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第17話 後宮の朝

―――後宮・ダイニングルーム 「じゃーんっ!」 本日の朝食はチーズスコーンにハムチーズを挟んだ前世のアイデア料理と何の変哲もないサラダにコンソメスープである。王子感0。まんま前世の庶民食。スコーンを使っているところが少しはシャレオツだと思う。 ―――あ、俺何でそんな前世の庶民食を皇帝に出してんだ。ぐはぁっ。 「これを、全てティルが作ったのか」 しかしながら我が愛しのアイルたんは怒ることもなく、まじまじとチーズスコーンを見つめていた。 因みに同じメニューを寝坊助のルークのためにも用意してある。ただ、さすがに皇帝陛下と同席させるわけにもいかないから、ルークには使用人用に用意されていたダイニングルームを使うように言ってある。 俺も早速アイルたんの正面の席に腰掛ける。 俺は自慢のハムチーズスコーンをはむりと口に運ぶ。 「んっ、チーズとろとろ~」 「そなたは本当に美味しそうに食べるな」 「だって美味いよ?食べてみて」 俺は自分の皿のスコーンをとり、椅子から立ち上がって前に上体を突き出すと。ひょいっとアイルたんの口元に運ぶ。 「っ!?」 あ、お行儀が悪いよな、確実に。 「―――」 少し黙った後、アイルたんがその桃色の唇を開いてスコーンを一口かじる。 あ、あ、アイルたんがスコーン食べてくれた―――っ!!! 何このイチャイチャ新婚生活みたいな展開っ!いや、新婚だけども!! ―――しかしながら。 うわぁ~っ♡俺特製スコーンをはむはむするアイルたん。 もぐもぐするアイルたん。 ごくんと呑み込むアイルたん。 全部が全部、尊すぎるううぅぅっ!!! 「―――味が、する」 へ? アイルたんの口から出た言葉に俺は一瞬きょとんとしてしまった。椅子に腰を下ろしてアイルたんをまっすぐ見つめる。 「う、うん。チーズとハムの旨味がさ」 いいんだよね~。そう言おうとしたのだが。 「ん、不思議な感覚だ。ティルの味みたい」 俺の味―――っ!!? 「あ、その。俺の聖魔法を掛けたからかな」 皇帝陛下に出すものだし、いや、それ以外も後宮に入ってからは食材にはしっかりと聖魔法を掛けている。 「うん、おいしい。こんな感覚が、まだ残っていたとはな」 それって一体どういう? まさかとは思うけど。アイルたんを蝕む“それ”はアイルたんから味覚までをも奪うのかな。そう思えば、アイルたんの偏食にも納得がいく。 先ほどの言葉の意味も考えれば。 ―――味がしないから、特にこだわりを持たない。最低限の生命維持のための食事。 けれど昨夜俺の聖魔力を吸収して、そして俺の聖魔力を含んだご飯を食べれば、アイルたんは“美味しい”と感じてくれるのか。 「昼も、食べに来ていいだろうか」 「もっ、もちろん!」 俺はアイルたんの嫁だし、それに愛夫(あいさい)料理をふるまうのも何だか作るのが楽しみになってくるし。 「長らく、待たせて済まなかったな」 へ?謝罪?待たせるって、一向に謁見に呼ばれることもなく、アイルたんが訪ねてこなかったこと?いや、俺は例え聖魔力目当てでも推しのために聖魔力を捧げ、身も心も捧げられることができたのなら満足だと思っていたのだけど。 「ううん」 「そうか。本当はすぐにそなたを迎えに行きたかった」 え?そうなの?聖魔法使いだから? 「だが、弟がまずは様子見をとな」 あぁ、だろうな。あのブラコンラートめ。お兄ちゃん大好きっ子め。 それで“謁見の際の注意事項”と嘯いてひとりブラコンラートとその狂犬たちに囲まれた密室に招かれていろいろと聞かれたわけか。 「けれど、我慢できなくなった」 我慢?あぁ、聖魔力の? 原作では、俺がシナリオ通りに幽閉されて半年後かにアイルたんが耐えられなくなってしまうのだ。半年後なら結構長いかもしれないけれど、味覚にまで影響を及ぼしているのなら、もしかしたら。それともアイルたんもおいしいご飯を味わいたかったのかな。ぐすん。何だか推しの苦労を想像していたら心の中で泣けてきた。 「そなたの、声が」 「俺の声?」 確か昨夜もそう言ってたな。 「脳内に響いてくる。―――“アイルたん”と何度も叫んで、響いてくる。最初は遠くからだった。けれどだんだん近づいてきて。こっそりとそなたが皇帝城入りをする際に遠くから見ていた。その時にそなたからその声が聴こえるのではないかと思った。案の定、その声は後宮から毎日のように届いた」 「んっと、ごめん」 昨夜も聞いたけど、それがトリガーだったとは。 「謝ることではない。何故かそなたに呼ばれると安心する。それに会いたくて会いたくて仕方がなくなって、昨晩は我慢できなかった」 「きっと、煩わしいよね。今後は、控える」 「いや、もっと、呼んで欲しい」 ―――それ、何かのM?アイルたん。 