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第18話 イルゲントの蝗害2

 それから半月後、予定通りイルゲントの地に足を踏み入れた。  イルゲント国王にはタナル国王から、蝗害を止めるために息子とその婚約者を派遣した旨の書状が事前に送られている。本来ならまず王都にいるイルゲント国王へ挨拶をしに行かねばならないところだが、事態は急を要する。事後報告することにして、イルゲントの地に立ったクラークは、早速、天魔法を発動させた。  晴れ渡っていた空に少しずつ暗雲が立ち込め、やがてぽつぽつと雨が降り出す。やがて豪雨となり、イルゲント中に雨をもたらした。 (くっ……やっぱり、消費魔力が大きい)  少なくとも今は耐えられるが、これを半年間続けるというのは、サイードが危惧していた通り心身に負担がかかりそうだ。だからといって、やめるという選択肢はないけれど。  なるべく雨を降らせていたいということで、睡眠は二日に一回とる。サイードは毎日睡眠をとれと言ってくれたが、バッタの進行速度が分からない。タナル国内へ侵入させないためにも、さっさと終息させたかった。  二日間天魔法を使い、一晩休んで魔力を回復させ、また二日間雨を降らせ、一晩眠る。そのサイクルを繰り返すこと数ヶ月――。 「クラーク! もうやめろ!」  真っ青な顔をして天魔法を使おうとしたクラークに、見かねたサイードがとうとうストップをかけた。 「確かに蝗害というのは恐ろしい災害だが……世界中の作物を食い荒らしたなんて話は聞かない。黙っていてもいずれは終息する。作物不足になったら、他国から輸入すれば問題ないはずだ。君が無理をしてまで止める必要は……」 「――私、変わりたいんです」  サイードの言葉を遮って、クラークは心の内を吐露した。 「以前までずっとやる気がなくて、頑張ろうなんて思ったことがなくて。でも今は、無理をしてでも蝗害を止めたい、心からそう思っています」 「……何故だ」 「ヒデナイト地方での生活が、頑張ることの楽しさを私に教えてくれた。だからヒデナイト地方のみんなを守りたい。私は私の人生を全力でまっとうしたい。それから――」  クラークはサイードを真っ直ぐ見上げた。 「サイード殿下。私はあなたに相応しい夫になりたいです」  サイードは以前、『初めての愛』を君に抱けたらいいな、と言ってくれた。クラークもそうだ。『初めての愛』をサイードに抱きたい。サイードのことを愛したい。  そのためにも、クラークは変わらなくてはならないのだ。 「最後までやらせて下さい。――大丈夫、私は死にませんよ」  にこりと、クラークは笑った。  その表情から意志は固いと判断したようだ。「止めても無駄なようだな……」とサイードはため息をつき、そっとクラークの頬に手を触れた。 「……だが、これだけは言わせてくれ。こんなことをしなくたって、君は俺にはもったいないほどの花婿だ」 「そんなことは……」 「君は君自身の美徳に気付いていないだけだ。とにかく、もし倒れたら計画は中止にしてタナルへ連れ帰る。それまでは思う存分にやるといい」 「ありがとうございま……わっ」  よろめくクラークをサイードは横抱きにして持ち上げ、ラクダに乗せる。もうクラークの体なんて軽々と抱えられるほど、サイードは成長したのだな、と思わせられる。出逢った頃の子供ではないのだ。  そのことに内心どきどきしつつ、クラークは天魔法を発動した。タナルほどではないにせよ、ここイルゲントもあまり雨が降らない地域なので、雨雲を呼び寄せるのに余分に魔力を使う。イルゲント全土ともなれば、心身に負担がかからないわけがない。  それでも、クラークはやるのだ。  さらに同じサイクルの生活を送ること――一ヶ月。睡眠をとるべく、サイードの手を借りてラクダから降りようとした、その時だった。 「イルゲント国王からの伝令です! 蝗害が収まった、おそらくバッタは殲滅されただろう、とのことです!」  イルゲントの兵士が、息を弾ませてやってきた。その声には嬉々とした響きがある。  何故イルゲントの兵士がクラークたちの居場所が分かったのかというと、クラークが長雨を降らせている数ヶ月の間に、睡蓮騎士団の騎士がイルゲント国王の下へ代理で挨拶をしに行き、クラークたちの場所を伝えていたためだ。  ともかく、蝗害が収まった。そのことにクラークはほっと胸を撫で下ろした。 (終息した……! よかった……!)  作戦が上手くいった。イルゲント内で終息させたのだから、タナルに被害は出ない。