛出来る、と信じているらしい。  殺してやりたい位お前が大嫌いだ。そんなかけるの言葉は、却って相手を喜ばせていた。  素直になれないんだな、可愛い奴、……どうやったらそんなイカれた勘違いが出来るのか、感じるめまいに力を失いそうになり、危うく押さえ込まれそうになった態勢からかけるは慌てて逃げる。結構に、もう限界ではあった。  相手のマンションに連れて行かれそうになり、かけるは必死で抵抗して逃げていた。とは言っても、逃げた処で結局相手はかけるの部屋に居座るだけなのだ。明日は会社が休みになる金曜日、今日は最も危険な日だった。  いつもより時間を長く使える。その余裕なのか、雄大はかけるの知らぬ間に勝手に大量の食材で埋めていた冷蔵庫の中から選んだもので、何か手の込んだ料理を作り始めていた。  いつ豹変のスイッチが入るのか、予測がつかない。何気なく返したかけるの言葉の端を、ただ見上げただけのかけるの表情から、勝手に何か憶測しておかしな事に変換させてしまう。見慣れた今迄は頼もしかった顔が、常に欲情を顕わにした、余裕のないものに変化している。それこそ伊集院の言った様に「バレバレ」なのに。  どうやったら逃げる事が出来るんだろう。かけるが考える事はいつもそれだけだ。雄大だけではない、伊集院も面白がる様にわざと雄大の前で、かけるの肩にべたーっと縋る様にしながら今日飲みにいきましょうよー、とか甘えてみせるのだ。  二人から逃げるんなら、会社辞めて本当にどっか別の地域に逃げるしかないよな。溜め息でそう結論付ける。まあ、会社に義理や恩義も地元愛なんかもないし、別に体一つでどこかに飛ぶ事に躊躇も未練もないけど。  雄大が食べ終えた後の食器を洗って傍に居ない間、かけるは気を抜いていられた。その分深く考えに入り込んでいたらしい。不意に聞こえた雄大の何か言う声は、途中から耳に入ってきた。 「……てるらしいな」 「は、何?」  余りに見事に我に返ったもんだから、いつもなら無言で見返す処を、つい反射的に問いを返してしまっていた。珍しくかけるが答えた事を怪しむ様に、腰を降ろしながらに雄大の探る様な目が向けられる。 「伊集院がお前を狙ってるらしいな、って言ったんだ」  じっと無表情で相手を見返していた。本気を冗談で誤魔化せる伊集院の悪ふざけでも、目の曇ったこいつは本質を見抜いてしまうらしい。同類だからか、とかけるは感心していたりしたのだ。 「あいつはいつもお前を見ている。俺には分かる。あれはただの尊敬や信頼を含めて上司を見る目じゃない、いつか襲ってやろうと隙を窺う目だ」  はっ、と思わず蔑みを隠せない笑いを洩らしてしまっていた。そのまま強く射抜く目線を雄大に据えて、かけるは口にしていた。 「じゃあお前と一緒じゃねえの」  ――余りの早さに、防御の姿勢を取る間もなかった。突き飛ばす様に肩を後ろに押されて床に倒された処に、のしかかる様に雄大がまたがってきた。何やら怒りを含んだ仕草、同じく不機嫌な声音で、雄大は言葉を落とした。 「一緒にするな」  そんなに気に障ったのか、そこ迄苛立ちを顕わにする雄大など初めてで、相手の逆鱗に触れて煽る事態を招いてしまった事を今頃反省するかけるは、じっと口をつぐんでいる。  いつもならばとっくに手首を腰を抑え込まれて、奪う様なキスが始められる処なのに。微塵も動かない位、相手の気を害させたらしい事は分かるが。  見下ろしてくる冷静な表情は興味のない相手に向けるそれで、だからかけるはそんな顔をこんなに間近に見た事はなかったのだ。整った顔が示すその表情は余りに排他的で冷俐で、無言にも耐え難く、かけるは相手から顔を反らす。すぐにがしっと乱暴に顎を掴んだ手で、かけるの顔は戻され相手に対峙させられた。  ――思考面から俺を服従させようとしてる。直感の様に、かけるは思った。思いどおりにならない俺の気持ちを、揺さ振るつもりだ。  