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➈これが、『俺の望んだ結末』――?

このゲームは朝迄続くんじゃないのか。本気でそう思えた。 「スーツ姿に隙がない」 「指。さわり心地サイコーです」 「仕事が完璧」 「奥歯、キュートですよね」 「……片仮名すげー強い、あいつ」 「ぴょんってなる足の小指。あれ可愛いんだ~」  ……不毛な戦いだ。ここ迄きたら、先に根を挙げるのは恐らく自分――分かっているから、余計に引くに引けない。  大体にして、伊集院がこのゲームに持たせた真意。かけるが雄大を好きだと言う思想を、かける自身の手によって自身の内部に植え付ける目的。マインドコントロール。  初めから、そんなのは分かっていた事だ。伊集院の家に逃げ込んだ時点で、実はかけるに一切の拒否権はなかったらしいから。  間が空き、伊集院がかけるの顔を覗き込んだ。 「あれ~? ギブですか? まさかの終了ですかー?」 「……親友としてなら、本当に言う事なしに最高なんだよ」  ぽつりと、かけるは呟きを落とす。茶化さずそれを聞いて、伊集院の目がすっと真剣なものに変わる。かけるは続けた。 「親友として。何でそれじゃ駄目なんだよ。実際上手くいってたし、ずっとそうやって付き合っていけると信じてたのに……」  ふわりと、肩を抱かれる。また彼は諭す様に雄大の肩を持つのだろう、だからかけるは拒む様な力を体に込めて言ってやった。 「ごちゃごちゃ正論並べて言い負かそうとすんなよ、今は愚痴りたくて愚痴ってるだけなんだからな。一度位俺を甘やかせろよ。あいつの気持ちにばっか共感してんじゃねえっての」  言い捨てる口調は伊集院には拗ねた様にでも響くのだろうか。かけるをぎゅうっと抱く伊集院の腕には力がこもり、珍しくふうっと長い息をこぼしてからの、彼の静かな言葉は紡がれた。 「僕があなたを甘やかすってことは……加納センパイへの宣戦布告をすること、になるんですよ? あの人なんかどうでもいいから、あなたのこと奪っちゃおうかなあ、って意味。……ホント、人の気も知らないで」  伊集院がこぼす初めての肉迫した言い方に、内容の理解は出来ないままに、かけるはぽかんとしてしまった。伝わる熱い思いはいつになく結構に真剣で、切実で。 「あなたほど、夢中にさせられる人なんていませんよ……呑み込んでしまいたい。あの人だけのものにさせるくらいなら、それより先に、僕が……」  迫る様に近付いた顔は、思い詰めた様に、いつもの余裕のある伊集院のそれではなかった。仰け反る様にして身を逃がしたかけるにはっと気付いた様に、そろりと腕が緩められ体が遠去けられた。けれどもそんな動揺を一瞬で消してしまえる処が、伊集院の伊集院たる所以なのらしかった。 「……なーんてね。ヤバいヤバい、あなたが無意識にふりまく魔法に、危うく引っかかっちゃうとこでしたよ。あー怖かった、この真性無自覚系小悪魔め」  ぴん、と額に軽いデコピンがぶつけられた。何とも反応しようがなくて為すがままのかけるに、にこりといつもの彼らしい笑みを浮かべて、伊集院は静かに言葉を落とした。 「はい、好きなところいわずにグチ入っちゃいましたね。ゲームはあなたの負け、ってことで。いいですか?」  伊集院を真っ直ぐに見返して、かけるは無言で頷いた。 「じゃあ、今から加納センパイのとこにいきますけど。心の準備の時間、いります?」  それに対しても無言で、かけるは首を横に振った。本当は、お前が一緒に来てくれるんなら大丈夫、と口にしたかった。けれども先程の思いがけなくこぼされた伊集院の言葉に表情に、煽るとも取れそうな発言は禁忌だ、とかけるは気付いていた。  