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サクライ君と王子さま
サンタさんってどこに行けば会えるんだろう?
学校がおわって、いそいでえきに来たけど、そういえばどのでん車にのるのかわからない。
「どうしよう……」
あわなきゃいけないのに。ちゃんと、おねがいしたいのに。
きっぷを買うきかいの前で、私はどうしていいのかわからなくて。じーんとおはなのおくがしびれて、泣きたくなってきちゃって。
「どうしたの?」
なみだがポロポロこぼれそうだったんだけど、いきなりこえをかけられて、私のなみだは止まっちゃった。
「電車に乗りたいのかな?」
こえをかけてくれたのは、とってもキレイなお兄さんだった。
高校生かな。かみと目がハチミツみたいにキレイな色をしてる。まるで絵本から出てきた王子さまみたい。
王子さまはしゃがんで私の目をじ、と見てから、やさしくわらった。
「あの、あの、」
何だかてれちゃって、うまくおはなしできなくて。
もじもじしてたら、王子さまのうしろにいたお兄さんが私をにらんできた。
「なんだ、迷子か?」
王子さまのとなりに同じようにしゃがんで私をじーっとにらみつけてくる。
お口がへの字に曲がってて、ちょっとこわい。
たすけてって王子さまのおようふくをギュッてつかんだら、王子さまはわらってあたまをなでてくれた。
「大丈夫だよ。櫻井君も僕も悪い人じゃないからね。」
こわいお兄さんはサクライ君っていうんだ。
サクライ君と王子さまはお友だちだから、こわがらなくていいよ。っていわれたから、私は王子さまをしんじることにした。
「お前、なんでこんな所にいるんだ?」
「……サンタさんにあいに行くの。」
「はぁ?」
私のことばに王子さまとサクライ君は二人でかおをあわせて、ちょっとこまったかおをした。
私、何かおかしなこといったかな?
「えっと、サンタさんがどこにいるのか知ってるのかな?」
「しってる。ホクオーってところでしょ?」
ホクオーにはどうやったら行けるのってきいたら、ふたりはやっぱりこまったかおでわらった。
「正確には北欧のフィンランドって国だ。」
「国?ホクオーは日本じゃないの?」
「飛行機でも10時間近くかかるぞ。」
しらなかった。
それじゃぁ、それじゃあ、
「それじゃあ、サンタさんにあえないの……?」
ひこうきなんて一人でのれない。パパとママがおしごとからかえってくるまえに、おはなししに行きたかったのに。
「私のおねがい……きいてもらえないの……?」
かなしくて、かなしくて。
下をむいてギュッて手をにぎって泣くのをがまんしていたら、王子さまは、またあたまをなでてくれた。
「サンタさんに連絡できないか、お家の人に聞いてみたらいいんじゃないかな?」
「とりあえず、首から下げてるそれで家の人に電話しろ。」
いきなりサクライ君が私のケータイをとろうとしたから、私はおもいっきりストラップをひっぱった。
「だめーっ!!!だめなの!!」
とりかえそうって力いっぱいひっぱったら、ぼうはんブザーの紐をひいちゃって、私のケータイはビービーうるさい音をだしちゃった。
サクライ君はおどろいて手をはなして、それからあわててキョロキョロとまわりをみた。
「だめなの!パパとママにはヒミツなの!!ビックリさせるの!!」
ケータイをギュッてにぎってサクライ君をめっ、てにらむ。
「ぜったいヒミツなんだからね!」
しられちゃダメなの。
ビックリして、よろこんでほしいの。
だからサンタさんに一人であいにいくの。
それまでぜったいでんわはしないのっておこったら、サクライ君はわかったよっていってくれた。
「……いいのかな、親御さん心配されてるんじゃ。」
「大丈夫だ。多分今ので通知がいってるはず…」
王子さまとサクライ君は二人でなにかおはなししてたけど、私にはよくわからなかった。
ただ、もうケータイをとったりしないってやくそくしてくれたから、私はギュッてにぎっていたケータイでじかんをかくにんして、またくびから下げた。
どうしよう。もうすぐママのおしごとがおわってかえってきちゃう。
「ところで、お嬢さんはサンタさんに何をお願いしたいのかな?」
もしかしたらおてつだいできるかもってやさしい王子さまがいってくれたから、私はちょっとだけかんがえて、おしえてあげることにした。
人におはなしすると、おねがいはかなわなくなるよってお友だちからきいたの。でも、王子さまは私をむかえにきてくれたホントの王子さまかもしれないっておもったから。
「……あのね、オーロラ姫のやくがほしいの。」
「は?なんだそれ。」
「眠れる森の美女のお姫様の名前だよ。……お嬢さんはもしかして、バレエを習ってるのかな?」
「!?そう、そうなの。こんどクリスマスはっぴょうかいがあるの!」
やっぱり、王子さまはデジレ王子なのかもしれない。オーロラ姫は君だよってむかえにきてくれたのかもしれない!
