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⑦俺を、どうしたいの……二人共?

「かけるセンパイ、評判ですよ」  いきなりの伊集院の言葉にも、かけるは返事をしなかった。無気力は日常生活にも侵食している。  離れた場所にある為、誰もがただまとめて持ってきたものを散漫に空いた場所に置いていく、名称どおりの存在を存分に発揮するならば「物置」と言い換える必要のある、滅多に人の来ない倉庫。古い書類を探しに来たかけるに引っ付いてきた伊集院は、見当を付けた場所から書類の束をまず引き出して自分の前に並べている。  手伝う気充分に見える伊集院だが、本当はかけると二人で話をしたかっただけなのだろう。早速話し掛けてきた処に、それは明らかだった。 「なんか前と違ったアンニュイな感じが、すごく色っぽくてエロいって。ねえ、それって加納センパイ効果ですよね?」  答える気も相手の顔を見る気にもならない、かけるは無言の無反応を貫いた。楽しそうに、お喋りな伊集院の下らない独語は続く。 「社内のやつら、最近みんなそればっかしですもん。ただでさえかけるセンパイ好かれてんのに、色気まで加わっちゃ無敵っしょ。襲ってねって言ってるようなもんですよ」  最後の一言は聞き逃せずに、ぎろっと鋭く睨み付ける。だが書類探しで目も挙げない伊集院に、かけるのそれは気付かれる事はなかった。含ませた黙れ、の威圧も届かず、脳天気にまだ伊集院は言葉を連ねていた。 「ただねぇ、加納センパイがねぇ……結構ね、態度に出してきつつあるんでね。この間からなんか浮かれてるぞ、くらいだったのが、明確にかけるセンパイを気にかけて、かけるセンパイの近くにいること多くなってますからね。怪しむやつは怪しみますよ、そりゃ」 「おい」  鋭い怒声で、かけるは相手の言葉に被せていった。 「黙れ」  目を挙げた伊集院を、酷薄な程の冷たさで見据える。動じない男は、にへらっと笑ってみせた。 「ほら、その顔。そんな顔、今までしたことないでしょあんた。それがみんなにもたまらないんですって」  ――こたえる訳なかった、とかけるは呆れて目線を外した。脳の構造が最初から違う奴に、こちらの常識は通じない。  この先は何にも反応しない事を誓って、戸棚から下ろした段ボールの中身を確かめていく。並べられたファイルや冊子をぱらぱらとめくる伊集院も、集中しているのかもう無駄口を喋りはしなかった。  雑多過ぎるそんな場所で、目当てのものが見付かる可能性はほぼない様に思えた。罰ゲームよろしくこいつに探させて自分は帰ろうか、そう考えていた処に、伊集院がまた楽し気な声を聞かせてきた。 「ねえ、かけるセンパイ? 聞きたいこといっぱいあるんですけど僕。お話しても構いません?」 「仕事中だ。話はプライベートでしろ」 「誘ったって、僕のためにプライベート空けてくれる気なんかないくせに。時間ならありますよね、今」  さらりと言って、何でもない様に書類を手にした右手を掲げてみせる。ぽかんとするかけるに、悪戯っぽいいつもの口調で伊集院は言うのだ。 「だってほら、もう見つけちゃったし」 「嘘だろ?!」  慌てて伊集院の元に走り寄る。差し出されたそれを受け取り、目を通して。  どうやったら、こんな短時間でこんな数枚だけの書類なんかを見付ける事が出来たのか。思わず尊敬の眼差しで伊集院を見つめていた。へへへー、と嬉しそうに笑う犬の様な男はそうして、当然言うと思われる言葉を口にした。 「ねえ。ごほう」 「好きな居酒屋に二時間。店を決めておけ」 「えぇ~?」 「褒美に、奢ってやる」  事務的に告げたかけるに、伊集院がずいっと顔を近付けてくる。睨みで撃退しようとしたが――やっぱり、この男にはこちらの主張は何一つ通じないのだった。  