内心のかけるの考えを雄大への覚悟と取ったのか、伊集院は実に深い笑みでかけるを見つめて、囁いた。 「あなたを、あなたにふさわしい人のもとにお連れします。よろしいですか?」  返事は決まっている。かけるは睨む強さを見返す目に加えて、呟いた。 「しつこいぞ」  ――甘く甘く、極上に愛しむ目をした、けれどかけるとは異なる愛情をかけるに抱く男は、そのままの笑みで立ち上がるのだ。今度は自分が何も喋りはせずに。  インターホンを押してから雄大がかける達の下にやって来るのが、いかに迅速だったか。かけるに並ぶ伊集院に投げる一蔑に凄まじい憎悪を込めて、雄大がかけるの手首を強く掴む。  そのままかけるを連れ去って行きそうな雄大の肩を、素早く伊集院が掴んで止める。汚いものを払う様な仕草と視線で伊集院の手を払い、かけるの体を自分の陰になる様に隠しながら、殺意にも近しい目で雄大は伊集院を制圧しようとする。 「ちょっと。かけるセンパイは自分の意志で帰ってきたんですから。話聞く姿勢、ちゃんともってくださいよ」  臆さず言葉を挟んだ伊集院から、雄大の視線は自分が後ろにしたかけるに移る。射殺す程の視線に圧倒されない様に、かけるもぎっと強い目で相手に対峙する。助ける伊集院の言葉が放たれる。 「本音のぶつかり合い、こんなところでできませんよね? まずはお部屋に上げていただけません?」  堂々たる主張に、燃える様な目線だけは伊集院に据えたまま、雄大は唇を引き結び、オートロックを解除した。かけるの手を引っ張り大股でさっさと歩き出す雄大の後を、素早く伊集院もついて来る。  掴まれた手首は骨を締め上げる程に強く、かけるは雄大の怒りを思い、内心ぞっとしている。もし伊集院を介さずに見付かって捕らえられた状態だったなら、問答無用で殺されてたかも知れない――そう確信させる、全身から立ち昇る障気。  首だけ僅かに振り向いた先で目に入った、微笑んでくれる伊集院の落ち着きに、かけるは随分と救われているのだ。  ――強盗にでも入られたのか。目を見張るかけるを物が散乱しまくった床に転がす様に突き飛ばして、雄大は部屋に入るなり伊集院に向き合っている。  一向に怯まない伊集院は、荒らされた様な室内にも頓着せずに、僅かに物を左右に掻き分けて作ったスペースに勝手に腰を下ろしている。半ば感心しながら、かけるは雄大の後ろで座り位置を少しでも伊集院に近付ける様に、慎重に体を移動させている。  不意に伊集院から視線が自分に移って、びくりとかけるは肩を震わせた。酷薄な目に高くから見下ろされて、つい恐怖が先に立ってしまった。そんなかけるを庇う様に、伊集院が先火を切ってくれるのだ。 「おびえて逃げた人を、またそうして威圧するんですか。何回でも逃げられるだけでしょ、それじゃ」  どんな策があって挑発するんだろう、とかけるははらはらして伊集院と雄大の顔とを交互に見ている。案の定、伊集院に向けられる雄大の視線には凍えさせる冷酷さだけが際立っていて。 「意外ですね。かけるセンパイに逃げられたからって、物にあたる人だとは思わなかった」  ゆっくり部屋を見回す伊集院をぎろりとねめつける雄大の目に浮かぶありありとした殺意に、黙れとかけるは伊集院にメッセージを送っている。目線だけで大丈夫、と返して、能天気な男は続けた。 「かけるセンパイにひどいことするのだけは、やめてくださいね」 「俺とこいつ二人の問題だ。部外者の貴様にとやかく言われる余地はない」  切り捨てる冷徹な声が、被さる様に告げた。緊迫した雄大に対してものほほんとした普段の態度を崩さない伊集院は、怒りに触れないギリギリの声音を図っている様に思えた。 「かけるセンパイが僕を頼ってきてくれた以上、立派に僕も関係者ですよ」  『伊集院の元に逃げ込んだ』かけるに対する制裁を今はひとまず後回しにしたのか、鋭い一蔑はかけるを超えて伊集院に据えられた。