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第2話 前世は大聖帝でした
クラークには前世の記憶がある。
前世での名は、山村怜央。異世界からこの世界へ転移してきた彼は、シムディアの建国に携わり、現代に続く教団を創設した大聖帝だ。今でこそ、四聖帝が教団の看板として掲げられているが、遥か昔はたった一人の聖帝だったのだ。
怜央――レオは、真面目で働き者だった。ワーカホリックだったといっていい。しかし、一人の聖帝にのしかかる負担というのは大きく、死ぬ間際に己の能力を引き継ぐ聖帝を四人に分けたことから、聖帝としての能力も四つに分かれた。それが、天候を操る天魔法、生物を癒す治癒魔法、大地に干渉する地魔法、生を育む緑魔法だ。
(タナルに行ったら何があるか分からないからなあ……能力を返してもらおうか)
クラークが他国へ嫁ぐということで、一応……というよりは、笑いにきたのだろう。見送りにきた他の四聖帝から、クラークはさりげなくそれぞれの能力をうば……もとい、取り戻しておいた。これで彼らは能力を使えなくなるが、散々不快な思いをさせられてきたクラークだ。どうなろうと知ったことではない。
そんなことをされたとは露知らず、他の四聖帝たちは言う。
「じゃあ、気を付けろよ、クラーク」
「お元気で」
「寂しくなるなあ」
――嘘つくなよ。あんたら、顔が笑ってるんだよ。
突っ込みは心の中で入れるにとどめて、「はい。皆さんも達者で」とクラークは努めてにこやかに返した。いちいち突っかかるのも面倒臭い。
表面上は仲のいい四聖帝に見えるだろう。そう思うと、虫唾が走る。三食昼寝付きの生活を手放さなければならないのは悲しいが、彼らとおさらばできるというのは清々しい。
「では、行きましょうか。クラーク様」
柔らかな声でそう促したのは、タナルからクラークを迎えにきた騎士エラムだ。十六歳のクラークよりも一回り近く年上の青年で、穏やかな笑みを口元に湛えている。聞けば、クラークが嫁ぐ第一王子サイード直属の睡蓮騎士団の若き騎士団長なのだとか。
これから彼とともに、まず総本山である山を下りて、麓に停めてあるという馬車で港へ向かい、船でタナルがある大陸へ移動することになる。一ヶ月はかかるだろう長い旅路だ。
(……あーあ、三食昼寝付きの生活が…………)
その点だけは後ろ髪を引かれる思いで、クラークはエラムとともに総本山を後にした。
タナル王国。国土の大半が砂塵の荒れ地で、作物を育てることに向かない。けれど、その代わりにいくつも鉱山があり、宝石を採掘して輸出することで国益を得ている。と、旅の道中にエラムが教えてくれた。
では、第一王子サイードとはどういう人物なのだと訊ねると、それには「殿下から会うまでの楽しみにしておいてほしいと言え、と仰せつかっていますので」と答えてはくれなかった。国王がまだ五十路ということだから、脂ぎったおじさんというオチはないはずだが。
(……まあ、どんな相手だろうと婿入りしなきゃならないんだから、気にしてもしょうがないか)
そう己を納得させることにして、食い下がることはしなかった。お望み通り、会うまでの楽しみにしておこう。
そんなこんなで、一ヶ月の長い旅路を終え――。
「ここからタナル王国になります」
国境を越えて足を踏み入れた先は、聞いていた通り荒れ地だった。どこまでも砂塵が続いていて草木がまるで見えない。気温が高く、空気も乾燥していて、喉が渇く。
こまめに水分補給をしながら、『砂漠の船』とも呼ばれるラクダに揺られること、半日。日が傾く前には王都に辿り着いた。そこは白い石材で建築された建物がずらりと並び、奥には大きな丸屋根をいただいた壮麗な宮殿が見える。あそこが王宮だと、エラムが説明してくれた。
王宮へと向かいながら、クラークは街並みを見回す。
(ふーん。街には多少、緑があるな)
