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オーマイダーリン 前編
七海が夏休みに修作のアパートに遊びに行ってから、早いもので2ヶ月が経とうとしていた。食事もシャワーも済んだ夜9時過ぎ、机に置いてあるスマホが鳴って通話ボタンをスライドすると、電話口から聞こえてくる声に七海は思わず笑みをこぼす。修作が居酒屋のバイトのない日に電話をくれるのが、七海にとって何よりも幸せな時間だ。今日もいつものように他愛もない話をしていると、話題は来週末の文化祭のことになった。
『そういえば、来週文化祭じゃなかったっけ?』
「そうだよー!クラスと部活、両方担当があって毎日忙しくて。でもオレ、すっげー頑張ってるから!」
『そっか』
そう誇らしげに話すと修作に褒めてもらえて、七海は笑みをこぼす。
‥本当はその頑張りを見てほしいのだけれど、大学もバイトも忙しく、ましてや遠くにいる修作に七海はずっと
“遊びに来てほしい”
そう伝えることができずにいたのだけれど。
『‥ねえナナ』
「んー?」
『俺、文化祭行ってもいい?』
「えっ?」
『いや、ナナが嫌だったらやめとくけど‥』
修作の言葉に面を食らって七海は一瞬答えに詰まってしまったが、すぐに言葉を返す。
「‥きっ、来て!来て来て!超来て!!」
その慌てぶりに、修作は声を出して笑った。
『ぷっ‥なんだよもう、もっと早く誘ってよ。何も言ってくれないから行かない方が良いのかと思ってた』
「だって‥修くん、大変そうだから‥お金もかかっちゃうし」
『‥ナナって時々、変なトコ遠慮するよな』
「?」
『大学生の経済力ナメんなよ』
「‥‥ふふっ‥あはは、修くんカッコイー!」
『そ、そこ笑うとこじゃねーからっ!』
電話先でドヤ顔の修作が目に浮かんで、今度は七海が大声で笑った。
『そういえば、ナナのクラスって何やるの?美術部では作品展示するって言ってたけど』
「うんとねー‥ナイショ!」
『えっ??』
「来週楽しみにしてて!」
電話先でふふーんと鼻歌を歌っている七海に、修作はクエスチョンマークを飛ばすばかりだった。
********
10月最終週の土曜日。いよいよ文化祭当日がやってきた。
修作はあれから何度か七海に文化祭の出し物について聞いてみたのだが『内緒』の一点張りで、結局何もわからないまま当日を迎えてしまったのだった。
朝8時の新幹線に乗って久しぶりに地元に帰ってきた修作は、途中偶然会った中学からの友人と高校へと向かう。お互い地方の大学へ進学したため会うのは卒業式以来で、思い出話やキャンパスライフの話に花を咲かせ、気がつくと既に懐かしさの漂う母校に到着していた。
(えー‥っと、ナナのクラスは‥)
校門で手渡されたパンフレットを開き、修作は上から順に目で追っていく。 青葉西高校の文化祭は毎年個性的な出し物をすると地元ではかなり有名で、今年も手作りのプラネタリウムやお笑いライブなど、興味をそそられる項目が修作の目に飛び込んできた。
「後輩んとこ?」
「んー‥あ、あった。2Aは‥女装メイド喫茶‥へー‥‥‥は?!?!」
修作の大声に驚いて、友人がパンフレットをのぞき込む。
「なに?ははっ、女装だって!すっげー楽しそうじゃん!行こ行こ!」
「ちょっ‥」
友人に強引に手を引かれ、修作は心の準備ができないまま、七海のクラスへと向かうこととなった。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
「「‥‥‥」」
坊主頭でガタイのいい、おそらく野球部員だろうと思われる男子生徒にとびきりのスマイルを向けられ、お世辞にも似合うとは言えないメイド服姿の衝撃に修作達は動揺を隠せないでいた。そんな事はお構いなしに、ノリノリの男子生徒は二人の手を強引に引いて、空いているテーブルへと案内した。
(ナナもこの格好してるんだよな‥)
肩で風を切って去っていく男子生徒の後ろ姿を目で追いながら、修作はふとそんな風に思った。七海の白くて華奢な身体には、このモノトーンで細みの服がよく似合うだろうと、頭の中でその姿を描いてみたが、思わずあらぬ方向へ行きそうになる想像を、修作は理性で無理やり止めた。
「修作先輩!」
突然呼ばれて、心が読まれたのかと思った。電話口と変わらないその声にドキリとしてしまったのは、いつもと違う懐かしい呼び方で呼ばれたから。修作は期待と不安が入り交じる中、恐る恐る声のした方へ顔を上げた。
「ぷっ‥‥おっ前、ソレ‥っ」