本気を余裕でかわす様な落ち着きで、伊集院は言を次ぐ。 「まあ、ある意味あなたのいわれるとおりかも知れませんけどね。僕自身にいいたいことはありません。ただ、かけるセンパイが思ったことを思ったようにあなたに伝えられないようなので、僕はそのための環境を整える手伝いについてきただけなんです」  いきなり、核心を剥き出しにして相手の目の前に放り投げられた様な衝撃に、かけるは呆気に取られて伊集院を見つめていた。これでは余りにも薄情だ。  雄大も、かけるの代わりに責める言葉がぶつけられると考えていた筈だ。拍子抜けした様な戸惑いと真意を図る警戒とが、同時に浮かんでいた。  飄々とした態度と言葉を保つ伊集院は、雄大を見つめ、次いでかけるを見つめ、そこで安心させる様に見慣れた優しい笑顔をかけるに向けてきた。掴めない伊集院を試す様に、雄大が低く言葉を放つ。 「何も言いたい事がない? 手伝いの為について来ただけ、だ? それだけの訳があるか、俺の前でいい所を見せて点数稼ぎして、こいつに手を出すつもりなんだろう。狙ってるんだろ、こいつの事」  挑む様に告げた雄大に対して、伊集院はきりっと表情を改めた。至って真面目だと表す為だろう、声音も引き締めて、かけるには真剣だと分かる口調で彼は答えた。 「はい。ねらってますよ、かけるセンパイのこと。でも今じゃない。今の弱ったかけるセンパイに、手はだせない。それじゃあなたへの筋が通せない。ちゃんとあなたと思いが通じ合って、あなたといて幸せで、毎日生き生きして嬉しそうなかけるセンパイじゃないと、僕は手をだせない。ホントの意味では」  全てが理解困難だったのか、思わせぶりな最後の一言よりも、雄大の気を引いたのは中盤の言葉だったらしい。被せる様に、雄大は切れ切れにそれを反芻する様に落としている。 「ちゃんと、俺と思いが通じ合って……? 俺と居て幸せで?……それ、は……」 「ごめんなさい、つい口がすべっちゃいました僕。かけるセンパイの口からいってもらう予定だったのにね」  かけるに向けて、神妙に伊集院は申し訳なさそうな顔をする――作戦か、とかけるは目を見張った。完全に意表を突く形に、雄大から当初の怒りを反らしてみせた伊集院は、にこりとかけるに笑い掛け、長居は不要とばかりに立ち上がるのだ。 「もう大丈夫ですよね。ガンバッて、ね?」  ――にやけたその笑いに、拳骨をくれてやる。振り上げた拳と共に勢いよく立ち上がったかけるの体はけれども、こちらに向き直ってきた雄大に阻まれた。  緩く肩を掴む両手、期待する様に見つめる、甘く眇められた目。今日最後に見た顔とはまるで別人の、正常に戻ってはいる雄大。  伊集院の策略の網にまんまと掛かってしまった雄大は、真正面の近さにかけるに顔を近付け、囁くのだ。 「説明してくれ。どういう意味だ? 俺に分かる様に……お前の言葉で」  ドアの向こうに消える前の伊集院の口がファイト、の形に動き、殺す、とかけるは胸中に誓った。こんな最悪の状況の真ん中に置き去りにしやがって、あの野郎。絶対殺す……!  治まらない怒りを目の前の相手に向けたって、自分の望む結論を手に入れて浮き足立った雄大には、最早かけるのどんな態度も問題にはならないに違いない。唇に触れそうな囁きは続く。 「答えてくれ……俺への筋が通せない、ってのは何だ? 駈……答えろ」  柔らかな強制が、ぴったりと重ねられた胸から下肢全部から促される。 「……駈。お前の声で聞かせてくれ。お前の声で、お前の言葉で」  優しい雄大の声と触れ方は、かけるの脳幹を刺激し反抗の意志を削ぐのだ――それこそ初めて体を開かれた時の様に。 「早く――聞きたいんだ、お前の声が。