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第41話 ライバル側婿6

     ◆◆◆  エザラがヒューゴと出会ったのは、かれこれ十年ほど前のことになる。  まだ八歳だったエザラが、王都の別邸に滞在していた時のこと。真冬の王都の片隅でうずくまっていたヒューゴを見つけ、声をかけたのだ。こんなところで何をしているのか、と。 『……母に捨てられました』  ヒューゴは母子家庭で育ったそうなのだが、母親に恋人ができた途端、ヒューゴのことが邪魔になったらしい。疎まれて捨てられたのだそうな。  他に行く当てもないため、ここで凍え死ぬのを待つだけだと、ヒューゴは力無く笑った。  エザラには他人事には思えなかった。当時のエザラもまた、義父どころか実父からさえもすでに疎まれている存在だったから。  そう、だからきっとヒューゴに手を差し伸べたのだ。ヒューゴに自分の影を重ねて、放っておけなかった。 (ヒューゴは今頃どうしているんだろう……)  その日の夜。エザラは青薔薇宮にて、自室にこもっていた。寝台の上で膝を抱え、浮かない表情で父からの手紙を見つめている。 『サンドフォード侯爵家の役に立て』  これでいい。これで邪魔者は排除できる。  あとはセオの世継ぎを産みさえすれば、父の役に立てるのだ。  そうしたら、きっと――父から愛してもらえる。  そう思うのに、心は晴れない。ヒューゴの優しい笑みも、温かい声も、頭から離れない。 『エザラ様。ボクはあなたに一生ついていきます』  ヒューゴを迎え入れた時、まだ子供だったヒューゴはそう言ってくれた。そして実際、ずっと……後宮入りしてからも、仕え続けてくれた。  これまでのヒューゴとの日々が、頭の中を浮かんでは通り過ぎていく。 「ヒューゴ……」  これでよかったのか。  ヒューゴを犠牲にしてまで、やる価値のあることだったんだろうか。 『エザラ様のためでしたら、僕はどんな役目も引き受けますよ』  何一つ文句を言わず、従ってくれたヒューゴの顏を思い出す。もうあの顔を見られないことに、ずきりと胸が痛む。  ――もし、ヒューゴが処刑されることになってしまったら。  己の侍従騎士に思いを馳せていた時だ。廊下から宮女たちの悲鳴じみた声が聞こえてきた。  同時にいくつもの足音がこちらに近付いてきているのを感じる。一体なんだろうと、自室から廊下に顔を出すと。 「エザラ」  王立騎士を率いてやってきていたのは、なんとセオだった。  驚くエザラに、セオは怖いくらい真剣な顔で言い放った。 「後宮の秩序を乱し、ライリーのことを陥れようとした罪で、――お前を拘束する」      ◆◆◆  エザラが捕縛された。ライリーを陥れようとした罪を暴かれたのだ。  ライリーがそのことを知ったのは、くだんの一件の数日後だった。朝早くにセオが赤薔薇宮に顔を出して、そのことを報告してきた。  なんでも、ヒューゴが真実を話してくれたのだという。 「ヒューゴからライリーに話があるそうだ。ちょっと、付き合ってやってもらえないか」  ライリーは目を瞬かせた。話ってなんの話だろう。  内心首を傾げつつ、セオとともに赤薔薇宮の庭に出た。するとそこには、ヒューゴが待機しており、ライリーの姿を見ると恭しく一礼した。 「朝早くから押しかけてしまい、申し訳ありません」 「いえ、それは構いませんけど……なんのご用でしょう」  なんとなく改まって敬語口調で接するが、ヒューゴは特に何も言わない。セオが近くにいるからだろう、とでも思っているのかもしれない。 「ライリー殿下には、一言お礼を申し上げたかったんです。あんな目に遭わせたのにも関わらず、僕にご助言をくださったことに」  助言。それはもしかして、エザラに対する忠義の姿勢、のことだろうか。 「僕は……エザラ様が間違った道に進もうとするのを止めなかった。止められなかった。エザラ様に見捨てられるのが怖かったから。そう、怖かったんです。間違っていると分かっていたのに、侍従として諫められなかった。――侍従、失格です」  そっと目を伏せ、ヒューゴは心情を吐露する。その目に虚偽の色は見えない。  エザラに見捨てられるのが怖かった。ヒューゴは実の親から捨てられたという話だから、そこに起因する感情だろう。国王に処罰されることよりも、見捨てられることの方が怖いというのは、ライリーにはなかなか理解しがたい感情だけれど。 「……お礼を申し上げたいのは私の方です。あなたが真実を話してくれたおかげで、私は王婿の地位にとどまれます」  そう。ライリーは、セオの王婿のままでいられるのだ。  己の侍従でもない男と二人っきりで過ごした点については確かに外聞が悪いものの、それはエザラの計略であり、ライリーは被害者。ヒューゴも何もなかったと証言しているため、これは逆にライリーを守った方がセオ政権の得になると、上層部は判断したらしかった。もちろん、上層部を説得させるためにセオも奮闘したことだろうが。  ライリーとしては、それでも王婿の地位は降りるべきなのではと思ったが、『氷狼王』のイメージをよくする戦略(可哀想な王婿を守る優しき一途な国王)であり、また、エザラを追い出してさらにライリーまで後宮から追放するというのは、政治的観点から考えてあまりよろしくないのだと説明されたら、受け入れるほかない。  ともかく、そんなわけでライリーは今後もセオとともにいられるというわけだ。  ヒューゴは、柔らかく笑んだ。 「礼には及びません。僕は真実をお話しただけです。どうか、陛下と末永くお幸せにお過ごし下さいませ。本当にありがとうございました」  深々と頭を下げ、ヒューゴは立ち去っていく。セオ曰くもう完全に釈放されており、これからいずこかに旅立つそうだ。  ヒューゴの背中を見送りながら、ライリーはひとりごちる。 「でもなんで、急に真実を話す気になったんだろ」 「ライリーが私のことを真に想って諫めた話を聞いて、はっとさせられたらしい。ようやく自らの間違いに気付いたといったところだろう」 「ふーん……」  大層なことをした覚えはないが、ヒューゴの中の何かを変えられた、ということか。 (でも……エザラ殿下のことは、もういいのかな)  二人がともに歩む道は、これでもう途絶えてしまったんだろうか。

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