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第5話 夜営
その日の夜は、どんちゃん騒ぎだった。
といっても、みなが飲んでいるのは酒ではない。地表に湧き出た水だ。水を頭から被る騎士もいて、すごい喜びようだなあ、とクラークは騎士たちを他人事のように眺めていた。
(まあ、成功してよかったな)
上手くいくだろうとは思っていたが、成功が保証されていたわけではない。上手くいってよかったという安堵感はある。
無数の星が瞬く夜空を見上げた、時。
「クラーク様。お隣、よろしいでしょうか」
「エラムさん」
クラークは「どうぞ」と促した。今、クラークは荒れ地に布を敷いて座っているが、エラムは地面に直接、腰を下ろした。
「お体は大丈夫ですか? 長い間、ずっと魔法とやらを使っていましたが」
「エラムさんまで……平気ですよ。ありがとうございます」
体を労わられるというのが、どうにも慣れない。例のごとく大聖帝時代は気遣ってくれる人なんていなかったし、クラークはこれまでおおやけに能力を使っていなかったし。
エラムは目を瞬かせた。
「まで、というと……もしかして、サイード殿下からも労りのお言葉を?」
「はい。もう何日も前のことですけど。やっぱり、娶って早々に私を死なせたらマズイと思っていたんでしょうかねえ」
戦争の引き金になるかもしれないから、と付け加えると、エラムはなんとも形容し難い表情を浮かべた。
「それは否定できませんが……ドライなものの見方をする方ですね、クラーク様は」
「他に理由がありますか?」
「……サイード殿下のお心を覗き見たわけではないので、お答えできませんが。私は純粋にクラーク様のことを心配してのことだと思いますよ」
今度はクラークが目を瞬かせた。
「私のことを心配? 会って、たかが一ヶ月の私を?」
「人の心配をするのに一緒にいた時間なんて関係ないでしょう。それを言ったら、会って二ヶ月しか経たない私だって、クラーク様のお体を心配しているわけですから」
確かにその通りだ。けれど、エラムとは旅の道中で打ち解けたというのもある。一方のサイードとは話すのは国土開拓のことばかりで、打ち解けたとは言い難い。
(俺のことが心配、かあ)
本当にそうなんだろうか。国のことを考えて、という方が納得いくけれど。
そんな考えが顔に出ていたのかもしれない。エラムは苦笑してから、もう一度言った。
「本当にクラーク様のことを心配してらっしゃったのだと思いますよ。……サイード殿下のオメガの父君は、二年前に辛労がたたって亡くなられたばかりですから」
思わぬ話だった。亡くなるほどの苦労をしたというのは、大聖帝時代のレオと重なるところがある。それも二年前というと、最近の話じゃないか。
「そう、なんですか。王婿というのは、そんなに大変なんですか?」
「王婿だからというより……ジャミル陛下の夫だから、でしょうかねえ。いえ、ジャミル陛下のことを悪く言うつもりはないのですが、あの方は些か楽観的で頭脳派でもなく、あまり政務に向いていない方でして。亡き王婿様はその代わりにバリバリと政務をこなして、ジャミル陛下を支えていらっしゃいました。そんな無理がたたったのでしょう。過労で倒れられて、そのままお亡くなりに……という流れです」
そういえば、サイードもタナル国王のことをお花畑脳だと評していたことを思い出す。優しく気さくないい人だが、人柄と国王としての手腕は一致しないということのようだ。
「ですから、サイード殿下は自分がしっかりせねば、と気負っているところがありまして。夫となる男性には亡き父君のような思いはさせたくない、そう思っているのでしょうねえ。まあとにかく、そういう事情ですから、クラーク様のことを純粋に心配されたのだと思います」
エラムはまるで保護者のような眼差しで、サイードについて語る。聞けば、サイードが三歳の時から護衛として付き従っているそうで、もう親のような心境なのかもしれない。
「サイード殿下は気難しいところもありますが、心根は国民思いの優しい方です。どうか末永くよろしくお願いします。……では、私はこれで」