「私ね、ダイヤモンドのようせいだったの。オーロラ姫じゃなかったの。パパもママもおうえんしてくれたのに、ちがったの。サンタさんにおねがいしてたのに……」
サンタさんは私のおねがいをまちがっちゃったんだ。だから、ちがうよっていいにいかないといけないの。
パパとママに私のオーロラ姫を見てほしいの。
でも、サクライ君はそれはむりだって、こわいかおで、くびをよこにふったの。
「それがお前のお願いだって言うなら、サンタは来ねぇよ。」
「櫻井君っ、」
王子さまがサクライ君のおようふくのそでをひっぱってダメだよっていったのに、サクライ君は私をにらむのをやめなかった。
「他人に欲しい役を用意してもらおうなんてずるい考えの奴の所に、サンタは絶対来ねぇよ。」
「そんな、」
ひどい、っていいたかったけど上手くことばがでてこなかった。
おはなの上がつーんとして、なみだがポロポロこぼれてきて。ひくひく、とまらなくて。
かなしくてかなしくて王子さまにギュッてだきついたら、王子さまはやさしくだきしめてくれて、つらいよねってあたまをなでてくれた。
「っ、パパとっ、ママにっ、きらわれちゃう、」
「そんな事ないよ。どんな役でもパパとママは喜んで観てくれると思うな。」
「っ、でも、でもっ、」
「|翠《みどり》!」
とつぜんママのこえがきこえて、こえのするほうを見たら、とおくからママと、おしごとのはずのパパもいて。二人ともすごくあわててこっちに走ってきた。
となりでサクライ君が、な、っておどろいて私のかおを見た気がしたけど、私はおもいっきりはしってママにだきついた。
「ママぁぁぁっパパぁぁぁぁ!」
「どうしてこんな所にいるの!?お家にいないし、学校に連絡したらもう帰ったって言われて、ママもパパもビックリして探してたのよ!」
「ごめ、なさいっ、私、サンタさんにおねがいしたかったの、でもっ、サンタさんはオーロラ姫にしてくれないって、」
うまくことばにできなくて、ママにギュッてして、ひくひく泣くしかできなくて。
ママもパパも、たぶん何もわからなくてこまっていたんだけど、王子さまとサクライ君がきて、ママとパパにこんにちはってごあいさつして、それからどうして私が泣いてるのかおはなししてくれた。
ママはすみませんっていいながら、私が泣きやむまで私のことをギュッてしてくれた。パパは私とママのことをギュッてだきしめてくれた。
王子さまのいうとおり、キライになんてならないよっていってくれた。
だから私は泣き止んでから、ごめんなさいって、たくさんたくさんあやまった。パパとママに。それから、サクライ君と王子さまに。
「さあ、もうお家に帰りましょ。」
やさしくあたまをなでられながらママにそういわれて、私はうんってうなずいた。
お兄ちゃんたちとバイバイしなくちゃ。
でも、それはちょっとさみしくて。ことばがうまく出てこない。
「あの、」
バイバイがいえなくてモジモジしてたら、王子さまも、かなしそうなかおをした。
「ねぇ、櫻井君……」
王子さまがサクライ君のおようふくをギュッてひっぱった。
なにかいいたそうにキョロキョロしてる。ママとパパと私と、それから……えきのすみっこにおいてあったピアノを見てる。
そんな王子さまを見て、サクライ君はすこしだけこまったかおをして。んーってこえを出して、まわりをキョロキョロしてなやんでから、しかたないな、って大きなためいきをついた。
「……一曲だけな。」
王子さまを見つめて、やさしくわらった。
すごくすごく、やさしくわらった。
そうしたら王子さまのひとみはうれしそうにキラキラかがやいたの。
「何幕だ?」
「オーロラ姫の見せ場は第三幕のグラン パ・ド・ドゥなんだけど……どう?」
「あー、一幕はわかるんだけど……」
おもいだす、ちょっとまってろっていいながらサクライ君はえきのすみっこにあるピアノにむかった。
王子さまは私とママとパパをみて、ぺこりとあたまを下げる。
「あの、少しだけお時間いただけませんか?」
どうしたんだろう?
