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第17話 再出発
静寂の中で、こつん、と靴音が鳴った。
「信じられない」
こつん、こつんと、響く靴音。きっと、立ち去って行く足音だろう。
俺はぎゅっと唇を噛み締めた。――ダメ、だったか。
はは……そうだよな。許してもらえるわけないよな。そうじゃなくても、前世の記憶を取り戻したとか、信じられるかよ。
これで今度こそ、俺たちの関係は終わり、か。
「――と、言いたいところだが」
床に視線を落としたままの俺の目に、靴の爪先が見えた。かと思うと、力強い腕にそっと抱き締められた。
「信じる。俺はやっぱりあなたのことが好きだから」
「ロー、レンス……」
確かなローレンスの温もりに、俺は涙がこぼれそうになった。
許してくれるのか。信じてくれるのか。
――まだ、俺のことを好きだって思ってくれているのかよ。
「俺の方こそすまなかった。俺が間違っていたんだ。振り向かせようと、先に身体の関係を持つなど。あなたの気持ちなんて全然考えていなかった」
俺を抱き締めるローレンスの腕に、ぎゅっと力が入る。
「一からやり直そう。俺もあなたとの関係をこのまま終わらせたくはない」
「う、ん…っ……」
やり直す。最初から。
仲睦まじい本物の夫夫になれるように。
「結婚指輪」
「え?」
「つけていないな。捨てたのか」
俺は慌てて否定した。
「ち、違う。ちゃんと箱にしまって部屋に置いてある。ただ、今の俺にはつける資格がないと思って……返すよ」
「いや、いい。あなたが持っていてくれ。それで……本当に俺のことを好きになってくれた時に、またつけてほしい」
「分かった」
――こうして、俺たちは。
夫夫として再出発することになった。
「では、行ってくる」
「うん。いってらっしゃい」
キスではなくハグをして、ローレンスは出勤していく。その背中を俺と見送ったオリビアさんは、安堵しているような表情をしている。俺たちが仲直りしたのだともう察しているだろうけど、きちんと報告とお礼を言わなきゃな。
「あの、オリビアさん。昨日は助言してもらってありがとうございました。昨夜、ローレンス様にちゃんと謝罪をしたら……許してもらえました」
「ふふ、そうですか。よかったですね」
「本当にありがとうございます。それで、ちょっと聞きたいんですが。オリビアさんと旦那さんの馴れ初めってどういう感じだったんですか?」
俺の質問は予想外だったようだ。オリビアさんはきょとんとした。
「私と夫の馴れ初め、ですか?」
「はい。ええと、お借りした恋愛小説を読んでいたら、恋愛話に興味がわいてきまして」
「あら、そうなんですか。私と夫の馴れ初めは、――私の一目惚れです」
「ひ、一目惚れ?」
「ええ」
オリビアさんはくすくすと楽しげに笑った。
「もうとにかく、夫の顔がドストライクでして。私から猛アタックして落としたんです。交際に持ち込むまで一年くらいかかりましたね。ですが、それからはとんとん拍子に関係が発展して交際半年で結婚したんですよ」
「へぇ……積極的だったんですね、オリビアさん」
「本気の恋をしたらそんなものですよ」
「……恋とか愛って、どんな風に生まれるんでしょうか」
ローレンスを好きなはずの既婚者の俺が言うのはおかしな言葉だったかもしれないけど、オリビアさんはさして気にした様子はなく、「そうですねぇ……」と考え込んだ。
「私個人的には、恋とは自分のために相手を想うこと、愛とは相手のために相手を想うこと、だと考えております。初めはみな恋から始まり、それがやがて愛に変わっていく。だから『恋愛』というのだと」
「じゃあ、恋の始まりって……えっと、みんなはどんな感じなんでしょう」
「人それぞれだとは思いますが、結局は相手の長所を見つけた時ではないでしょうか。容姿でも、性格でも、特技でも、なんでもいいです。相手の長所を見つけて惹かれ始めたら、それはもう恋の始まりなのではないか、と私は思いますよ」
なるほどなぁ。うーん、ローレンスの長所、か。
たとえば、無愛想でとっつきにくいけど、他人に気遣いができて優しいところ、とか。
たとえば、普段はほぼ無表情顔なのに、たまに優しげに笑うところ、とか。
思いつかないわけじゃない。それでも、それらに惹かれているのかと聞かれたら……俺は自分でもよく分からない。
ともかく、オリビアさんの話は大変参考になった。俺はにこりと笑って、「ありがとうございます、オリビアさん」とお礼の言葉を伝えた。
「いえ。そういうリアム様は、旦那様のどのようなところがお好きなんですか?」
あ、やばい。墓穴を掘ってしまった。そりゃあ、会話の流れからこうなるよな。
実はまだ好きじゃないんです、とは勝手に暴露するわけにもいかず、俺は誤魔化すように笑った。
「あ、えっと、気付いたら好きになっていたというか……」
「ふふ、そうですか。無意識のうちに、というパターンもありますよね」
よ、よかった。納得してくれたみたいだ。
内心ほっと胸を撫で下ろす俺に、オリビアさんは慈愛に満ちた表情で続けた。
「旦那様のことを、これからもどうかよろしくお願いします。旦那様は……」
何か言いかけたオリビアさんだったけど、勝手に話しちゃいけないことだと思い返ったのかな。「いえ、なんでもありません」と言葉を濁した。
「そろそろ、仕事に戻ります。リアム様はどうぞごゆっくりしていて下さい」
「あ、はい。よろしくお願いします」
んん? 何を言おうとしたんだろう。
気にはなったものの、なんとなく聞いても話してくれるとは思えず、俺は追及しなかった。俺に話してもいいことなら、いずれ改めて話してくれるだろう。
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