にこやかに笑ってエラムは立ち上がり、盛り上がっている騎士たちの下へ行く。それと入れ代わるようにして、隣に座ったのはサイードだった。
「エラムとなんの話をしていたんだ」
口調こそ落ち着いているが、その表情は少々不快げだ。どうしたんだろう、と内心首を傾げつつ、クラークは曖昧に答えた。
「ただの世間話ですよ。気になるんですか?」
「俺の花婿となる男性が他の男と二人っきりで話していて、気にならないわけがないだろう」
色恋沙汰とは無縁に生きてきたクラークには、理解できない感情だった。自分以外との男性との話が気になる。そういうものなのだろうか。
「で、なんの話をしていた」
「サイード殿下のお父様が二年前にお亡くなりになったこととか、そのせいか私のことを心配してくれていたんだろうとか、そんな話ですよ」
「……お喋りな奴だな、エラムは」
ふん、と鼻を鳴らしてから、サイードはクラークを見た。
「体調に変わりはないか」
「だからあの程度の魔法なんて大丈夫ですって。私だって過労死するなんて嫌ですから、無理はしませんよ」
「なら、いいが。……ところで、君の能力について事情があるというのはなんだったんだ」
咄嗟に言われた意味が分からなかったが、ほどなくしてクラークは昼間のサイードとのやりとりを思い出した。
そういえば、無価値な聖帝として厄介払いされたという話だったのに、シムディアでも役に立ちそうな能力を持っている理由を、機会があったら話すと言っていたのだった。
(うーん……といっても、何から話すべきか……)
前世が大聖帝だったんです、なんて言ったところで信じてもらえるだろうか。けれど、そのことを話さなければ、他の四聖帝たちから能力を回収したことを説明できない。
まあ別に信じてもらえなくてもいいか、とクラークは包み隠さず話すことにした。
「その話ですか。実はこの国にくる前に、他の四聖帝たちからそれぞれの能力を取り戻しまして。信じてもらえるか分かりませんが、私は前世で大聖帝だったんですよ」
突拍子もない話だろうに、サイードは冷静に訊ねた。
「大聖帝……というと、四聖帝とは違うのか?」
「はい。今でこそ、シムディアには四人の聖帝が存在しますが、遥か昔は四つの能力を兼ね備えたたった一人の聖帝だったんです。それが前世の私で、大聖帝と呼ばれていました」
「ということは、今の君は『恵みの聖帝』というよりは、大聖帝ということなのか」
「そうですね」
「ほう……それはまた、すごい話だな。前世の記憶があるとは」
相槌を打つサイードの表情は真面目だ。クラークの話を嘘だと思っている風には見えない。そのことが意外で、自ら語っておきながらクラークは戸惑った。
「……あの、信じてくれるんですか?」
「ん? 俺の花婿となる男性を信じられなくてどうする。だいたい、そんな嘘をつく理由がないだろう。君が色んな魔法を使えることはこの目で確認済みだしな」
「………」
「大聖帝、か。さぞ国のために尽くしたんだろうな、前世の君は」
「まあ……そう、ですね」
その結果が過労死だったわけだけれども。
サイードはそれが分かっていたわけではないはずだ。それなのに予想外の言葉を口にした。
「だが、今世ではあまり無理をするな」
「え?」
「こうして君の能力に頼っている状態では説得力がないだろうが、それでも一番に自分の体を大切にしてほしい。国のために命を削る必要はない」
それは思わぬ言葉で虚を突かれた。
一番に自分の体を大切にしてほしい。大聖帝時代にそんな言葉をくれた人はいなかった。国のために奉仕することが当たり前で。
父親を辛労で亡くしたというサイードだからこその言葉かもしれなかった。クラークの体を純粋に心配しているのだろう、というエラムの言葉はどうやら正しかったようだ。
「……お気遣いありがとうございます、サイード殿下」
過労死するほど能力を使うつもりは初めからなかったものの、自分の身を案じてくれる人がいるというのはありがたいことだ。
ふっと表情を和らげて感謝の意を述べれば、サイードは仏頂面で「いや」と短く返した。互いに焚き火を見つめながら沈黙したままでいたが、不思議と空気は重苦しくなかった。
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