私もママもパパもこれから何があるのかよくわからなくて。三人でかおを見て、くびをかたむけて、いいですよってうなずいた。
なんだろう。
何がおこるんだろう。
王子さまがすごくうれしそうにサクライ君を見るから、私もワクワクしてサクライ君のせなかを見てた。
だれでもひいていいですよっておいてあるピアノのまえにすわったサクライ君は、ピアノのふたをあけて、あごに手をあてて、すこしだけ何かをかんがえてから、それからゆっくりとけんばんに手を下ろした。
「あ、」
バレエきょうしつで何回もきいた音楽がきこえてきた。
王子さまとオーロラ姫が二人でおどるところ。
私がパパとママに見せたかったシーンの音。
サクライ君はピアノをひきながら王子さまのほうを見て、王子さまはにっこりわらってうなずいた。
それから王子さまは私のまえでおひざをついて、かた手をのばしてきたの。
「オーロラ姫、お手を。」
にっこりわらって、お姫さまにダンスのおさそいをするみたいに。
デジレ王子だ。やっぱり、王子さまはデジレ王子だったんだ!
「パパとママにオーロラ姫、見せてあげよう?」
「っ、うん!」
王子さまの手にそっと私の手をのせたら、王子さまはやさしくにぎってくれた。
「振り付け、覚えてる?」
「う、うん!」
王子さまにやさしく手をひかれて、私はオーロラ姫になった。
ピアノの音にあわせておどれば、王子さまは私のうごきにあわせてくれる。
「そのままアダージョ、第一。プロムナードいくよ。」
がんばってぴんって足を水平にのばしてバランスをとる。
王子さまは私の手をとってゆっくりと私の体をささえながら、まわりをぐるりとまわる。
すごいの。えきのすみっこにいるのに、王子さまがここをステージにしてくれるの。
王子さまのおどりはとってもキレイだった。羽が生えてるみたいにふわりととんで、ゆび先までぴんとのびて、うごきはとってもなめらかで。
こんなにキレイにおどる人はじめて見たの。
パパもママも、まわりの人も、みんな王子さまを見てるの。
「ピルエット、できる?」
「うん!」
つま先立ちでクルクルまわる。
いつもは目が回ってすぐにふらふらしちゃうのに、王子さまがささえてくれて、てつだってくれたから、いつもより上手にたくさん回れた。
私が私じゃないみたいなの。
王子さまと二人でいると、私はホントにオーロラ姫になれるの。
あ、でも、たぶん二人じゃない。
ときどき、王子さまのしせんはえきのすみっこのピアノにむけられる。ピアノをひくサクライ君もときどき王子さまを見て、二人で目を合わせて、うなずいて。
二人だけにわかるおはなしをして、いきをあわせておどってるの。
サクライ君のピアノの音がはずんで、王子さまがうれしそうにわらって。私も楽しくなって、みんなでニコニコしながらおどってた。
「リフト上げるよ!」
「うん!」
王子さまが私の体をもち上げて、私の体は高くとんだ。
でも、ぜんぜんこわくなかった。
王子さまはしっかり私の体をだきとめてくれて、クルリと回って、さいごに二人で手足をぴんってのばしてとまった。
そしたらピアノの音がぽーんてひびいて、だんだん小さくなって消えていった。
きょくがおわって、えきはしずかになって。そしたら、パチパチパチってはくしゅの音がきこえた。
王子さまがペコっておじぎしたから、私もかた足を少しひいて、体をかがめるバレエきょうしつでならったとおりのレヴェランスをしたら、はくしゅはもっと大きくなった。
パパとママだけじゃないの。気がついたらまわりにたくさん人がいて、みんな私と王子さまのおどりを見てくれてたの。
みんな、みんな、上手だってはくしゅしてくれたの。
こんなことはじめてで、なんだか、かなしくないのになみだが出そうになった。
「やるじゃん。」
こえといっしょにぽんっ、てあたまに何かあたって、上を向いたら、それはピアノをひきおえたサクライ君だった。
かっこよかったっていって、あたまをなでてくれたサクライ君は、王子さまのほうを見てやさしくわらった。
「おつかれ。」
私とおんなじようにぽんって王子さまのあたまをなでると、王子さまはありがとうって、とってもうれしそうにわらった。
「本当にありがとう!まさか、まさか本当に弾いてもらえると思わなかった。」
「まぁ、駅通るたびお前弾いて欲しそうな顔してたしな。……あれだ、小みどりへのクリスマスプレゼントって事で。」
こみどり……って私のこと?