唇からはみ出すように塗られた真っ赤な口紅と瞼にこれでもかというほど真っ青に盛られたアイシャドウが絶妙なコントラストを生み、極めつけは赤いポンポンのついたゴムで適当に結んでいる髪の毛。‥どうやらそれが修作のツボに入ったらしい。 堪えきれず大爆笑している修作を見て、七海はプーっと頬を膨らませた。
「もー!何で笑ってんの?!」
「いや‥っ、想像の斜め上をいってたから」
「想像って何ー?!」
「えっいや‥ほ、ほら、仕事して!俺達お客!」
修作は言葉を濁して向かい側に座っている友人に視線を送り、それに気付いた七海は慌てて会釈をすると、2人から注文をとってバタバタとカウンターの奥へと走っていった。
「ナ‥一ノ瀬は今日忙しいの?」
「もうちょっとで今日の当番終わるよ!そしたら一緒にまわろー!」
「うん、分かった。ごちそうさまでした」
「終わったらラインするね!‥あ!」
「?」
「行ってらっしゃいませご主人様♡」
「っ‥そーいうのいいから!!」
「あははー、じゃあ後でね!」
七海は無邪気な笑顔を見せると、修作にブンブンと手を振って他のテーブルに注文を取りに向かった。
「お前、随分懐かれてんのな」
「えっ?そ、かな」
ドアを出たところで友人にそう言われ、修作は浮かれているのがバレたのかと思い慌てて言葉を返した。
「元々後輩の面倒見良かったけど、すげー仲良さげに見えた」
そう話す友人に修作は複雑な表情を浮かべる。‥七海のことはまだ誰にも話せないでいたから。
********
「七海くんお疲れ様ー」
手作りのカウンターの奥から顔を覗かせ、依伊汰はふわふわとした声で七海に労いの言葉をかけて、辺りをキョロキョロと見回した。
「あれ?もう帰っちゃったの?」
そう話をするのはもちろん修作のことだ。
「ううん、部活の後輩のトコ行くって。当番終わったら一緒にまわるんだー!」
そう嬉しそうに話す七海を見て、依伊汰も顔がほころぶ。
「挨拶したかったなぁ。ねぇ穂輔くん?」
「んー?ああ」
テーブルを片付けて戻ってきた穂輔は手に持っていたトレーとダスターを乱雑にカウンターに置くと、小さく息を吐いてコキコキと首を鳴らした。
依伊汰と穂輔は七海と修作の関係を知っている。特に穂輔は、1年の時に二人が空き教室で会っているのを目撃してから七海を何かと気にかけてくれていた。そして依伊汰には、修作と付き合うことになってすぐに七海から報告したのだ。
二人とも嫌な顔一つせず受け入れてくれたことが七海にはとても嬉しかったし、だから二人には修作の話をたくさんしてしまう。まだ直接会ったことはないのだが、二人は修作のことをよく知っていて、なんだか不思議な感じだった。
「そういえば、二人の友達は来ないの?」
「俺は特に。依伊汰は?」
「俺はねぇ‥あ、噂をすれば」
『えーたぁ〜』
入り口の方が何やらざわついたかと思うと程なくしてよく通った声が聞こえてきて、その声の持ち主が手を振りながら七海たち三人の元へやってくる。喋り方やしぐさは女性のようだが、声や体つきは男性のようで‥七海は思わず依伊汰に尋ねた。
「えーっと‥おにいさん?おねえさん?」
「お姐さん」
依伊汰に「姐さん」と呼ばれるその人は、依伊汰のモデルの仕事仲間でメイクを担当しているらしい。世にいう“オネエ系”だが、その腕は確かとのこと。
「んまー、この子どうしちゃったの?!色々大事故起きてるんですけどっ」
「えっ?オレ?!」
苦虫を噛み潰したような顔で七海の顔を覗き込んだ姐さんは、しばらくすると何やらブツブツとつぶやきだした。凝視された威圧感で七海がたまらず後退りすると、そのタイミングで姐さんに腕をガッシリと掴まれてしまう。
「ちょっとアンタ、こっち来なさい!」
「えっえっ?何??わー助けてー!!」
姐さんの逞しい腕にホールドされ、七海は抵抗も虚しく、そのまま荷物置き場兼準備室になっている隣の部屋へと連れて行かれてしまった。
「おい、助けなくていいのかよ」
「うーん、なんかスイッチ入っちゃったみたい。‥大丈夫、姐さんプロだし。ふふ、楽しみだねー」
「‥お前、時々非情だよな」
「??」
そう言う穂輔も七海を助けに行くわけでもなく、再びトレーを手に持って客のいなくなったテーブルを片付けに行くのだった。
「よしっ、完璧☆」
バッグから取り出したメイク道具を使ってものの数十分で七海のメイクを仕上げると、姐さんはバチンと豪快にウインクをキメた。
「わーー、七海くん別人みたい!」
「変わるもんだなー」
心配になって途中から様子を見に来た依伊汰と穂輔が、その変わりっぷりに思わず驚嘆の声を上げるが、当の本人はいまだ訳がわからず状態で、七海は女子生徒が必死に作っていた手作りのメイク台の前に座って鏡に映る自分の姿をぼーっと眺めていた。