「んっ、もっと」 ほんとに届いてる―――っ!あ、陛下!! 「今のは?心の中で“陛下”って呼んでみたのだけど」 「そのように他人行儀に呼ぶな。そなたは俺の“皇后”であろう?」 ―――ん?今、何かありえない言葉が聞こえたような気がしたのだけど。 「あの、俺って側妃だよね」 今更だが、この世界における解説をちょっと挟もう。 なお、この世界の地球の各妃の概念とは若干異なっている。これは原作小説の知識と言うよりはこの世界に来てから学んだことになる。 俺の祖国であるカレイド王国の場合、王の妃は正妃(正妻)と側妃(側室)に分かれる。 グラディウス帝国の場合は皇后(正妻)、皇妃(側室)の他に側妃(側室)と言うのがあるのだ。 地球の区別とはちょっと違うのでややこしいが。皇后と皇妃は皇室の公務も担当する。主に担当するのは皇后で、そして後宮をまとめるのも皇后だ。ただし例外として皇后がいない場合は皇妃がその代理を務める。 女性用、男性用後宮にそれぞれ妃がいる場合。皇后が女性ならば皇后を筆頭として男性用後宮を取り纏めるのは男性用後宮の皇妃であるが、あくまでもトップは皇后となる。 そして皇妃と側妃がどう違うかと言えば、皇妃は皇后の代理で公務を担当し、国民の前=公の場にも姿を見せることもある。更に男女の後宮でそれぞれ妃を迎えた場合に一方の後宮を皇后の代理で取り纏めることがある。側妃の場合は公の場には一切出ない。 ただし、現在の後宮のように皇帝がひとりも妃を迎えていない場合やどちらかの後宮に側妃しかいない場合は、公の場に姿を現すことはないが側妃がその代理として後宮の管理、仕事を請け負うこともある。 まぁ、その側妃の能力如何にもよるのだが。 俺はぶっちゃけ、側妃だと思っていた。公の場に出ることはないが、現在の皇帝の妃が俺一人のため後宮の管理業務を担当する予定はあり、それは事前に聞いている。 まぁ、一応王子だったから大体の公務はできるとは思うし。公の場に出ることがないだけで。 過去の皇帝には平民から妃を娶ったが、公務処理能力がなかったために皇后にはなれず、側妃の座に収まったというのもある。さすがに皇后ともなれば公務が立派にこなせなければ公の場で皇帝の隣に立つことは許されないのである。 もちろん出世も可なので、必死に公務を勉強して覚えれば皇妃に上がれる場合もあるが。皇后は大体王侯貴族から選ばれるのでさすがにかなわない場合が多いし、過去平民の側妃が皇后にのし上がった史実はない。皇妃になった話なら聞いたことがあるけれど。 まぁ、最初から公務こなせる側妃ってのも珍しいし、俺はレアなケースだと思っている。 ―――いや、思っていたのだが。 「俺、皇后なの?」 「ティル以外に、誰がいる」 いや、その。まぁ、ベアトリーチェ派閥に対しては、俺を皇后に迎えることで反発を抑止できるかもしれないが、非ベアトリーチェ派閥からしたら逆に反発を呼ぶかもしれない。例えば皇帝であるアイルたんを熱狂的に崇拝する連中―ブラコンラートとその狂騎士たち―からすれば面白くないよな。まぁ、俺はベアトリーチェ派閥には興味がないし、アイルたん一筋なのだけど。しかし周囲はそうは思わないだろう。 「あと、契約の時に公の場に立つ機会はあまりないって説明受けたけど!?」 当然のことながら俺が嫁ぐにあたり帝国と王国とで何度も調整が行われた。その過程で、後宮の管理業務や公務を行うことにはなるが、公の場に立つ機会はあまりないと言われたのだ。 公の場に立たない=側妃だと俺は勝手に思っていた。 「―――“あまり”立たないだけだ」 「えっ」 何そのひっかけ問題的なの! 「いや、皇后なら立たないといけないでしょ」 「ティルを、あまり衆目の面前に見せたくない」 何故かもじもじしながらそう、俺に告げるアイルたん。え?何それ。もしかして溺愛体質?独占体質?いやいや、そんなバカなっ!! 「あの、仮に俺が皇后だとして」 「皇后だ」 「ぐはっ」 帝国史上初。男の皇妃は今までにも何人かいたが、“皇后”は初である。その初皇后が、俺。 「反発は、なかったの?女性用後宮には妃候補の子たちがいるんだよね」 「あれは、臣が俺にどうしても召し抱えよとしつこく迫ったものたちや、あとは属国や他国から預かった人質にすぎん。だから正式に妃にはしていない。預かっているだけだからな。俺の妃はティルだけでいい」 「がはっ」 何その熱烈プロポーズ!責任重大なのだけど! 「では、頼んだぞ。俺の皇后(きさき)」 「うぐっ」 まぁ、俺も王族として産まれた身。そう言うことならこなすけど。こなしてもいいけど! ―――いつの間にそんなことになってたんだ。俺はまだ朝だというのに無性にたそがれたい気持ちでいっぱいになった。

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