私のなまえは|翠《みどり》だよ、っていったら、サクライ君は小さいんだからお前は小みどりでいいんだってわらった。
「なぁ、小みどり。お前、こいつの演技見てどう思った?」
「え?……すごかった。あのね、じくがぜんぜんブレないの。指の先までピーンとしてて、すんごくキレイなの!」
ホントにホントにすごいんだよ!ってサクライ君につたえたら、王子さまはありがとうって、てれくさそうにわらった。
「こいつが凄いのは努力したからだ。毎日毎日歯ぁ磨く時も、休み時間も、宿題しながらだって柔軟やって、朝と放課後は長距離走って体力作りしては、スケートリンクで表現の勉強をしてる。」
わかるか?ってきかれて、私はうんってうなずいた。
サクライ君のいいたいこと、私はちゃんとわかった。
「……サンタさんには、新しいバレエシューズおねがいする。小さくなってたから、あたらしいくつで私も毎日がんばる!」
おねがいしてもダメなんだ。
自分の力でやらなきゃダメなんだ。
私も、王子さまにまけないおどりをしたい。そしてまた、ステージではくしゅをたくさんもらいたい。
「たくさんれんしゅうして、ダイヤモンドのようせいがんばる!つぎはぜったいお姫さまにえらばれるようになるの!」
「あー、そういうお願いなら、サンタさんかなえてくれるんじゃねぇの?……多分。」
サクライ君はこまったかおでわらって、パパとママのほうを見た。
目があったパパとママはニコニコしながらうなずいて、サクライ君と王子さまにありがとうございましたっておじぎした。
「ご迷惑かけた上に、素敵なものを観せていただいて、本当にありがとうございました。あの、是非ともお礼を…」
「あ、いえ、そ、そういうのは。あの、僕もとても楽しかったのでっ。」
「あー、そろそろ行かないとバスの時間が。」
ママがおなまえをってきいたら、とつぜん王子さまとサクライ君はとんでもないって手をぶんぶんふってあわてだした。
ぶとうかいにきたシンデレラみたいに、かえらなきゃっていって、しつれいしますってパパとママにあたまをさげて、にげるみたいにはしりだしたから、私はまってって二人をおいかけてはしった。
「まって!まだちゃんとおれいいってないの!」
つかまえようと手をのばしても、二人はとまってくれなくて、どんどん遠くにいっちゃう。
まってって大声でおねがいしたら、王子さまがこっちをふりかえって大きく手をふってきた。
「練習頑張ってね!翠さんならきっともっと上手になれるよ。」
すこしだけたちどまってくれて、とおくから手をふってくれた王子さまに、私はりょう手を口にあてて、おおごえでさけんだ。
「ありがとう!またいっしょにおどってね!」
私のこえは王子さまにとどいて、うれしそうにわらってうなずいてくれた。
「ほら|美鳥《みどり》、いくぞ。」
サクライ君が王子さまの手をとって、二人はまたはしりだした。
みどり……って、王子さまのなまえ?
王子さまのおなまえはデジレ王子じゃなかったのかな?
あんなにじょうずに「ねむれる森の美女」をおどれるのに、王子さまはデジレ王子じゃないの?