ぶつけられてきた唇から逃れようと、戸棚にも足元にも所狭しとひしめき合う段ボールや収納ボックスなどを倒したりしながらに体を逃がすが、どこ迄も伊集院はついてきた。唇を押しつけたまま、伊集院の手が床に広がった書類や何かを盛大に払ってどかし、物をなくした僅かなスペースにかけるの体を引き倒した。  いつも、こいつらにはいとも簡単に主導権を取られてしまう。悔しさや屈辱から、かけるとしてはなかなか本気の全力で抵抗しているのだが、狭い場所で体重を載せてのしかかってこられると、暴れる力も封じられてしまう。  散々に唇を舌を味わって、ようやく伊集院がかけるの唇を解放した。体はまだ抑え込んだままに、興奮を隠さない上ずった声が落とされる。 「背徳感……会社でこんなことしちゃうなんて、スリルありますよね。かけるセンパイ、前よりおいしい」  言うなり、また唇を貪ってくる。熱く胸元に載せられていた伊集院の手が、するりと動きかけるの下肢に触れる。性急に重ねられる唇にも翻弄されて、言いたい罵倒もまとまらない。  仕事中の社内だと言う事が、一番に頭を占めていた。幾ら隣がボイラー室で常に僅かな騒音が流れているからと言ったって、立派に会社内だ。伊集院が匂わせた様に、いつ誰がやってくるか分からない。もしも誰かに、こんな場面を見られでもしたら……。  かけるのズボンを脱がそうと、カチャカチャとベルトを外す音が響く。やめろ、とどうにか挙げたかけるの声がひきつっているのに、奪う様なキスからなだめる様な口付けに変えて、伊集院は囁くのだ。 「入れたりしませんよ。ちょっとイカせてあげたいだけ……だって、かけるセンパイ可愛い過ぎて我慢できないんですもん」  興奮と同等の理性を同時に操れる男は、きゅっと手の中にかけるのものを握り込んだ。伊集院の手にかかれば、もたらされるのは長く焦れったい愛撫になると、かけるの体はもう知っている。  ……それが、屈辱や羞恥を押しのけて、最後には快感に変わってしまう事も。  優しいキス、丁寧な愛撫。かけるの感じるツボを知っているのか、伊集院の手の中で、かけるの屹立はもう大分前から限界を越えたがっている。  巧妙に射精を止められて、イキたい雄が暴れている。焦れったさともどかしさに、耐えきれず切ない声が洩れる。抑えたいのに腰も蠢いて、かけるには自覚はないが、それはねだる様な誘う様な仕草になってしまっている。  乱れたかけるを楽しむ様に、伊集院の意地悪ないたぶりは続けられる。快楽が浸透した思考は普段の制御もなくし、かけるは羞恥に拮抗する様に喘いだ。 「や、もう……。イキ、たい……」  するりと僅かに指の圧迫が解かれ、解放を期待してかけるははあっと息を吐いた。だがその指はまたきゅっと鬼頭を締め付け、成されなかった欲望の放出にかけるは思わず仰け反った。  何度、イキそうになっては止められているのか。先端からひっきりなしにこぼれるかけるの先走りを指に受けて、かけるのものを扱き握り込む伊集院の手はぬるぬると濡れている。まるで粘膜の様な感触、疑似挿入じみた気持ち良さに、かけるは縋る様に伊集院の胸元の服を引っ張っている。 「いじゅうい……頼む、から……もう」  かけるの唇を柔く食む伊集院にも、さすがにそろそろ我慢が尽きてきたらしい。空いた方の手でかけるの足を広げ、何やらゴソゴソとズボンをずらす伊集院の気配に、かけるはぼんやりと約束が違う、と思ったりする。けれどもそんな事に意識を向ける暇はなかった。  伊集院の指が手の平がなぞり上げる様に屹立を刺激し、ようやくかけるは止めるものもなく精を放った。痙攣にも近いかけるの悶える動きの最中、伊集院が荒く猛る肉棒を深々と突き入れてきた。  自身の射精のリズムと伊集院の挿入のリズム、異なる刺激に翻弄されて、かけるは抑えようもなく声を挙げる。駄目、と囁いてすぐに伊集院がかけるの唇を塞ぎ、声を封じる。  