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第8話 婚約ペンダント

 まだ街灯のない村では、夜空の星がより一層綺麗に見える。淡く輝く月明かりの下、クラークはサイードに呼び出されて、オアシスの前までやってきていた。 「どうしたんですか、サイード殿下」 「君に渡したい物があってな。だが、それよりもまず今までの礼を言わせてくれ。国土開拓してくれただけでなく、病まで終息させてくれてありがとう」  改まって深々と頭を下げるサイードを、クラークは眉をハの字にして「頭を上げて下さい」と声をかけた。王子に頭を下げられるなんて、なんだか居心地が悪い。 「私は私にできることをしただけです。それに結局は楽をしたい自分のためですし……お礼なんて不要ですよ」 「それでも、だ。君の能力には非常に助けられた。それが事実だ」  表情を和らげて言うサイードは、成長期なのか今ではすっかりクラークよりも背が高い。幼さの残る顔も大人びつつあり、もう可愛いとは言えないかもしれない。 「それにしても、君はまるで女神のような存在だな」 「女神……ですか?」 「ああ。我が国では豊穣の女神が崇められているが、荒れ地に緑をもたらしてくれた君はその女神にそっくりだ。あ、容姿が似ているということじゃないぞ」 「……平凡な顔で悪かったですね」  美しいと言われたいわけではないが、いちいち似ていないなんて言わんでもいいだろう。余計な一言だ。  ぶすっとして言うと、サイードは可笑しそうに笑った。 「君だって悪い顔はしていないだろう。俺は好きだぞ、君の顔は」 「お世辞は結構です」 「そう怒るな。それに世辞じゃない。俺は君のことを好ましく思っている」  さらりと言いながら、サイードは懐から取り出した宝石がはめられたペンダントを、クラークの首にかけた。透き通るような青い、サイードの瞳のような色合いの宝石だ。 「……これは?」 「遅くなったが、婚約した証のペンダントだ。我が国では指輪ではなく、ペンダントを贈るのが風習なんだ」  エラムの部下が王都に行っていた理由が、この婚約ペンダントを受け取るためだったらしい。 「ちなみにその宝石はアイオライト。石言葉は『初めての愛』だ」  クラークは頬肉を引き攣らせた。『初めての愛』だと。まさか、クラークを愛しているとでも言うつもりなのか。  クラークの苦々しい表情からサイードは考えを察したようで、また笑った。 「普通、愛していると言われたら喜ぶものだと思うが」 「あ、愛してくれているんですか……?」 「いや? まだその領域には達していないと思う」  あっさりとサイードは否と答えた。愛していると言われても反応に困るが、正直な人だ。そこは嘘でも愛していると答えるところではないのか。自分で訊いておいてなんだが。 「じゃあ、どうしてそんな石言葉の宝石を私に……」 「『初めての愛』を君に抱けたらいいな、という意味で選んだ。自分の瞳の色と似た宝石を贈るのが一般的というのもある。まあとにかく、これで君は名実ともに俺の婚約者だ」  どう反応したらいいのか分からない。喜ぶべきところなんだろうか。サイードとはもう一年以上ともに過ごしているとはいえ、サイードに抱く感情はせいぜい親愛といったところだ。政略結婚なんてそんなものと言われたら、その通りかもしれないけれども。  サイードはそっとクラークの頬に触れた。 「まだ婚約者という曖昧な地位で申し訳ないが、俺が成人するまで待ってくれ。その時は盛大に結婚式を挙げよう。そうしたら、君は正式に俺の婿になる」 「それで将来的には王婿、ですか」 「そうだな。そうなったら、あまりのんびりさせてやれなくなるかもしれないが、三食昼寝付きの生活を送らせられるよう努力はする」  ありがたい気遣いとはいえ、変わった人だと思う。それほどまでに亡き父親の死因がトラウマになっているのだろうか。  ……なんとなく、だけれど。クラークはサイードの婿に相応しいとは思えない。サイードにはもっと、真面目で勤勉で心優しい伴侶が合っているのではないか。そう感じる。  けれど、それを口にすることはなかった。 「……ありがとうございます。サイード殿下もあまりご無理をされぬよう」  恭しく一礼して、クラークはその場を後にする。といっても、これから同じ家で暮らすので帰る先は一緒なのだが……それでも、今はサイードと一緒に戻るのは憚られた。サイードの隣を歩く資格が、自分にはないように思えて。  働かずのんびりと暮らしたい。大聖帝としての能力をなるべく使いたくない。大聖帝レオのような人生はごめんだ。  そう思うのに……なんだか、サイードの生き方が眩しい。そして、サイードの理解ある優しさに後ろめたさのようなものも感じる。 (俺の生き方は……間違っているのか?)  初めて、自身の人生観に疑問を抱いた日だった。  そしてその後、サイードは新たな地方をヒデナイト地方と名付けた。ヒデナイトというのは宝石の一つで、『自然の恵み』という石言葉があるのだそうだ。  国土開拓した地、ヒデナイト地方。  その地方領主として、サイードが正式赴任した。

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