でも、二人で手をつないで、はしっていくせなかを見て、私はやっぱりちがうのかもっておもっちゃった。
だって、王子さまはオーロラ姫じゃなくて、隣にいるもう一人の王子さまのかおを見て、しあわせそうにわらってたから。
小さくなって二人が見えなくなるまで、私はずっとずっと、サクライ君とミドリ君に手をふった。
またいつか、どこかであえるといいな。
『失礼します。』
普段は挨拶なしに勝手に入っては無遠慮に使っている数学準備室だが、呼び出された手前、今日は|美鳥《みどり》と共に一応一声そえてドアを開けた。
ちなみに呼び出されてもいない|晃《あきら》はいつものように俺たちの後ろからついてきて、いつものように勝手にコーヒーを入れるため、部屋の奥にある簡易キッチンへと向かった。
「おー、きたか。」
俺達の声に、この部屋の主である|木崎《きざき》は読んでいた新聞から顔を上げる。
「なんだよ、話って。」
「あー、まぁ話ってほどでもないんだけどな。」
まぁ、座れと促されるままに俺も美鳥も適当に椅子を引きいつものように腰を下ろした。
四限目の終わり、終業のチャイムが鳴り響く中で数学の授業を終えた木崎が、去り際に俺と美鳥に昼休みに準備室まで来るようにと言い残したのだ。
まぁ、二人同時に呼び出した上に、ついてきた晃を咎めることなく放置している時点で何か問題があったとかそういう話では無いことは想像できた。
悪い話ではないだろうが、なぜ呼ばれたのかは全く身に覚えがなかったので、俺も美鳥も首を傾げる。
そんな俺達の前に、木崎は一通の封筒を差し出してきた。
「これ、お前達にだろ。」
無地のシンプルな白い封筒。受け取って確認してみれば、そこには綺麗な字で、美鳥飛鳥様、サクライ様と俺達の名前が書かれていた。
「お礼状だと。」
「は?」
俺と美鳥に?誰が?
謎の封筒を手に美鳥を見れば、やっぱり思い当たることがないのか、まじまじと俺の手にした封筒を見つめ首を傾げている。
「迷子の娘を保護してもらったうえに、駅のピアノを弾いて一緒にバレエを踊ってくれた高校生らしき二人組を探してると一昨日学校に連絡来てな。……どう考えてもお前らの事だろ。」
木崎の言葉に、俺達はほとんど同時にあ、と声を上げていた。
「「小みどり」さん!」
まだ記憶に新しい半月前の出来事。
泣き虫なくせに気の強かった小さなバレリーナの顔が脳裏をかすめた。
「え、なになに。なんか面白い事になってるの?」
コーヒーを入れ終えた晃が俺達にカップを手渡しつつ、封筒を見つめる。その口元はにやにやと楽しげに歪められていて、好奇心を隠す気は一ミクロンもないらしい。
「お前がいきなりクリスマス会やりたいから買い出し行ってこいって言い出した日だよ。」
「たまたま駅で迷子さんを見かけて、僕が声をかけちゃって。」
「あー。バス逃してタクシー捕まえたとか言ってたから変だなとは思ってたけど。そんな面白い事あったなら教えといてよぉ。」
わざとらしく頬をふくらませる晃に、面白くも何ともないぞと前置いてから事の次第を掻い摘んで説明してやった。
要は迷子に声を掛けて保護者に引き渡しただけだ。別に楽しい話ではない……はずなのだが、何故だか俺と美鳥の話に晃は腹を抱えて爆笑した。特にまぁその少女の名前を聞いた瞬間の反応は酷いもので、デスクをバシバシ叩きつけ、呼吸困難に陥るレベルで笑われるのは、なんとも複雑な気分だ。
そんな晃を木崎は綺麗に無視して話を続ける。
「その時は気づいてなかったみたいだが、たまたまテレビで取材受けてる美鳥の映像を見たらしくてな。美鳥飛鳥さんはこちらの生徒さんですかと問い合わせがきたわけだ。」
なるほど。名前さえわかれば、このど田舎に高校なんてうちくらいしかない。特定は簡単だっただろう。
「生徒の個人情報は教えられないし、物品を送られても受け取れないとは伝えたんだが、どうしてもお礼を言いたいとわざわざ学校宛に手紙送ってくれてな。」
大した事はしていないし、あの時はギャラリーも増えてきて俺としてはあまり目立ちたくなかったから早々に立ち去ったわけだが。こんな事なら名前くらいは伝えてあの場で少し話をしておけばよかった。
かえって申し訳なかったなと、俺も美鳥も白い封筒を前に苦笑するしかない。
「で、で?」
何とか呼吸を整えた晃が身を乗り出してくる。その視線は俺の手にする封筒に注がれていて、にやにや笑うその目は早く開けろと如実に語っていた。
隠すものでもないとは思うが、ここで開けるか?