突き入れ揺さ振り動かす伊集院の激しい動きに吸収されて、かけるはそこからがまた長い伊集院の攻めに、声がかすれる程に喘ぐ事になるのだろう、と目を閉じた。  ちゃんと加減しましたよ、と伊集院は自慢気に笑った。確かに一度きりで終わってくれた男を、けれどもその「一度きり」が実に濃かったせいで体を起こしたきり動く気力も出せないかけるは、力なく睨みつけている。  何が嬉しいのか極上に柔らかい笑みを浮かべっぱなしの伊集院は、そっとかけるの体を優しく抱き締めてきた。気安く触らせる程許した訳じゃない、とかけるは焦って伊集院の腕の中から抜け出そうとする。  もがくかけるの抵抗を止めようとはせずに、あっさりとかけるに逃げられて、それでも嬉しそうに伊集院は言葉を放った。 「こんなに好きなのに、あなたは僕のものじゃない。でもそれで正解なんです。安心しますね」  ――何を、言われているのやら。理解不能な台詞に虚を突かれて、今すぐ俺の前から消えろ、と凄んでやろうとしていた威勢はなりを潜めてしまった。この男と居ると、『暖簾に腕押し』的な肩すかしに、溜め息で諦める事ばかりだ。  にこにこしどおしの伊集院から目を反らして、かけるは自分のぐしゃぐしゃのシャツに今は溜め息をついた。服どころか体中、汗と唾液と精液とにまみれていて、熱の引かない頬も貪られてひりひりする唇も、きっと不自然に赤くなっている筈だった。  そんな状態で、まともにオフィスに戻れるとは思えなかった。倉庫に来て何十分が経ったのか、誰も怪しむ人はいなかったのか。大体にして、声が聞こえてしまってはいなかったのか。  何やら倉庫内をうろうろしていた伊集院が、寄贈品らしいどこかの社名入りのタオルを見付けてきた。それをわざわざ給湯室迄行き暖かい湯で濡らして、伊集院は丁寧にかけるの体を拭き出した。  今更恥ずかしいも情けないもない、ある意味まめだよなこいつ、と今ではなすがままに身を任せて、かけるは思う。シャツの皺も伸ばされ、自分が脱がした服をかけるに着せながら、伊集院は心底幸せそうなのだ。乱れたかけるの髪の毛をすいて撫でつけながら、そうしてしみじみと告げる。 「本っ当に大好きです、かけるセンパイ。可愛い、毎日でも食べてやりたい……でも、あなたは加納センパイのものだしね」  さらりと、伊集院は何故だかいつもあいつを持ち出すのだ。途端に嫌な顔になって唇を引き結ぶかけるに、笑みは変えずに伊集院は続ける。 「愛されてるはずなのに満たされてないと、あなたは思ってる」  そんな事、思ってはいない。言外で告げるかけるはまた無反応を貫いた。すっと伸びた伊集院の指がかけるの閉じた唇に触れ、かけるが逃げないのをいい事に何度もなぞる。 「確かに、体はちゃんとは愛されてませんよね。でも気持ちは、それこそ僕なんかたちうちできないくらい、深く深く愛されちゃってますよね」  分かった様な事を並べ立てる台詞にカチンときて、かけるは伊集院の指を払う様にどかした。きっ、と睨み上げる。そんな反応すら楽しむ様に、伊集院はふんわりと笑ったままだ。  それに、気が抜けてしまうのだ。怒りが削がれてしまう。どこか飄々としたこいつの態度に、普通ならば反発や呆れに怒りが増しそうなものなのに、それを穏やかな諦めに変えさせられてしまう。  ……愛されてる、と感じるのならば。伏せた目で、かけるは思う。伊集院の方が、遥かに俺を愛してくれてるんだろうな、と思ってしまう。触れる手の唇の優しさも、ちゃんとこちらに向き合ってこちらを尊重してくれる処も。  自分も俺を好きなのに、彼は常に雄大を立てる。そこだけは大人なのか淡白なのか、どういった思考機序でそうなるのかは分からないが。  上げた目が合った、と思ったらちゅっと子供みたいなキスをする。そうして立ち上がってかけるに向けて手を伸ばし、捕まる様に促して言うのだ。 「そろそろ帰ります? 