今迄の理性のない荒さを陰に潜めさせた相手は、かけるの考えを裏付けるが如く、顎を掴んだきつい手をするりと離し、その指を頬に滑らせた。愛しむ態度は無表情だった顔にも広がり、最近見慣れた偽りの優しさを前面に押し出した相手は、口を開いた。 「お前が俺のものだと、皆に知らしめてやる必要があるな。お前は相手を誤解させる。皆お前に優しくされて、勘違いしている。お前は手放しで無防備で危うい……俺のものだと、分からせてやらなければならないな」 「俺はお前のものじゃない」  わざと感情を入れずに、かけるは否定だけを押し出して告げた。歯向かういつもの反抗と異なるかけるの態度をまるで面白がる様に、相手はそっと顔を近付けてくる。 「お前は俺のものだ。俺だけのものだ。お前を見ていいのは俺だけだ。お前の名を呼ぶのも、お前に触れるのも、お前の傍に居るのも!! 俺だけだ、他の奴にはお前を見せたくもない、お前を他のどんな奴にも触わらせたくない、お前をどこかに閉じ込めてやりたい、誰もお前に近付けたくない、どこかに――いっそ俺の体の中に入れてしまえればいいのに……!!」  激しくなる内容のままに、最後は叫ぶ様に言ってのけた。異常性が勝るその台詞は、犯行声明の様にかけるには響いていた、相手の考えた究極の束縛の終着は、俺の命を止める事、なのか……?  余りにぞっとする欲望の露見に固まるかけるに、まだ自己陶酔の最中の相手は続けた。 「何故俺のものになってくれないんだ?! こんなにお前を愛してるのに、俺はお前だけのものなのに……! 俺以外の奴の前で笑うな。俺だけの声に答えろ。他の誰の事も見るな。俺だけを、俺の事だけを考えろ!」 「……ざけんじゃっ……」  狂気に呑まれそうな恐怖から、遮ろうと叫びかけた精一杯の言葉は、荒々しい口付けに塞がれた。相手が胸に秘めた尋常でない想いに圧倒されて、今迄淡白だとすら思っていた相手の顕わにされた歪んだ嫉妬に、かけるの抗う気力は掻き消されていた。  喰らい尽くされる。唇を貪る相手の今迄とは段違いの激しさに、かけるは確信していた。俺が最後迄縋りついていようとする僅かなプライドも意地も奪う様に、こいつは俺を骨迄喰らうのだ。俺が空っぽになろうと、俺が今迄の俺でなくなっても。奴好みの俺に塗り変える様に。俺を、貪り尽くすのだ。  ……嫌だ。させない。かけるは必死で、死にもの狂いの抵抗をみせた。かけるの拒絶の強さを分かって、抑え付ける相手の手にもより一層の力が籠る。  力比べ、ではなく根気比べ、だ。心から嫌なのだと、本当に嫌なのだと、噛みついてでも分からせてやる。引っ掻いて、殴り付けて、蹴り飛ばして、暴力の限りに暴れてやる。 「嫌い、だっ……」  今ここで連呼するその一言にも、ようやく今迄以上の重みが加わったのか。人が変わった様に暴れ、睨む様に蔑む様に自分を見返すかけるの獰猛さに、初めて雄大は怯んでいた。  だがそこは「奴の信じる愛」で乗りきろうとするのだ。いつも一方的に虐げていたかけるの反逆を受け入れる様に、殴り付けるかけるの手を無理に抑え込む事をせずに、殴るに任せる。愛してるから平気だ、と言わんばかりに。  それは徒に偽善めいて、かけるは強まる悲しさに、拳から力が抜けるのを感じていた。いっそ俺の両手を縛るとか、抑え付ける為に頬をはたくとか、そんな威圧を貫いてくれれば良かったのに。今迄の狂った雄大にふさわしく。  ――今更、優しくするな。そんな自分の混乱した考えはどこから浮かぶのか、分からなかった。  ただ確実に優しくなった雄大にゆっくりと何度も犯されて、もう抵抗の気力もないかけるは、何回その言葉を耳に入れれば真実味が増すのだろう、と雄大の繰り返す一言にだけ意識を向けていた。  もう意味を成さない、「愛してる」を。

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