34 / 49

第32話 公太子来訪12

     ◆◆◆ 「おお、アレックス。どうした」  ルエニア大公は、愛息子の姿に顔を綻ばせる。  今、アレックスはルカを連れて、ゼフィリア王城の客室を訪れたところだ。 「父上。お話があるんです。お時間よろしいでしょうか」 「もちろん、構わんよ。さっ、入ってきなさい」  失礼します、と口にしてから、客室に足を踏み入れる。ゼフィリア王城の客室は、赤薔薇宮の客室と比べても遜色ない。広く立派な部屋だ。  椅子に腰かけているルエニア大公の傍まで行き、アレックスはすぐに用件を切り出した。 「父上。僕がセオ陛下の下へ婿入りし、ルエニア公国を無くす件ですが、考え直してはもらえないでしょうか」  ルエニア大公は、怪訝な顔になる。 「どうしたんだ、急に。お前には言い聞かせただろう、それしか道はないと」 「いいえ、他に道はあります。ライリー殿下と一緒に考えました。それなら、ルエニア公国を消滅させずに済むんです」 「ふむ……それはどのような」 「カシェート帝国を内部から瓦解させるんです。新たな反戦派の皇帝を即位させれば、すべてを回避できます」  ルエニア大公は沈黙した。顎に蓄えた髭を撫でる。  しばし、静寂が下りた。 「……アレックス。お前にしてはよく思いついた。――だが、無理だ」  きっぱりと、ルエニア大公は言い切った。  アレックスは、眉尻を上げる。 「なぜですか」 「我が国にそんな大掛かりなことをできる人材がいるとでも?」 「ゼフィリアの、セオ陛下のお力をお借りすれば……」 「では、『反戦派』の新たな皇帝になりうる人物をどうやって見つける。誰でもいいというわけでもない。それも、それらを春までに終わらせるなんて、セオ陛下のお力をもってしても、できるはずがないだろう」  冷静に、理路整然と言い返されて、アレックスはたじろいだ。 「そ、それは……」 「アレックス」  ルエニア大公の目が、じっとアレックスを覗き見た。その目には、申し訳なさそうな色がある。 「ルエニア公国を無くすのが嫌だと言うのは分かる。お前とて大公になりたかっただろう。だが、現実を受け入れなさい」  ぽんと肩を叩かれて、アレックスはつい「……はい」と言ってしまいそうになった。自分さえ諦めたらそれでいいのだと。  けれど。 『やれるだけのことはやりませんと。そうでないと、後悔しか残りません』  ライリーに言われた言葉がふと脳裏によみがえる。  気付いたら、アレックスは声を絞り出していた。 「い、やだ……」 「アレックス。だから」 「嫌だ! 僕はもうこれ以上、抗いもせずに何も諦めたくない!」  これまでの人生、公太子だからと色々なものを諦めてきた。『友達』も『初恋』も『趣味』も『大公になる未来』をも。  だが、一人のルエニア公国民として、『国の存続』だけは諦めたくない。 「お願いします! 父上も諦めないで下さい! 我が国の歴史を、ここで終わらせてしまって本当にいいんですか!」 「しかし……」 「セオ陛下にお話だけでもしてみましょう! それで無理だと言われたら、僕も諦めます!」  駄々をこねているようなものなのは分かっている。それでも譲れない思いはある。  ルエニア大公は、そっと息をついた。 「……分かった。そこまで言うのなら、セオ陛下にご相談してみよう」  無理だと思うがな、と続けたが、アレックスはぱぁっと顔を明るくした。 「ありがとうございます!」 「では、セオ陛下の下へ……」  ルエニア大公が言いながら、椅子から立ち上がった時だ。 「――その必要はない」  客室の扉が開いた。顔を出したのは、側近二人を連れたセオだ。  アレックスもルエニア大公も、急な登場に驚いたものの、慌てて一礼した。無論、ルカも。 「すまない。立ち聞きするつもりはなかったのだが、廊下まで話が聞こえてきてな。貴国が私に提案したいことは理解した」  セオはつかつかと部屋に入ってきて、「顔を上げてくれ」とアレックスたちに命ずる。アレックスがそっと顔を上げると、セオの優しげな瞳と目が合った。 「貴殿の愛国心には感服した」 「い……いえ」  一体、どんな返答が返ってくるのだろう。  内心はらはらしながら、セオの言葉を待つほかない。 「元より我が国も、同じ考えを持って裏で動いていた。ただ、ルエニア大公の言う通り、新たな皇帝となりうる人物の捜索に難航している。春までに見つけられなければ、カシェート帝国の侵攻を止めることはできないだろう」  ――あ、とっくにこの考えは思いついていたのか。  それもそうだよな、と思う。アレックスは特に賢いわけでもないのだ。むしろ、頭脳労働は苦手だ。そのアレックスが気付いたことなど、他の誰かが思いつくだろう。  セオの瞳が真っ直ぐアレックスを見つめる。 「アレックス殿下。貴殿がルエニア公国を消滅させたくないというのなら、選択肢は一つだけだ。私の下へ婿入りするのをやめ、余命短いというルエニア大公の後を継ぐこと。私たちの画策が成功すれば、なんの被害も受けないだろうが……もし、上手くいかなかったらゼフィリアと共同戦線を張ってカシェート帝国を打ち負かすしか貴国が生き残る方法はない。――そのすべての責任を背負う覚悟はあるか」  アレックスはごくりと生唾を飲み込んだ。 「……我が国の民を戦わせ、死なせるかもしれない覚悟、ということですか」 「それもあるが。最悪の覚悟もしてもらわなければならない」  最悪の覚悟。  それはきっと――敗北した時、ルエニア大公として処刑される覚悟のこと、だろう。 「ルエニア大公にはすでに許可をもらっているが、実のところ貴殿が私の下へ婿入りしたとしても、ルエニア公国の民だけ戦わせないということはできかねる。元々のゼフィリアの民が納得しないだろうからな。だから、貴殿が私の下へ婿入りしようとしまいと、その点の差異はない。大きく変わるのは、貴殿の立ち位置だ」  なんの責任も負わず、セオの王婿として安穏とした場所で戦を見守るか。  すべての責任を負って、ルエニア大公として最悪の覚悟を持ちながら戦を指揮するか。 「好きな道を選べ。貴殿の人生だ」 「ぼ、くは……」  民の命。これほど重いものはない。  それでも。  アレックスはぐっと顔を上げ、迷いのない瞳でセオを見つめ返した。 「ルエニア公国に関するすべての責任を僕が負います。――ルエニア大公となって」  そのために、アレックスは公太子として生まれ育ったのだから。

ともだちにシェアしよう!