そのことに対する安堵感から、クラークの全身から力が抜けた。 「クラークッ」  サイードへ倒れ込むようにラクダから転げ落ちたクラークは、焦ってクラークの名を呼ぶサイードの声と、蝗害が収まって歓喜の声を上げる睡蓮騎士団の騎士たちの声を遠くに聞きながら、そこで気を失った……。 「ん…っ……」  ゆるゆると目を開けると、天蓋が見えた。どうやら、天蓋付きの寝台に横たわっているらしい、と目を覚ましたクラークは気付く。 「クラーク!」  聞き慣れた声がした方向へ、クラークは顔を向ける。そこには、気遣わしげな顔をしたサイードが椅子から立ち上がって、クラークの顔を覗き込んでいた。 「大丈夫か!?」 「えーっと……はい。それよりも、ここは?」  上体を起こして訊ねると、クラークのいつもと変わりない様子に安堵したらしい。サイードは見るからにほっとした顔をして答えた。 「イルゲント王宮の客室だ。君をタナルへすぐに連れ帰るべきかと思ったんだが、イルゲント国王の下に一度も顔を出さないのもどうかと思ったのと、イルゲント国王から招かれたこともあって移動したんだ」 「そう、なんですか」 「気絶してから半月も眠っていたんだぞ。こうして目覚めてくれたからよかったが……もう目を覚まさないんじゃないか、と肝が冷えた」  そう言うと、サイードはおもむろにクラークを抱き締めた。突然の、それも初めての抱擁に、クラークは驚くと同時に頬を赤らめた。 「サ、サイード殿下?」 「目が覚めて本当によかった……! 君が死んでいたら、俺は……!」  力強く抱き締められて、クラークはおずおずとサイードの背中に腕を回した。抱き締め返すと、サイードの腕の力がより一層強くなる。 「……ご心配をおかけしまして、すみません」 「無事だったのだからいい。だが、約束してくれ。もうあんな無茶はしないと」  クラークからサイードの表情は見えない。けれど心優しいサイードのことだから、きっとひどく胸を痛めているのだろうな、と思った。  こんなにもクラークの身を案じてくれる人がいる。それはとてもありがたく幸せなことなのだと思う。  はい、とこくりと頷いて。  クラークはサイードと、しばらく抱き合ったままでいた。 「いやあ、クラーク殿が目覚めてよかった!」  クラークが目を覚ましたことを報告すべくイルゲント国王の下へ行くと、まだ三十路であろう若きイルゲント国王は玉座で快活に笑った。 「今夜は感謝の宴を開こう。クラーク殿には蝗害を止めてもらい、サイード殿下からは食糧援助までしてもらえることになって、本当にいくら礼を言っても足りないくらいだ」  クラークは目を瞬かせた。……食糧援助?  タナルだって決して豊作の国とは言えないだろうに、サイードはイルゲントへ食糧援助をするつもりなのか。  クラークはこそっとサイードに耳打ちした。 「お義父上の許可は?」 「例によって事後報告だ。ヒデナイト地方の備蓄庫の分はな。国の備蓄庫からの方はさすがに書状で伺いを立てているところだ」 「そうですか……」  しっかり者のサイードのことだから、ただ単に善意で食糧援助するというわけではないだろう。リグの難民を受け入れていた時にも言っていた通り、仲良くしておきたいから恩を売る、といったところだろうか。もちろん、人として困っている国には純粋に援助したいという気持ちもあるだろうけれど。  ともかく、その日の夜は宴が開かれ、数日後にはタナルへ出発することになった。一ヶ月に及ぶ道中を経てタナルへ帰国し、そこからタナル国王へ報告すべく王都へ向かう。  きっと、すぐにタナル国王と謁見できるだろう。そう思っていたのだが――王宮に着くなり、出迎えたのは宰相だという初老の男性ヨーゼフだった。 「ヨーゼフ。久しぶりだな」  サイードが猫かぶりモードでにこやかに声をかけても、ヨーゼフの表情は厳めしいままだった。そんな社交辞令はどうでもいいという顔で、さっさと本題に入る。 「サイード殿下。お父上はもう国王ではありませんよ」  予想外の言葉にサイードだけでなく、クラークも目を点にした。 「は? 父上が国王じゃない? どういう意味だ」 「そのままの意味です。殿下がイルゲントに滞在中に、新しい国王が即位しました」 「何を言っている。俺以外に誰が国王に……」  そうだ。タナルにはサイードしか王子がいない。サイード以外に誰が国王になれるというのだ。  戸惑うクラークたちに、ヨーゼフは思わぬ人物の名を口にした。 「――ラシード殿下ですよ」

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