29 / 49

第27話 公太子来訪7

 アレックス、ひいてはルエニア公国の未来。それは想像以上に悲惨なものだ。  まず、アレックスのことを『氷狼王』セオは側婿として娶る。本来の歴史世界では、すでにエザラが正婿だからだ。  だが、公国の公太子が側婿というのは、どうにも座りが悪い。かといって、権力者の息子であるエザラを側婿に降格させるのも、政治的な目で見ていい判断ではない。  ゆえにアレックスの扱いに困った『氷狼王』セオは、ルエニア大公亡き後すぐにアレックスを己の側近に下賜する。その側近の名や、どのような関係を築いたのかまでは分からない。  ここまでは、まぁさほど悲劇的な話でもないだろう。問題はその後だ。  ルエニア公国を吸収した後の春、カシェート帝国がゼフィリア王国に侵攻。大国同士の大規模な戦となるが、天然要塞の存在によって侵略を許さない。戦は長引く。  が、秋になると、カシェート帝国内で蝗害が起こるのだ。それによりカシェート帝国は食糧不足に陥り、国力が疲弊して撤退。そのまま、滅亡の一途を辿る。  この話のどこが悲劇なのかと言うと、保護したはずのルエニア公国の民は全員、その戦に駆り出されて前線で戦い、全員が戦死するのだ。よって、元ルエニア公国の生き残りはアレックスのみとなる。  アレックスはそのことに罪悪感を覚え、公太子であったにも関わらず民を守れなかった自らの無力さに絶望。結果として冬の冷たい川に身投げして自死するという、なんとも後味の悪い結末を迎える。  そう、あまりにも救いようのない話だったから、忘れていたというよりは、思い出したくなくて、記憶の奥底に封印していた。 (最悪じゃん……)  フィンリーの暗殺ルートとはなんの関係もない話だが、実際にこれからあの鬱展開が起こるのだと思うと、悲しいを通り越して苦しい。  アレックスのことは別に好きじゃないし、むしろ嫌いだが……だからといって、あんな悲惨な末路を迎えると分かっていて平気な顔でいられるほど、ライリーも薄情ではない。  とはいえ、本来の歴史世界の『氷狼王』セオと、今世界のセオは違う。保護したルエニア公国の民を戦に駆り出しはしないかもしれないし、アレックスだって娶られるのなら正婿の座につくはず。微妙に道筋が違うから、くだんのBL小説の外伝ほどにはひどい結果にはならないかもしれない、とは思う。  でも、それはライリーの希望的観測だ。本来の歴史世界通りに進む可能性の方がずっと高いわけで。もしそうなってしまったら、ライリーがルエニア公国を見殺しにしたのも同然、深い悔恨と罪悪感に苛まれるだろう。  弟だけは守る、他の何も犠牲にしても――と腹をくくったつもりではあるが。今回ばかりは話の次元が違い過ぎる。ライリーにあの鬱展開の重荷を受け止め切れるだろうか。アレックスひいてはルエニア公国を切り捨てられるだろうか。 (……だけど、他に道があるわけじゃないんだよな)  カシェート帝国に降伏する道を選んだとしても、カシェート帝国だってルエニア公国の民を戦の駒として使うかもしれない。アレックスだって、『氷狼王』セオ以上にカシェート帝国から冷たい仕打ちを受ける可能性がある。  ゼフィリア王国に吸収されるか、カシェート帝国に降伏するか。  どちらを選んでも、ルエニア公国の未来に差異はない。大きく変わるものがあるとしたら、ゼフィリア王国とカシェート帝国の戦況の変化だけだ。天然要塞を手にした陣営の方が有利になるだけのこと。  ならば、せめてゼフィリア王国の被害を最小限に抑えるために、アレックスには後宮入りしてもらうほかないのではないか。天然要塞をカシェート帝国にだけは明け渡してはならない。  アレックスの……自分が娶られさえすれば、ルエニア公国の民は救われると信じて疑っていなそうな顔が、思い浮かぶ。  天は――あまりにも無慈悲だ。  具合が悪い設定なので、そのまま自室の寝台で過ごした。  窓から差し込む夕日が室内を橙色に染め始めた頃だ。扉がノックされたかと思ったら、返答するより先になんとアレックスが顔を出した。 「おい。体調は大丈夫なのか」  ライリーは驚いた。扉を勝手に開けられた驚きではなく、ライリーを気遣う言葉に。 「だ、大丈夫です。ご心配をおかけしました。ありがとうございます、アレックス殿下」  なんだ、優しいところもあるんじゃないか。  そう思ったが。 「ふん、誰も貴殿の心配などしていない。ルカに様子を見てこいと言われたから、顔を出しただけだ。この僕に足を運ばせるなんて、いいご身分だな」  ……前言撤回だ。やっぱり、この男は嫌いだ。  ライリーは頬肉を引き攣らせながら、「ははあ、それはどうもすみません」と全く心を込めていない謝罪をした。 「あ、それよりも。勘違いするなよ」  ライリーの傍までやってきたアレックスは、ずいっと顔を寄せる。 「ルカは誰にでも優しいんだ。貴殿だから、特別優しくしたわけじゃない。好かれているだなんて思い上がるな」  思わず「はぁ?」と言ってしまいそうになった。誰も勘違いなどしていない。  アレックスの不機嫌を隠そうともしないその表情。ルカにお姫様抱っこされたところを目撃した時のセオのものとなんだか重なる。  直感が走った。もしや、と思う。 「……ルカさんのことが好きなんですか?」  思わずそう訊ねてしまった瞬間、アレックスの顔が耳まで赤くなった。狼狽した様子で、口をぱくぱくとさせる。 「なっ、なっ、何を…っ……」  こんなにも分かりやすい人を初めて見た。どうやら、図星のようだ。  小憎らしい男であるが、こういう反応は可愛げがある。 「き、貴殿には関係ないだろう!」 「否定しないんですね」 「うるさい! い、言い触らしたりしたら、許さないからな!?」  許さないって、具体的にどうするつもりなのだろうか。いや、もちろん、人の秘め事を言い触らすなんて悪趣味な真似をするつもりはないが。 「そのような品位に欠ける行為はいたしませんが……ルカさんのことがお好きなのに、セオ陛下に娶ってほしいんですか?」  アレックスの狼狽していた顔が、ふと神妙なものに変わる。目線を落とし、ぎゅっと握り拳に力を入れた。 「……僕は公太子として生きねばならないんだ。一番に優先すべきは民の存在だ」  意外にも責任感のある返答だ。ただのわがまま公太子というわけではないらしい。 (って、自死を選ぶ人なんだから、それも当然か……)  少しアレックスへの印象を改めつつも、ライリーは眉をハの字にした。恋心を捨ててまでセオに婿入りする人なのに、あの結末を迎えるのだと考えると、ますます救いようがない話というか、なんというか。 (どうにか、ならないのかな。ルエニア公国は)  吸収されるのではない、降伏するのでもない。新たな第三の道はないのだろうか。

ともだちにシェアしよう!