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第46話 太陽の女神と月の女神

(―――ハッ!!) 「ここは、どこ?私、死んでない!?」 「いいえ、あなたは死んだのよ」 淡い金色のロングヘアーを靡かせながらキョロキョロとあたりを見回す美女に、優しく微笑みかけた彼女の言葉は余りにも残酷だった。 「フィカ、あなたには失望しました。代々の魂が積んできた徳による光魔力を、こうも愚かに利用しようとは」 床につくほどに長い髪は、金色とも銅色ともとれる不思議な色をしており、目の前で錯乱する憐れな美女と同じ金色の眼差しは、慈愛に満ちているが同時に酷く冷たい印象を見せる。 陶器のような白い肌は美しく、この世のものではないほどの神々しさを放っていた。 「そ、その名前は、ラティラさま、いえティルさましか呼ぶことが許され、う、うええぁぁぇっ」 その狂おしいほどに愛しき名を叫んだ瞬間、フィカと呼ばれた美女が喉を押さえて苦しみだす。 「呼ぶことが許されないのは、あなたの方ね。フィカ。今現在、私が直接洗礼名を授けることは少ない。聖女や特別な徳を積んだものにしか授けられないから、ほとんどを神官が女神の代理として授けるの。魂だけは立派なあなたの名は、私が信徒として認めたことを祝し私が与えたもの。けれど彼の特別な名は、私が与えた洗礼名ではないの。きっと本人も洗礼名とは思っていないでしょうね。だけどそれは確かに洗礼名よ。だからこそ、彼の母・ベアトリーチェは産みの母親でありながら、その神の身を穢す行いに手を貸したから、その神に与えられた名を呼ぶことができなかったの」 「な、なにを‶、言っでっ」 ゼェゼェと粗く呼吸をしながら横たわるフィカが美女を見上げる。美女は相変わらずフィカに慈愛の笑みを向けるが、フィカに救いの手を差し伸べることはなかった。 「木を隠すなら森の中とは言うけれど、聖者を隠すなら聖女の中とは。当時のカレイド王国王はうまいことを考えたようね」 「わ、わたじは、聖女に、な、ぁ」 「聖者と結婚したところでその配偶者が聖女となることはないわ。そもそもあなたは過ちを犯した」 「な、な、ぜ」 「初代の聖女がテゾーロで産まれたのに、何故その後一切、テゾーロに聖女が産まれないと思う?そもそも聖者はあの国には産まれないのよ。絶対に、ね」 「―――へ?」 「寝耳に水の話のようね。無理もないわ。だってテゾーロはその歴史を聖女自らが消してしまったのだから。―――それに。地上に過度な干渉はできないとはいえ、私も怒ることはあるのよ。それでもテゾーロの愛しき子らが道をただすための試練として度々与えていたのだけど、またダメだったようね」 「は?試練?」 「何故、テゾーロが今までカレイドの聖女を手にできなかったのか。聖者はもともとあなたたちのものではないし、私の管轄ではないの。……でも、私は聖女を選ぶときにある条件を付けることにしているわ」 「じょう、けん?」 「聖者が最も大切に思う女性、よ」 「なら、私がっ!私がティルさまのっ、ぐおっ、ごほっ」 「だから、あなたにその名を呼ぶ権利はないのよ。彼も、言っていたでしょう?」 「そ、んな、でも私は、」 「あなたがそう思っていることには何も意味はないわ。重要なのは、“彼”が大切に思っている女性なのよ。歪みを持つ者によってそれは曲げられてしまい、他の者に捧げられてしまったけれど。彼が本来の自分を取り戻しその歪みはただされた。彼は最初からその“大切”を選んでいたのね。それが当代の聖女だった」 彼女はその聖女を慈しむように目を細める。 「“大切”の定義は人それぞれ。父娘(おやこ)だったこともあれば、恋人、そして姉弟。恋人同士だった時もあなたたちテゾーロの信徒たちは邪魔をしたようだけど、2柱の神の加護がある地に手を出せるはずがない。むしろ、あなたたちにとってはとんでもないアウェイだって、知ってる?そしてそれは今回も同じなのよね。当代の聖者にとって聖女は元婚約者だったけれど、歪みを植え付けられる前は、どちらかというと妹のような存在だったのよ。そしてそれがただされた今は……再び義妹(いもうと)に戻ったわね」 「そ、れじゃ、わたしは、あの女のせいで!ラピスのせいでええぇぇぇっっ!あの女アアアァァァァッッ!!!」 「ねぇ、私の選んだ神子に、目の前でよくもそんな口が利けたものね」 「は?うあああががが、なあ、なんでぇっ」 フィカは穏やかな笑みを絶やさない慈愛の美女の前で、苦し気にのたうち回る。 「私が誰かもわかっていないあなたが、私の神子に選ばれるはずがないでしょう。聖女は太陽の女神の神子、そして聖者は月の女神の神子。いいえ、もう女神ではないけれど」 「や、あ、めがみさまぁ、わたし、を、たすけぇっ」 「そう、ではあなたの女神さまは、どこにいるのかしら」 「う、めがみさまぁ、めがみさまぁ、早くた、すけに、きてぇっ!わたし、は聖女ぉっ」 「どんなに高潔な魂も、堕ちるものなのね。嘆かわしいわ」 「あああぁぁぁぁぁぁっっ!!!」 「大丈夫よ。フィカ。あなたも私が信徒として招き入れたもの。今、その苦しみから解放してあげる。次の魂は今までの徳も全て失う。まっさらになったあなたの魂は、今度こそ敬虔な信徒となることを、願うわ」 「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁっっいや、いやああぁぁぁぁっっ!!!」 ―――ふつり、と断末魔の声が止めば、そこにはまばゆい純白の魂が浮かぶだけ。しかしその周りには不穏な黒い霧が立ち込めその魂が苦し気に震えているのが分かる。 「さぁ、行きなさい。その魂の罪が消えるまでどれだけかかるかわからないけれど、その罪が許されれば今度こそ、まっさらな魂として新たな生命として芽吹くでしょう」 そう、女神が告げれば、その魂は現世での罪を贖うための長い旅路に出る。逆らうことなど許されない。そしてその魂の浄化を終えればそれは、何もかもリセットされて再び地上に芽吹く。 「行ってらっしゃい」 女神は相変わらず慈愛の笑みを浮かべそう呟くだけだった。

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