お前の、色んな声が」  触れるか触れないかのギリギリを楽しむ様に、雄大の唇からの微かな熱と吐息が唇をかすめる。今迄にない根気強さは、何から学んだのか。繰り返される規則的とも言える囁きも、まるで催眠の様で。 「駈……答えてくれ、駈。あんまり焦らさないでくれ」  答えないかけるに、我慢も限界に達したのか、雄大の唇が柔らかにかけるの口に触れた。するりと離れたそれは、嫌がる素振りもみせなかったかけるに安心した様に、再度そっと触れてきた。 「駈……」  かけるの反応を確かめる様に、初めての時に戻った様に、遠慮がちに一回毎に甘やかなキスを落とす雄大を、……かけるは目を反ける事も出来ずに見つめていた。  ソファになだれ込む様に押し倒され、上からのしかかられた状態になっても、雄大はかけるにキス以上の行為をしようとしなかった。  言葉は、もう必要ない様だった。雄大にとっては。  甘く重なる唇に、拒否の言葉を発する事が出来ない。だけどそれは苦しい言い訳、だった。  強く押し退ければ叫ぶ事など簡単だ、雄大はいつもと違ってかけるの体のどこも押さえ込んではいない。嫌だ、と顔を背ける事すらも一瞬で可能だ。  なのに、出来ない。頭の芯が、指先から肩の先迄、体全部が痺れている。理性が思考が判断能力が、何かに侵されて狂っている。雄大のキスを、気持ち良く受け止めてしまうなんて。  ……違う。それでもどこかで、かけるは抗う様に思っている。違う、俺は。  俺は、こいつの事を好きな訳じゃない。受け入れられる訳がない。好き、な訳が、ない……!  拒めない口付けに、こぼれる吐息が切ない甘さに変えられる。ふっ、と微かに笑う雄大には、内心では拮抗するかけるの機微が分かってでもいるのか。  それ以上に進展させない濃密な口付けが、更にかけるに見えない鎖を掛けて――  ――好きだ、と囁かれた言葉に目を開いてしまったのが命取りになった。 「好きだ、駈」  愛してる、の重さはなく、誠実な実直さが胸に響いた。 「好きだ……」  駄目だ俺、とかけるは慌てて強く目を閉じる。流される、今の俺は、何か弱いから。  身を庇う様に、耳を塞ぐ。やんわりとその手首を掴んで外させて、雄大はくすりと間近で笑う。 「そういう可愛いさが、堪らないんだ……駈、好きだよ。好きだ」  催眠みたいだ、とかけるは思う――また開いてしまった目に、雄大は以前の、頼れる親友の顔でしかなくて。  欲情を消し去った柔らかな眼差しの雄大は、かけるの好きだった、大好きな親友でしかなくて。  錯覚だ。分かっている。いや――分からなく、なっている。好きだ、何度目か分からない耳元での囁き。  お前が欲しい、と身に迫る様だったあの狂った性急さはなく、安心させる様な、眠りに誘う様な優しい囁き。好きだ……愛してる。  その言葉に、もうかけるを脅えさせる響きはない。愛してる。以前と違って真剣な真っ直ぐさをしか載せない、真摯な一言。  柔らかく触れる唇。繰り返し、触れては離れる。刻まれる一定のリズムは一層催眠の様に、かけるの体からはあらゆる力が抜けて、思考からは理性の枠が外れきって。  愛してる。絡められ組み合わされた指に、力強い心臓の博動を伝える合わさった暖かな胸に、穏やかに洗脳されていく。  愛してる……駈。もう、それ以上の催促は必要なかった。開かされてしまったのは唇ばかりじゃなかったらしい、息もつけないキスに応えながらに、かけるは。  ――自身も、囁いている。それはかけるにとっては無意識に、でも雄大にとっては心をとろかす程の威力を持った強さでもって。  ……俺も。  ――好き、だ……。

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