誰かになにか聞かれたら、僕の悩み相談にのってたって言いわけで」  ――かけるが自ら手を伸ばし捕まる迄、この男は待つのだ。こちらのペースも待たずに引っ張る事もせずに。  頭の中、比べてしまう無意識を追い出す様に一瞬強く目を瞑る。それはほんの一瞬、かけるは取り戻した先輩の顔で、伊集院の手は借りずに立ち上がる。  分かってましたよ、と言う様な伊集院の顔は、矢張りどうしても嬉しそうなのだった。  外回りから帰って来るのは夕方の予定ではなかったのか。伊集院と時間をずらしてオフィスに帰ってきたかけるは、午前中はそこに居なかった雄大の睨む程の視線の強さに目を反らし続けた。  定刻が過ぎてもパソコンに向かうかけるの前に、険しさを隠しもしない雄大はやって来て、勝手に積み上げた書類を適当に手に取る。かけるの隣の既に帰宅し机の空いた席に座り、そのパソコンを立ち上げ、無言で手伝う意志を伝えてきた。 「把握出来なくなる、勝手に触んじゃねえ」  相手にだけ聞こえる様に、低く無表情で言い放つ。どこか獰猛な目でそれを受け止めた相手は、会話を内緒にしたいかけると違うのか、声も潜めずに返した。 「お前が終わらないと、俺も帰れない。知ってるだろう、自由に使える時間は貴重だ」  他にも数人が残っている社内で、無駄に注目を浴びたくはなかった。意味深な相手の台詞を無言でやり過ごし、かけるは目の前のパソコンに意識を向けた。  探していた、伊集院が見付けてくれた書類は過去のデータを集めた重要なもので、それを元に色んな取引先・新たな企業に向けてのアンケート作成が出来る。回収の内容次第では、会社を上げて新しいチームを立ち上げプロジェクトを編成出来るかも知れない程、貴重なものだった。  書面からパソコンに内容を打ち直しデータを保存する事など明日でも出来るが、逸る気持ちから途中で止める事が出来なかった。何の説明もしていないのに状況を理解し、手にしたページ分を打ち込みかけるのパソコンに転送してくれて、雄大は余った時間をじっとかけるを見つめる事に費やしている。  帰る社員何人に挨拶したのか、暗い社内には既に二人きりだった。あからさまな雄大の態度にも無反応を貫き、かけるは最後の保存を押して、疲れた体を椅子の背に倒した。 「帰るぞ」  かけるがゆっくりする一息の猶予分だけは待って、雄大はがたっと椅子を立つ。昼間考えたとおりに、かけるの腕を問答無用とばかりに掴んで立たせた雄大は、よろめいたかけるの腰にがばっと手を回し、支える以上の抱き寄せ方でかけるを自分にもたれかけさせる。  疲労が、諦めを後押ししていた。どうせ誰も居ない。それにきっと今から、自分はまた相手のマンションに連れて行かれるのだ。今僅かな抵抗をした処で、無駄なエネルギーを使うだけだ。  仕事とプライベートを分ける雄大にとっては、誰も居ない会社と言うシチュエーションには何の感慨も興らず、ここに居る時間が無駄、位のものなんだろう。単に感触を楽しみたかっただけなのか、抱擁は一瞬、解放したかけるを鞄、上着、と急かし、雄大は仕切りながらかけるを引っ張って社外に出る。  撒いて逃げてやろうか。そうしてどこかのホテルかカラオケ店にでも籠るのだ。  考えたが、どうせ翌日も会社には行くんだし、報復として翌日に何をされるか分かったもんじゃない、とかけるはそれを否定する。この間こいつは恐ろしい事を口にしてた、お前が誰のものか皆に分からせてやる、だとか――絶好のチャンスとばかりに、社内の皆の目の前で唇を貪る位の事をし兼ねない。  俺は囚われてる。それはかけるを無気力にさせる考えで、だけど今の時点で逃げる有効な手段は見付けられずに、空っぽの目で空っぽの体で相手をやり過ごすしかかけるには出来ないのだ。  俺の専属シェフになれよ、学生の頃からかけるは何度もそう、雄大の作る食事を誉めた。なってやってもいいぞ、といつも笑って返した雄大は、今その言葉に近い状況になっている事に満足しているのだろうか。  