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第36話 ライバル側婿1

     ◆◆◆ 「陛下が無事に帰ってきたようでよかったですね。エザラ様」  青薔薇宮の敷地にて。色とりどりの薔薇が咲く庭にテーブルを置き、座っているエザラにアイスティーを差し出したのは、二十歳前後の青年――ヒューゴだ。  ヒューゴは、エザラが子供の頃から侍従のように仕えてくれている存在だ。ゆえに、セオとの婚姻に伴い、特別にサンドフォード侯爵家から連れてきた。  が、ヒューゴの第二の性はベータ。ゆえに、青薔薇宮内に入ることはできない。現在の立場としては、侍従騎士という言葉が適切だろう。 「ありがとう」  エザラは微笑んで、アイスティーを受け取った。香り高いアイスティーを味わいながら、考えるのはセオとライリーのこと。 (もうすっかり、セオ陛下はライリー殿下にご執心だな……)  セオは帰ってきてすぐ、真っ先にライリーの下へ足を運んだ。エザラのところへ顔を出したのは、それから数日後――つい先ほどのことだ。  ライリーには欠陥オメガ疑惑があるためか、ずっと子を授からずにきたが……きっと、ライリーがセオの世継ぎを産むことになるのだろう。  悔しいかと聞かれたら、どう答えたらいいのか分からない。エザラにとってセオとの婚姻は政略結婚に過ぎず、正直なところ特別な想いを抱いているわけではないからだ。  両想いの二人が愛し合い、子を授かる。それが一番いいことではないか、と個人的には思う。 「……ところで、エザラ様」  ヒューゴの切り出しにくそうな声にはっとし、エザラは顔を上げる。見上げると、ヒューゴは懐から一通の手紙を取り出して、エザラにそっと差し出した。 「旦那様……サンドフォード侯爵からお手紙が届いております。その、お時間がある時に目を通したらよろしいかと」 「ふふ、今がちょうどその時だな。ありがとう」  手紙を受け取って、封を破る。中からは一枚の便箋が出てきた。  文面には、遠く離れた息子を気遣うような言葉は一切ない。ただ、セオの寵愛について、どうする気だと責め立てるような言葉が羅列されている。  ――『我がサンドフォード侯爵家の役に立て』。  文末はそう締めくくられていた。      ◆◆◆ 「うーん……どうしよう」  一方、その頃。赤薔薇宮では、自室で一人ライリーが頭を悩ませていた。考えるのは、セオとエザラのことだ。  セオを愛することを決めたものの……四年後にエザラがセオの子を産むルートをどうすればいいのか分からない。すでに歴史は本来の歴史世界からズレているとはいえ、新しい命が生まれる芽を摘み取ってしまっていいものなのか。  よって、ライリーは自分が欠陥オメガではない、とまではセオに伝えられずにいる。発情期に子作りをすれば、世継ぎを産める可能性は高いと思うのだけれども。  しかしかといって、エザラと子作りされるのも嫌だというこのジレンマ。一体、どうしたらいいんだろう。  悩んでいるところへ、 「ライリー様」  扉がノックされたかと思うと、トマスが顔を出した。  ライリーは思考の淵から呼び戻されて、はっとして顔を上げる。 「トマスさん。どうしましたか」 「エザラ殿下がお見えです」  ――エザラ殿下が?  ライリーは、目をぱちくりとさせた。珍しい。不仲というわけではないが、かといって頻繁に住居を行き来するような親しい間柄でもないのに。 「分かりました。今、行きます」  応え、寝台から立ち上がった。いそいそと応接間に顔を出すと、ソファーに腰かけて優雅に紅茶を味わうエザラの姿がそこにあった。いつ見ても、陽だまりの中の美しい妖精のようだ。 「お待たせしました、エザラ殿下。お元気そうですね」  声をかけると、エザラはふわりと笑んだ。 「お久しぶりです。ライリー殿下もお変わりなく?」 「はい。私も元気ですよ。セオ陛下もご無事に戻ってきたことですし」  表面的な挨拶を交わしながら、ライリーは内心首を捻る。さて、エザラは一体なんの用でやってきたのだろう。  その答えは、存外すぐに判明した。 「それはよかった。――では、私と廃宮の探検に行きませんか?」 「え?」 「夏といったら、肝試しでしょう。といっても、夜は危ないですから、こうして昼間にお誘いしているわけですが」  悪戯っぽく笑うエザラが、なんだか意外だ。肝試しを楽しめるような性格だったのか。  ライリー自身は、肝試しなんて特に好きでも嫌いでもない。幽霊なんて存在を信じていないので、怖いとも思わない。昼間の肝試しというのなら、なおさらだ。  そういうわけなので、ライリーはあっさりと了承した。 「構いませんよ。暇を持て余していたので」  ここのところ、悩んでばかりいたので、気分転換にはちょうどいい。  エザラは、ぱっと顔を明るくした。 「本当ですか。ありがとうございます。では、早速行きましょう」  後宮内とはいえ、護衛に騎士をつけるのかと思ったが、エザラは「二人で楽しみたい」という理由から護衛騎士を連れてきていなかった。エザラが連れてきていないのに、ライリーが連れて行くのもおかしな話だと思い、ライリーもまた護衛騎士を連れては行かず。 (まっ、平和な後宮で何かあるはずもないよな)  エザラと二人だけで、廃宮に向かう。  廃宮というのは、文字通り使用を廃止された宮殿のことだ。かつては、紫薔薇宮と呼ばれていたところだという。けれど、ゼフィリア王国の長い歴史の中で毒を盛られた国王がいて、紫色イコール毒という連想から、廃宮になったそうだ。  長らく使われていない廃宮は、庭からして草木がぼうぼうで手入れがなされていない。鮮やかだったはずの紫色の外壁も薄汚れて変色し、下部には蔦が絡みついている。  いかにも幽霊が出そうな雰囲気、といったらその通りかもしれない。 「ボロボロですね」  つい正直な感想を口にすると、エザラも笑いながら同意した。 「そうですね。もう二百年以上は放置されているところだそうですから」  そんなに放置しているのなら、いっそ取り壊せばいいのにと思ってしまうが、建物を取り壊すのだって費用がかかる。余計な支出は抑えようと、放置したままなのかもしれなかった。 「では、入ってみましょうか」  エザラが先導して歩き出す。ギィィィと音を立てて扉を開けた。すると、窓がカーテンで閉め切られており、日の光がほとんど入っていない。つまり、薄暗く、肌寒い。  肝試しにはもってこい、といった場所だ。

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