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第12話 新たな侍従3

「ここがイーデンさんのお部屋です。荷解きもあるでしょうし、今日はゆっくりしていて大丈夫ですから」  イーデンを赤薔薇宮での部屋まで案内すると、可愛らしい顔がにこっと笑った。 「ありがとうございます。お気遣いいただいてありがとうございます」 「いえ。では、夕食の時にまた」  このまま一緒にいても、気を遣わせるだけだろうと、ライリーが踵を返そうとすると。イーデンは慌てて呼び止めた。 「あ、あのっ、ライリー様」  振り返ると、イーデンは懐から手巾を取り出して、ライリーに差し出してきた。桜の刺繡が施された、白い手巾だ。  なんとなく見覚えがある物のような気がしたが、差し出された意図が分からず、ライリーは首を傾げた。 「……その手巾が何か?」 「二年ほど前、ライリー様からお借りした物なんです。返さなくていいと言われておりましたが、この機会にお返ししようと思いまして」  ライリーがイーデンに貸した物。全く記憶にない。こんな可愛い子と関わっていたら、覚えていそうなものだが。  ライリーの不思議そうな顔から、イーデンはそのことを察したのだろう。少し寂しげな顔をしつつも、説明した。 「貴族学校で……その、水に濡れてしまった私に、ライリー様が差し出して下さったんです。その節は本当にありがとうございました」 「そう……なんですか。そういうことでしたら、受け取ります。こちらこそ、わざわざお返し下さってありがとうございます」  差し出された手巾を受け取って、今度こそイーデンの部屋を後にする。  広間に行くと、宮女たちが集まって、楽しそうに雑談していた。 「イーデンさん。可愛らしいお顔の方よねぇ」 「ええ。いかにも受けって感じ」  ライリーは吹き出しそうになった。受けって。オメガなのだから、そりゃあ抱かれる側だろうが、なぜそんなにも楽しそうなんだ。 (前世の妹を思い出すな……)  宮女たちもBL好きなのだろうか。攻めの相手が誰なのかを妄想して、楽しんでいるのかもしれない。なんだかちょっと面白い。  とはいえ、その輪の中に入るのは王婿としてどうなんだと思い、「コホン」とわざとらしく咳払いした。宮女たちははっとした顔で、雑談をやめる。 「ライリー様。新しい侍従の方がいらして、喜ばしい限りですわ」 「ええ。人のよさそうな方で、安心しました」  イーデンは、宮女たちにも好印象のようだ。まだ少ししか関わっていないけれども。  ライリーも笑って頷いた。 「そうですね。みんな、仲良くやっていきましょう」  はい、と宮女たちはにこやかに返答し、それぞれの仕事に戻っていく。ライリーはソファーにもたれかかって、イーデンから受け取った手巾を眺め見た。 (それにしても全然、記憶にないな……)  前世の記憶を取り戻す前の『ライリー・ハイゼル』にとっては別に好みの顏ではなかったのか、それとも人として当たり前のことをしただけだからすっかり忘れていたのか。あるいはその両方だろうか。  まぁ、考えても答えの出ないことだ。ライリーは手巾を懐に戻した。  テーブルの上に置かれている焼き菓子をつまみながら、思うのはこれからのこと。  ハイゼル侯爵家はフィンリーが存続させるだろうし、セオの子供もエザラが五年後に産んでくれるだろう。そして、本来の『ライリー・ハイゼル』が娶るはずだったイーデンは、ライリーの侍従となった。  そこまで、未来が大きく変わることはないとは思う。しかし、小さくとも影響が及んでいることは事実だ。そりゃあ、フィンリーの運命を変えるために選択した道なのだから当然だが、ライリーの考えや覚悟が甘かったことは間違いない。 (……腹をくくれ、俺)  今さら道は引き返せない。他の何を犠牲にしても、弟のことだけは守る。  たとえ、全人類から批難されようとも。  それからほどなくして、入浴する時間になった。  今までならトマスがついてきていたが、新たな侍従イーデンは部屋で休んでいる。というわけで、ライリーは一人、脱衣所に入った。いそいそと王婿衣装を脱いで、隣接している浴室に進む。シャワーで軽く体の汚れを洗い流してから、湯船に浸かった。 「ふぅ……」  心地よさに、つい吐息がこぼれる。 (そういえば、今日もあいつはくるのかな)  あいつ、とは無論セオのことだ。この半月、セオは欠かさず赤薔薇宮にやってきて、ライリーを抱いていた。よって、最近の宮女たちは上機嫌だったりする。主人が寵愛されていることが嬉しくてたまらないのだそうな。  セオとの性行為が、肉体的に気持ちいいことは否定できない。が、精神的には辟易しているというべきか、参っているというべきか。何がどうなってこんな事態になっているのか、本当に誰かに教えてもらいたい。 (発情期にはどう性行為を回避すればいいのか、考えておかないと……)  最初くらいは、具合が悪いんです、でいいかもしれないが、三ヶ月ごとにその言い訳を繰り返したら、絶対に怪しまれる。ただでさえ、妙に勘の鋭い男であるし。  どうしたものかと悩みつつ、一旦湯船から上がって、バスチェアに座る。体を洗うべく、布で石鹸を泡立てていた時だ。 「ライリー様」 「わっ!?」  突然、浴室の扉が開いて、声をかけられたものだから驚いて石鹸を落としてしまった。  慌てて振り向くと、そこにはイーデンが立っていた。あろうことか――ほぼ全裸で。  ほぼ、というのは、下半身だけはタオルを巻いて隠してある状態だからだ。 「イ、イーデンさん?」  なぜ、イーデンが浴室にきたのだ。  戸惑っていると、イーデンはにこりと笑った。 「お背中、お流しします。侍従の務めをさせて下さい」 「じ、侍従の務め?」  そういえば、と思う。後宮入りした日、トマスに「入浴時はいかがしましょう」と聞かれたような気がする。  その時、ライリーは一人でゆっくりしたいと答えたから、今までこんなことがなかっただけで……王婿の侍従とは、本来こういうことも仕事なのかもしれない。  ――が。 「だ、大丈夫です! 一人でやれますから!」  着替え程度ならまだしも、入浴まで侍従の手を借りたくはない。というか、裸を見られるのが恥ずかしい。特に下半身を。  言外に出ていってほしいと訴えたが、伝わらなかったようだ。 「遠慮なさらずに」 「い、いや、遠慮とかではなくて…っ……」  はっきりと、出ていけと命令すればいいのは分かっている。しかし、誰かに命令するということに慣れていないのと、何よりもイーデンの行動は善意からくるものだ。そう思うと、冷たく拒絶するのは気が引けた。

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