昔の事を思い描くのは、単なる逃避だ。かけるにとっては純粋な親友どおしで居られたあの頃。産まれ変わってもお前と出逢ってまた親友になるよ、心からそう告げていたあの頃。  こんなに歪んだ関係になるとは。食事を終えて、疲れていたらしい体が倒れた事も自覚は出来ないまま。静かな夢の中に、かけるは沈んでいった。  ゆっくりと、体が運ばれている。抱きかかえられているらしい、やたら暖かい頼もしい胸元に顔を預けて、何だか目を開けたくはなくて、半分覚醒しかける意識をかけるは眠りに持っていこうとする。  目的地についたのか、何だか心地の良かった広い胸は離れ、でも僅かな間の後に今度はかけるの背中を受け止める様な格好に触れて、かけるは安堵に力を抜いてしまう。座る形に下ろされたらしい尻は暖かいのに硬い感触を伝える。シャーッと何か勢いのある音と熱風が感じられて、さすがにかけるはうっすらと目を開いた。  見えたのは、クリーム色の浴槽。もう見慣れたそれと吹き出すシャワーの湯を認めて、ここがバスルームである事を確信した。見下ろす自分は裸で、はっとその姿勢に気付いて逃げようとした体は後ろからの腕に止められた。  雄大の胸元に背中をもたれかけて、雄大の左太もも寄りにかけるの尻は載せられていたのだ。当然裸の雄大に、暖かいと感じた理由が判明し、無意識に安心していた自分の恥ずかしさからかけるは身を縮めようとする。ぎゅっとかけるの腹に手を回したまま、雄大は静かに言葉を発した。 「お前の相手は、竹本って社員か」  シャワーに掻き消されそうなその声に、は、と驚いた声を返す。本気で、誰だか分からなかった。  竹本、竹本……考えて、ようやく一人の女性社員の顔が思い浮かんだ。けれど雄大がその人を知っている事の不思議さが先に立って、ぽかんとして言葉を返せない。  本当に「竹本さん」としか知らない相手だ。普段総務に居るらしい、課の違う彼女の名を知ったのは、会議直前に修正した資料のコピーを慌てて取っていた時に起こった紙詰まりを、ただ次にコピー待ちしていた彼女に素早く直して貰った事があったからだ。  本当に有難う、どういたしまして、そんなやり取りしかした事はない。思い出せたのは、その後社内で稀に見かけた時に彼女の笑顔がきれいで印象に残っていたからだ、他意はない。  そんな相手を突然話題にされて、その意味が分からない。振り向きは出来ないから分からないが、ここ最近で相手がそんな静かな物言いをした事もなく、それにもかけるは戸惑ってしまう。 「全然匂わせもしない。お前に、そんな芸当が使えたとはな」  ぴったりと密着させられた体を不意に意識して、かけるは訳の分からない事態に説明を求めるべく、問いを投げ掛けた。 「何の事だよ?! ってか離せよ、一人で入れるっ」  暴れ出しそうになるかけるを止める目的なのか、腹部にあった雄大の手が、ぎゅっとかけるのものを強く掴んだ。驚きよりは痛みにあっ、と声を挙げるかけるに、後ろから顔を寄せてきた雄大が囁きを耳に吹き入れてくる。 「随分大人しいキスに慣れてるみたいだな。竹本ってのとは、いつもそうなのか」  え、とこぼれた声を拐う様に、唇が塞がれる。雄大にしては優しいやり方で、舌が唇をなぞる。嫌がろうとすると掴み込まれた下肢をまたぐっと圧迫され、塞がれた唇の下かけるは口を開いた。するりと口腔内に滑り込んできた舌はかけるの舌を捉え、いつもの性急さをなくした柔らかさで攻められて、それは昼間の伊集院の持つ労りにも似て、かけるはされるがままに愛撫を受けていた。  唇を離して、雄大はゆっくりと告げた。 「さっきお前は幸せそうに寝てた。俺の前で無防備に寝るなんて有り得ないのに。起きるだろうと思ってキスしたら、俺だと気付かなかったのか、お前はキスに応えてきた。今迄一度だって俺のキスに応えた事はないのに!!」  