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オリーとシーのドタバタ珍道中☆ 1

僕の恋人はクラシック界では有名人だ。 世界に名を知られるヴァイオリニスト。愛器のグァルネリ・デル・ジェス片手に日々世界中を飛び回っている忙しい人。 そんな彼といわゆる遠距離恋愛を初めてはや四ヶ月。出会った頃は初夏だった季節はすっかり秋へと変わっていた。 『シー!会いに行くぞ!!』 いつもなら元気にしてるか、と始まり他愛ない話をするお決まりの夜の電話。彼がどこの国にいて、時差がどれだけあろうともきっちりと夜の九時にかかってくる電話にいつもどおりに出てみれば、僕の耳元で興奮しきった声が大音量で響き渡った。 思わず耳に当てていたスマホを一度遠ざけてから、ボリューム落として!とスマホを怒鳴りつけてしまった。 むぅ、と不服そうに唸る声を聞きながら、僕はようやく先程の言葉の意味を咀嚼する。 「えっと、あの、お休みとれたってことですか?」 『ああ、アマンダに頼んで二日だけもぎ取った!』 興奮冷めやらぬ声に、まぁそれも仕方の無いことかと僕はようやく理解した。 久しぶりに彼に会える。その事実に、僕だって知らず声が弾んでしまっていた。 「それで、い、いつ日本に?」 最後に会えたのはいつだっただろう。ああ、有給の申請間に合うかな。 スマホを肩で挟みながら僕は寝室に転がしていたビジネスバッグから革製の手帳を取り出して、その日に丸をつけるべく開いていたのだけれど。 『明日から二日間だ。』 「え。」 返ってきたのは印なんてつける必要もないくらい直近も直近の日程。 『アジア圏のコンサートは今日で全て終ったからな。ヨーロッパに行く前にそっちに立ち寄るぞ。今空港に向かってるから三時間後にはジャカルタを出れるぞ!』 「え!?」 さんじかん? 三時間!!!!? 『シー、今回はキョートだ!日本と言えばキョートなんだろ?空港まで迎えに来い。』 「はぁ!?京都!!!?」 待て待て待て待て、まって。 いきなりのこと過ぎて頭が追いつかない。 いや、忙しい人なのはわかっている、わかっているけども、それにしたってこれは。 「いくらなんでも急すぎます!」 『予定していた取材がキャンセルになってな。せっかく時間ができたんだから、会いに行ってもいいだろ?』 いやいやいや、お気持ちは嬉しいですけど僕だって一応社会人なんですけども!? 色さんのレコーディングは週末だから問題ないとして、明日は平日だし普通に仕事の予定なのですが!? っていうか、京都ってなに!?外国の方に人気の観光スポットなのはわかるけども、ここから向かうとなると、これもう家を出ないと間に合わないのでは!? 『なんだ、オレと会うのは嫌なのか?』 「いえ、そうじゃないですけど、」 『じゃあ迎えに来い。待ってるからな。』 「え、あ、ちょ、」 こちらの返答なんてお構い無し。言いたいことだけ言い切って、突然の来日を告げる電話は、あっという間に切られてしまった。 呆然と沈黙したスマホを見つめたところでどうにもならない。 ………どうにも、ならない。 「えっと……」 ジャカルタから京都……この場合大阪までのフライト時間を調べて、荷造りして、飛行機か高速バスの時間を調べて。ああ、今の時間ならガイド本はコンビニで買うしかないのかな。 いまだ現実を受け入れたくないと思っている自分がいる反面、次から次に浮かんでくるタスクを脳内で整理する自分もいて。 悲しいかな突然の我儘に慣れ始めている自分の脳内は、冷静にまず一番にやらなければならない事を導き出し、僕は開いたまま床に落としてしまっていた革製の手帳を拾い上げた。 手帳の中のメモ書きできる空白ページを開いて、手帳に挿していたペンを取る。 恋人様の来日はあと数時間後、有給の申請なんて当然間に合わない。というか、多分絶対今後もこういう事が起こりうる。となれば…… 僕は白紙のページの左隅に「殺した人」の文字と、健在である伯母の名前を書き記した。 伯母さん、ごめんなさい。

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