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第28話 公太子来訪8

 アレックスはすっと踵を返した。 「ではな。僕はそろそろ舞踏会へ行く準備をする」 「アレックス殿下」  ライリーはつい呼び止めてしまった。怪訝な顔をして振り向くアレックスに、余計なお世話なのは重々承知で、訊ねた。 「その、ルエニア公国のことは諦めてしまっていいんですか」  バカなことを聞いている。ルエニア大公たちだって、好きで国を無くす決断をするわけでないだろうに。  案の定、アレックスの目尻がつり上がった。 「他に我が国の民を守る手段があるというのか」 「それは……」 「部外者が首を突っ込むな。……これは、仕方のないことなんだ」  声量こそ落ち着いているが、その声音には怒りが滲んでいる。  無遠慮な質問をしたライリーに向けられたものなのか、あるいは無力な自分自身に抱いているものか、はたまたカシェート帝国に向けたものなのか。  さっさと部屋を出て行ったアレックスは、苛立ちをぶつけるように扉を強く閉めた。      ◆◆◆  ルエニア公国は、王族と国民の距離が近い。  王城には気軽に国民が出入りするし、アレックスも国民に混じって遊んでいた。  ――六歳になる頃までは。 『アレックス。お前は公太子だ。もうそろそろ民と必要以上に仲良くするのはやめなさい』  叱りつけるように言ったのは、ルエニア大公である父だ。 『王族とは民を守る存在なんだ。そのためには、民の上に存在しなくてはならない。平民と同列にいてはダメだ』  当時のアレックスにはよく分からない説明だったが、素直に父の言うことを聞いて国民たちと遊ぶのをやめた。公太子だから、『友達』という存在を諦めた。  それからほどなくして、護衛騎士としてルカが仕えるようになった。当時のルカはまだ二十歳前後と若かったが、幼いアレックスにとっては十分魅力のある大人だった。遊ぶ相手のいないアレックスの相手をしてくれる優しいルカが、アレックスの初恋だ。 『ルカ! ボクが大きくなったら、ボクとけっこんしろ!』  上から目線の告白。とはいえ、ルカは別にその点には触れず、ただ困ったような顔をしてアレックスに言い聞かせた。 『殿下。お気持ちは大変嬉しいのですが、殿下は公太子であらせられる。私のような身分の低い者とは結婚してはなりません。どうか、もっとふさわしい相手をお選び下さい』  これまた、当時のアレックスにはよく分からない説明だったが、やはり素直に失恋を受け入れた。公太子だから、『初恋』を諦めた。 『お父さん! 僕、お野菜を育ててみたいのですが……』  十歳頃のこと。理由はよく覚えていないが、なぜか家庭菜園に興味を持って、その許可を今は亡き生みの父に求めた。が、生みの父は許してはくれなかった。 『ダメです。お前は公太子です。王族の自覚を持ちなさい。ただでさえ、この小さな国の王子という立場で、下に見られてしまうというのに、そのようなことをしては嘲笑されますよ』  その頃には、生みの父の言うことは理解できなくもなかった。アレックス自身は、他の誰に嘲笑されようとどうでもいいが……王族の自覚を持てと言われてしまうと、強行することはできなかった。公太子だから、『趣味』を諦めた。  公太子として、国を、民を、守る存在になるべく努力してきた。将来、父の後を継いで、ルエニア公国をもっと繁栄させようと頑張ろうと思っていた。  ――だが。 『え!? この国を無くす!?』 『そうだ。お前にはセオ陛下の下へ婿入りしてもらう』  カシェート帝国へ婿にいったという叔父が亡くなるなり、父は急にそう言い出した。理由はライリーたちに話した通りの政治的事情のためだ。  父の決断は決して愚かなものではない。民を守るための、きっと賢い選択だ。 『公太子としての最初で最後の、重要な役目だぞ。アレックス』  仕方のないことだ。そう、仕方のないこと。  そうしてアレックスは――公太子だから、『大公になる未来』をも諦めた。  思えば、諦めてばかりの人生だ。  もし、ルエニア公国が消滅し、公太子という身分さえも失ってしまったら。アレックスにはおそらく何も残らないだろう。  赤薔薇宮であてがわれた客室に戻ったアレックスが、舞踏会用の衣装に着替えようとした時だ。扉をノックする音が響いた。 「はい。どうぞ」  一体誰だと思いつつ、入室を許可すると――そこにいたのは、ライリーだった。ライリーとはついさっきまで話していただけに、アレックスは面食らった。 「ライリー殿下? なんのご用だ」 「……先ほど、配慮に欠けた質問をしてしまったことを一言お詫びしたくて。申し訳ありませんでした」  アレックスは意外に思った。生意気な奴だと思っていたが、案外素直なところもある。  ふん、と鼻を鳴らして返す。 「別にいい。僕は寛大だからな。反省しているというのなら許す」 「ありがとうございます。それから、あの。――私と一緒に考えませんか?」  意を決したような顔でライリーは言うが、アレックスは意味を推し量りかねた。一緒に考えようって、何をだ。 「貴殿と何を考えろと?」 「ルエニア公国を消滅させずに済む方法です」  アレックスは息を呑んだ。それは思ってもみない言葉だったのだ。 (ルエニア公国を消滅させずに済む方法?)  そんなものがあるというのか。  ライリーの目が、真っ直ぐアレックスの目を見つめた。澄んだ綺麗な瞳だ。 「来年の春までまだ時間があります。悪あがきかもしれませんが、ギリギリまで粘ってみましょう。何か、いい案が思いつくかもかもしれません」  時間の無駄だ。  そんな都合よく思いつくわけがない。  そう思う、けれど。アレックスが口にしていたのは、別の言葉だった。 「……なぜ、そのようなことを言ってくれるのだ。昨日今日の付き合いでしかないだろう」  普通に考えたら、後宮でのライバルを減らすためだろうと思う。側婿の立場からしたら、他国の王子が正婿につくなんて、目の上のたんこぶでしかないはず。  しかし――ライリーの表情からは、不思議とそういった我欲は感じられない。その目にあるのは、純粋な善意だ。 「付き合いの長さは関係ありません。人が誰かのために動くことに理由も必要ないと思います。……ですが、強いて理由を申し上げるのなら」  ライリーはふっと優しく笑った。 「アレックス殿下は昨夜、私が作った野菜をおいしいと言って完食してくださった。それだけで十分な理由になります」      ◆◆◆

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