潰す程の勢いで、荒げた声と同時にかけるを握る指先にも力がこもる。息を呑んで耐えるかけるの耳に息を吹き入れながら、先程からの苛立ちの理由を相手は口にした。 「女子社員共が騒いでた。竹本って子がお前に給湯室で抱き締められて、好きだと告白されたと。そうやって既成事実を作って俺から逃げようとしているのか。考えたもんだな」 「何だよ、それ……知らね、って……」  全くの身の覚えのない話だ。はっきりと否定したいのに、段々と優しい手付きになる下肢を揉みしだく指先に意識が向いて、かけるの息は上がってしまう。唐突に雄大の唇が首筋に触れ、薄い肌に歯を立ててきた。 「やっ……?!」  噛み千切られる、とかけるは咄嗟にそう考えた。嫉妬に狂った雄大は、とうとう追い詰められて、この間言った様に俺を殺す事を実行するつもりなんだ――  歯が緩み、かと思うと滑らせた唇がまた違う場所で止まり、再度肌に歯が喰い込み掛ける。それは何度か繰り返され、寸止めの危うさにかけるは半ば気を失いかけていた。ようやく離された唇は、耳元に戻り何か囁きを落としてきた。 「どうして伝わらないんだ……? 俺がどれだけお前を愛してるのか、俺がどれだけお前を欲しているのか。どうやったら、お前は俺のものになってくれるんだ? 俺は全てお前のものなのに……」  下肢にあった手が、するりと外れ後ろからかけるの全身を包む様に抱き締めてくる。今度は腕で圧迫して体全部を潰す気なんだろうか、ぼんやりとかけるは思う。意識とは別に、震えがかたかたとかけるの全身を走り始めた。  暖めてそれを止めようとするのか、雄大はぎゅうっと強くかけるを抱き締める。圧迫の狂気はそこには感じられないが、完全に狂った思考を相手は言葉にして表した。 「お前の体も心も気持ちも、お前の視線もお前の思考も全部俺だけに向けさせてやりたい。お前の細胞も体液も脳も心臓も全部を取り出して、俺のものと混ぜてしまえたらいいのに……」  背筋を凍らせる程の猟奇に満ちた言葉は、後ろから重ねられた唇が始めたキスにひとまずの終わりを見せた。徐々に荒さを増すそれは、抗う力もないかけるをそこから支配していく。一方的な征略に。 「お前は、誰にも渡さない……俺から逃げる事は、許さない」  それは確かに呪縛の様にかけるの脳を絞め上げる、そうして相変わらず前戯も何もなく、相手の手はがしっとかけるの双臀を左右に割り広げる様に掴んできた。  今からの地獄を予測させるそれに、いやだ、と逃げようと尻を浮かせた動きが、却って雄大の姿勢を整える手助けになってしまったらしい。高々と屹立した雄に下からいきなり突き上げられ、ただでさえ潤いも準備もない乾いたそこは、かけるの叫び以上に悲鳴を挙げていた。  独占欲と嫉妬、今の雄大を突き動かすのはそれらしいが、感情のぶつけ方も行為自体も、余りに一方的過ぎる。スムーズに為されない挿入に苛立った様に、相手は信じられない荒々しさでかけるの腰を揺さぶり、下からも激しく腰を打ち付けてくる。  長大な太過ぎる凶器は何度受け入れさせられても慣れない、それでも無理矢理の抽挿で根元迄それはかけるの内部に埋まり、息をつく間もなく内部を攻めたてる動きに変わる。かけるの挙げる苦痛の声には構わず、燃える様に熱く硬い肉棒はかけるを容赦なく突き上げ、狂った様に掻き回す。  昼間は優しく広げられたそこが、今は抉る様に犯されている。狭いバスルームで、体を倒され後ろからのしかかる形に、獣の勢いで激しく突かれる。ぐったりと倒れた体はひっくり返され、正面からの体重を載せた挿入で抜き差しが繰り返される。  救いのない痛み、優しさのない手付き。こんなの愛されてない、初めから絶望に塗り込められた視界で、かけるはそう思わずにはいられない――

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