生きていくのに水は欠かせない。街が形成されているということは水場があるということだから、荒れ地といえど草木があってもおかしくはないだろう。それでも、自然豊かなシムディアに比べたら、圧倒的に草木が少ないことは間違いないけれども。
シムディアとは気候も食べ物も全く違う生活がこれから待っている。適応できるか不安がないわけではないが、それよりもこれまでの生活スタイルが崩れるのが嫌でならない。
(はあ、三食昼寝付き……)
往生際悪く聖宮での生活に未練を残しつつ、歩いているとやがて王宮に到着した。宮殿の前には門番の兵士が二人おり、彼らはエラムの姿に気付くと敬礼をとった。
「これはエラム様。お疲れ様です」
「お疲れ様です。シムディアから聖帝様をお連れしました。中へ通していただけますか」
「もちろんです。どうぞ」
特に身体検査をされることなく、クラークもエラムも中へ通される。大理石で築かれた宮殿の中はひんやりとしていて、冷たい空気が心地いい。
先を歩いていたエラムは、穏やかな表情でクラークを振り返った。
「クラーク様。まずは国王陛下の下までご案内します」
「お願いします」
一人になったら確実に迷子になりそうなほど、宮殿は広い。はぐれぬようにエラムの後ろにぴったりと張り付いて、タナル国王がいるという謁見の間まで歩いた。
「失礼します、陛下」
エラムに続いて謁見の間に入ると、広い空間の奥に玉座があってそこに五十路のほっそりとした男性が座っていた。その傍らには、十代前半の小柄な少年もいる。
おや、と思う。まさかこの年で側近というわけでないだろうし、もしかしてタナル国王の息子だろうか。第一王子サイードの弟とか。
そんなことを思いつつ、男性の前に片膝をつくエラムにならってクラークも隣に跪いた。相手は一国の王だ。義父になる人物とはいえ、敬意を払わねばなるまい、と頭を下げる。
「シムディアから聖帝様をお連れしました。彼が聖帝であらせられるクラーク様です」
「うむ。ご苦労だった。二人とも、顔を上げてくれ」
その言葉にクラークもエラムも顔を上げる。すると、にこやかな表情を浮かべた、優しそうな男性の顔がそこにあった。
「ようこそ、いらっしゃった、クラーク殿。私はタナル国王ジャミル。クラーク殿の義父となる立場だ。あまり堅苦しくしないでほしい」
穏やかに笑うタナル国王に、クラークもふわりと微笑んだ。
「お会いできて光栄です、ジャミル陛下。クラークと申します。ふつつか者ではございますが、精一杯サイード殿下をお支えしたいと思っております」
「そうか、ありがとう。……ほら、サイード。お前も挨拶をしなさい」
タナル国王から促されて、傍にいた少年が「はい」と前に進み出る。思わず「えっ」と声がこぼれてしまった。この少年がサイードだと。
(まだ子供じゃん)
この子供とクラークは結婚するのか。シムディアでは十六歳から結婚可能だが、タナルではこの年齢でもう結婚できるのだろうか。
内心驚いていると、目の前までやってきた少年は「どうぞ、お立ち下さい」と言って手を差し出してきたので、クラークはそのふっくらとした手をとって立ち上がった。
少年の背丈は小柄なクラークと大差ない。幼さの残る顔も、カッコイイというよりも可愛いという言葉が似合う。くりくりとした大きな瞳は青く、襟足の短い髪は漆黒で、鮮やかな赤毛と琥珀色の瞳を持つクラークとは雰囲気が違う。
少年は優雅な仕草で腰を折った。
「お初にお目にかかります、クラーク殿。私はタナル王国第一王子サイード。この通りまだ子供ですが、末永くよろしくお願いします」
少年――サイードは流れるような動作で、クラークの手の甲に口付けを落とす。平民出身のクラークにとっては慣れないことをされたものだが、頬を赤らめる……なんてことはなく。子供ながら王子なんだな、と冷静に思った。
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