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三十四 そんな顔、しないでくれ。
「どこか調子でも悪いのか? そんな顔して」
宮脇の指摘に、顔を擦る。そんなつもりはなかったのだが。大津と蓮田も俺の顔を覗き込んで、うんうんと頷く。
「仕事忙しいの? 最近、帰り遅いじゃん」
「オレがヨーグルトを奢ってやろう」
言いながら俺のトレイにヨーグルトを乗せてくる。大津に続いて蓮田と宮脇も、「これも食え」とおかずを分けてきたが、朝からこんなに食えない。
「まあ、下期だし」
「だなー」
仕事の忙しさは本当だが、半分は口実だ。帰りが遅ければ、吉永と触れ合う機会がなくなる。そうやってでしか、避けることが出来ないのは、自分の意思の弱さを感じる。だが、仕方がないのだ。
朝の風景は、変わらない。俺は同期の仲間たちと飯を食うことが多いし、食堂を見渡せばそんな奴らが多い。吉永は朝飯を食わないことも多いので、大抵は居ない。居るときは空いている席に座る。俺の隣のこともある。
(今日は、居ないか)
避けているくせに、姿を探してしまう。俺が居ない間、どんな顔をしているか、気になってしまう。
俺のことなんか気にしないで、全部忘れて、なんでもない顔をしていて欲しい。俺に会えないのを寂しがって、怒ってくれたら良いのに。矛盾した感情が、同時に湧く。
(どうかしてる)
そう思いながら、朝食の目玉焼きに箸を突き刺した。
◆ ◆ ◆
(今日も残業になっちゃったな……)
吉永を避けたいのも事実だが、忙しいのも事実だ。疲労した身体を引きずるように、寮の玄関扉を開く。
ふぅ、とため息を吐き出して、エントランスに入った。
「あ、航平! やっと帰って来た」
「っ……。え、吉永?」
共有スペースから顔を覗かせ、吉永がやって来る。まさか、待っていたのか?
ラウンジは薄暗く、他に人は居なかった。一人で、何をして待っていたのだろうか。
ドクドクと、心臓が鳴る。顔が熱い気がする。
(こういうの、困るな……)
まさか、部屋に誘われるんだろうか。今日こそは断らないと。疲れているからと、言い訳をしないと。
そう考える俺をよそに、吉永は管理人室の方へ向かっていく。
「?」
「お前当てに、荷物届いてるよ。手伝ってやろうと思って」
「は? 荷物?」
吉永を追って、管理人室の方へ向かう。管理人室の前に、段ボール箱が二つ置かれていた。外装は「みかん」と書かれている。
「みかん……?」
「どうすんだ、これ?」
(――実家からだ……)
みかんの箱で、嫌な予感はしたが。差し出し票を見ると、母親が送ったものらしい。
「あー……。こんなに食えないし、共有スペースに置いて持ってって貰うか……」
「じゃあ、運んでおくわ」
「ああ、頼める? ちょっと、電話してくるわ」
「おー」
荷物を吉永に任せて、スマートフォンを取り出す。気が重い。けど、電話を掛けなかったら、もっと面倒なことになる。
実家の電話を呼び出し、反応を待つ。数秒して、電話を取る気配がした。
『もしもし?』
「あー、もしもし。俺だけど……みかん、どうも。あんなに、良いのに」
『何言ってるのよ。あんたのことだから、ちゃんとしてないんでしょ。近いのに帰っても来ないで……』
「あー、うん」
面倒さが滲まないようにしながらも、返事がおざなりになる。母親との会話は苦手だ。母はそのあとも、くどくどと説教めいたことを電話の向こうで繰り返す。内容はいつも一緒だ。帰ってこない。お世話になったひとにちゃんとしろ。生活はちゃんとして居るのか。当たり前のことを、わざわざ小さい子供に言い聞かせるように、何度も繰り返す。
『寮じゃなかったら、様子を見に行くのに。行っちゃダメなのよねえ?』
「――う、うん。家族も禁止だから……」
母の一言に、ざわりと胸が冷える。実家は、三十分もしない場所にある。寮を選んだのは、家を出たかったから。一人暮らしが目標だったが、干渉が煩そうだったから、寮を選んだ。
(社会人になってしばらくすれば、それもなくなると思った)
今の様子からは、それは甘い考えだったと気づかされる。
『あんたはいつまで経っても、しっかりしないんだから……。次はいつ帰ってくるの』
「仕事とか、付き合いとかあるし。しばらくは帰らないよ」
『全く。どうしてこうなったんだか……。航平、あんただけは、ちゃんとしなさい。解ったの?』
「う、うん」
『お兄ちゃんみたいになったら、許さないからね』
「――解ってるよ」
母はまだ話足りなさそうだったが、それ以上話して居たくなくて、「それじゃあ」と、電話を切る。
耳に、まだ母親の声が残っている気がして、耳を擦った。
「航平ー、俺も二個貰ったけど――どうした?」
吉永が首をかしげながら近づいてくる。
「あ……」
両手にみかんを持って、キョトンとした顔をした吉永に、腹の奥に溜まったものが込み上げる。
衝動を、ぶつけそうになって、ぐっと唇を噛みしめた。
(やっぱり、引くべきだ)
耳の奥がチリチリする。
吉永との関係は、『正しくない』。
この気持ちも『間違ってる』。
「吉永」
「んー?」
ドクドクと、心臓が鳴る。
上手い言い方が、思い付かない。こんな時、なんて言うんだっけ。
傷つけたくない。こんなことで、傷ついて欲しくない。
「……もう、やめたい」
ポツリと、言葉がこぼれた。
こんな風に、言うつもり、なかったのに。
「え?」
吉永は一瞬、何を言われたのか解らない顔をして。それから、無表情になった。
本当の無表情を、初めて見た。
唇が震える。
「ゴメン」。小さく、聞こえないほど小さく、呟く。
吉永の顔が歪む。
ゴメン。そんな顔、しないでくれ。俺のために、傷つかないで欲しい。
「あー……」
吉永が、傷ついた顔をした。でもそれは一瞬で、次の瞬間には、いつもの笑顔で。
みかんをポンと投げて、空中で受け止める。「そっか」と、声がした。もう、まともに、吉永を見れなかった。
「……じゃあ」
突っ立ったままの俺に吉永が拳をポンと突き出す。トンと、軽く叩かれた胸が、ずしりと重かった。
「最後に一回、ヤっとく?」
酷く、軽くそう言って、吉永は笑って見せた。
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