……と、思っていたのは俺だけのようで、隣を見れば美鳥も亜麻色の瞳をキラキラさせながら開封を今か今かと待っている。木崎も口にこそしていないが、興味はあるようで聞き耳を立てているのがモロわかりだった。
早くとついには口に出して急かし始めた晃に促されるまま、俺は軽く封止めされていた白い封筒を開き中身を取り出す。
中には二通の便箋が半分に折りたたまれて入っていた。
一通は薄く花が描かれた上品な縦書き便箋。小みどりの母親からだろう。季節の挨拶から始まり、先日の礼と|翠《みどり》がどうしても王子様とサクライ君にお礼が言いたいと言っている事、あの日以来今まで以上にバレエのレッスンにうちこみ、先日の発表会ではダイヤモンドの妖精を見事に踊りきった事などが事細かに書かれていた。
そして、もう一通。折りたたまれたそれを開けば、周りをトゥシューズやリボンのイラストであしらった可愛らしい便箋に、鉛筆で「王子さまとお兄ちゃんへ」と書かれていた。
このまえはありがとう。
とってもたのしかったよ。
サンタさんにバレエシューズをもらいました。
はっぴょうかいもがんばりました。
れんしゅうもいっぱいがんばっています。
王子さまみたいにおどれるようになりたいです。
稚拙な文字と文章が微笑ましい笑いを誘う。
美鳥も同じようにくすりと小さく笑って、俺の手の中にある便箋を覗き込んでいた。
「王子さまだって。かっわいー。これはあれだよね、お礼の手紙という名のファンレターだね。」
「将来は王子様のお嫁さんになる、とか言い出すやつだな。」
晃と木崎の言葉に、美鳥はまさかと首を振る。
「将来は王子様じゃなくて、お兄ちゃんのお嫁さんになるって言うんじゃないかな。」
嬉しそうに細められた亜麻色が、まっすぐ俺に向けられた。
「あの時、本当に翠さんのことを思って声をかけてくれたのは誰なのか。きっと大きくなったら気づくと思うよ。」
ちょっと妬けちゃうかも。なんてトドメに小声で言われれば、まだコーヒーに口もつけてないのに俺は思いっきりむせ返った。
晃と木崎の何か言いたげな視線が痛い。
これ以上反応しようものなら何を言われるかわからない。急激に上昇する体温を誤魔化すように、俺は便箋を捲った。
つぎは、はるにはっぴょうかいがあります。
つぎはベルになれるようにがんばるね。
ベルになって、サクライのお兄ちゃんのノロイをといて、みんなにやさしくできる王子さまにしてあげるね!
こんどはぜひ、はっぴょうかいにきてください。
またあいたいですと締めくくられた稚拙な手紙に、俺は首を傾げる。
ベル?呪い?聞いた事はある気がするが……
「これ、何の話だ?」
次の発表会の演目なのだろうが、答えがわからず便箋から顔をあげれば、そこには口元に手をあて何かに必死に耐えている晃と美鳥。そして俺と同じく意味がわからずぽかんとしている木崎の顔がそこにはあって。
嫌な予感がしつつも、俺は再度美鳥に答えを尋ねた。
「えっと、ね、その…」
気まずそうに視線をさまよわせた美鳥は、俺の顔色を伺うようにおずおずと上目遣いでこちらを見上げる。
「…………美女と野獣。」
ぷっ、と思いっきりふきだした晃と木崎をよそに、俺の体温はさっきまでとは別の意味で上昇した。
くしゃり、手にしていた便箋が歪む。
「あのやろう……人を野獣呼ばわりとはいい度胸じゃねぇか。」
「お、落ち着いて、」
「そうだよぉ、そういう所が勘違いされたんじゃないのぉ?……ぷっ、ふ、ははは、だめ、もうダメ!っ、あははははっ、」
ついには本格的に爆笑しはじめた晃と木崎に俺は手にしていた便箋をデスクに叩きつけ、その拳を握りしめた。
「だ、だめだよ、暴力は…っ、」
美鳥が慌てて止めに入るが、その目は泳ぎ、身体は小刻みに震えていて、笑いたいのを必死にこらえているのは明らかだった。
「てめぇら、笑うな!」
拳を乱暴にデスクに叩きつけても、それは逆効果で。
怒り心頭な俺を前に、三人の笑い声が数学準備室に高らかに響き渡った。
決めた。小みどりにクレームつけに、春の発表会とやらに行ってやろうじゃないか。
美鳥と一緒に、なんなら爆笑する晃も連れて。
その手に、バラの花束でも持って。
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