「こんなことならちゃんとした道具持ってくるんだったわー。もっと素敵にしてあげたのに」
褒められても不満そうにしている辺りはさすがプロだ。メイク道具を手早く片付けると、姐さんは鏡に映った七海に話しかける。
「それにしてもアンタ、肌キレーね‥あ、分かった!恋してるでしょ?!」
「え?」
「どんな子?可愛いの??あーでもアンタ歳上に可愛がられそう」
「あっ、うーん、えーと‥」
「先輩?気をつけなさいよー、歳上の女はコワ‥うぐっ」
怒涛の質問攻めに七海がアタフタしていると、見兼ねた依伊汰が姐さんの口を両手で塞いで見事に黙らせた。
「お前1時までだろ?」
「うん。今何時?」
「12時32分。結構客来てたぞ」
「マジで?!よーし、そんじゃあとちょっと頑張ってくるー!」
いつものようにバタバタと慌ただしく走り去っていく七海の姿に、せっかくのメイクが台無しだと、穂輔は大きなため息を吐いた。
「あ!」
ドアの所で立ち止まった七海は、クルっと姐さんの方を振り返る。「ありがとうございました!」と、とびきりの笑顔を見せて礼を言うと、再びバタバタと走って隣の教室へと戻っていった。
「‥あの子、素質あるわよ」
「姐さんやめて」
そう言って妙に目を輝かせている姐さんを、依伊汰は割りと本気で小突いた。
********
知り合いの所をひと通り回り終えたタイミングで七海から当番が終わったと連絡が来て、修作は待ち合わせ場所へと向かう。到着するもそこにはまだ七海の姿はなく、修作は待っている間、先程の七海の姿をひっそりと思い出していた。 あの時は化粧の面白さに思わず爆笑してしまったのだが、
(足、すげー出てた‥)
スカートとハイソックスの間の肌色が目に焼き付いていて、思い返すと今更ながら照れてしまう。
「修作先輩!」
今日はエロい想像をすると名前を呼ばれるなぁ‥そんな風に思いながら、修作は声のする方へ顔を上げた。
「‥っナナ?!」
目に入った七海の姿に思わず目を見開く。 瞼の上にはピンクベージュのアイシャドウが薄っすらのっていて、まばたきをするたびに目尻に少しだけのせたラメがキラキラと輝く。綺麗にカールして上を向いたまつげは七海の大きな目を更に引き立たせ、ほんのりピンク色の頬と艶っぽいぷっくりとした唇に、修作は釘付けになっていた。
「お待たせ!‥あれ、友達は?」
「あっ‥ぶ、部活の後輩んとこ‥行った」
「そっかー、ちゃんと挨拶したかったんだけどなぁ‥‥って、先輩?」
じっと見つめられ、その理由が分からない七海は小首を傾げて修作をのぞき込む。無意識にしたその仕草は普段なら軽く流せるのに、今日は化粧のせいでなんだか妙に色っぽく見えて、修作はたまらず目を泳がせた。
「女装とか‥ビックリしたんですけど」
「ビックリした?へへー、ドッキリ成功!」
「‥ってかナナ、さっきと全然違う‥」
「ん?‥あ、これ?えーたの知り合いの人がやってくれたの!」
「えーたって‥モデルの友達?」
「そう!メイクさんなんだって!凄いの!姐さんだった!!」
「姐さん‥??」
七海は先程の出来事を楽しそうに修作に話した。気がつくと「修くん」といつもと変わらない呼び方に戻っていて、七海の話を聞く修作の表情もいつの間にか元に戻っていた。
「そんじゃあまず、どこいこっか?修くんご飯食べた?」
「ん、さっきテキトーに。ナナお腹減ってる?」
「ううん、オレも食べた!」
「そっか。そしたら‥」
先程からやけに視線を感じて、修作は言葉を止めて周囲を見回す。案の定、その視線は七海に向けられていた。
(そりゃ目立つわな‥)
修作が小さくため息を吐くと、それに気づいた七海は申し訳なさそうに修作に手を合わせた。
「ごめんね、本当は当番終わったから着替えたかったんだけど、宣伝になるからそのまま行けって言われて‥」
「いいよ、大丈夫。看板娘は大変だな」
「えー何それー!」
修作の言葉が不服だったのか、七海は眉間にシワを寄せて膨れてみせる。
「オレ本当は裏方が良かったんだよ!えーたとほすけと一緒が良かったのに。この服動きにくいし‥」
そう言って乱暴にスカートを持ち上げた七海の姿に目のやり場に困った修作が慌てて視線を逸らすと、七海は「どうしたの?」と不思議そうに修作を見上げた。
(パンツは男モノなんだ‥)
‥どうやら動揺しているのは修作だけのようだ。
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