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四十一 どうする

 どんな顔でデートを続けたのか、どうやって河井さんと別れたのか、記憶からすっぽりと抜け落ちていた。気づけば、寮に戻って来ていた。 「あれー? 航平もう帰って来たの?」 「デートじゃなかったのか」  ラウンジにいた大津と蓮田が、そう問いかけて来るのを無視して階段を駆け上がる。身体よりも気持ちの方が先走って、転びそうになりながら、二段飛ばしで上がっていく。息を切らしながら吉永の部屋のドアを叩く。ドンドンドンと何度も扉を叩くが、返事がない。 「おい、吉永!」 (居ないのか……?)  ドアノブに手をかけ扉を開く。鍵は開いていた。中を覗くが人の気配はない。吉永の匂いがする部屋に、ドクンと心臓が脈打つ。 (居ない――か……)  あの日以来、入ったことのない部屋。ベッドは起き出したまま直していないのか、布団が捲れてぐしゃぐしゃになっている。思ったよりも、片付いていた。  勝手に部屋の中にいるのも、吉永の部屋の匂いも気まずくて、部屋を出る。蓮田たちなら知っているかと、一度ラウンジまで降りて行った。 「おい、大津、蓮田」 「んぁ? なんだよ。さっき上がったじゃん」 「どうした? デート失敗か?」  揶揄う様子の二人に構わず、用件だけを告げる。 「吉永知らない?」 「吉永? 見てないけど」 「昼頃今起きたって冷蔵庫あさってたけどな」 「そうか」  プリン貰ったとメッセージが来たのが昼過ぎだ。多分、その時だろう。 (だったら、寮内にいる……?)  吉永が行きそうな場所を考えながら、その場を離れて喫煙ルームを除く。タバコの煙にムッと顔を顰めながら、中にいた赤髪の男、星嶋芳と金髪の押鴨良輔に声をかける。 「なあ、吉永見なかった?」 「あ? 良輔、見た?」 「昼頃は見たけど。その後は知らないな」 「そっか。ども」  礼だけ言って、その場を後にする。あとは、どこだろうか。自販機の方を覗き込むと、鈴木一太がいた。あまり交流のない先輩だが、寮のことは詳しい人だ。鈴木は新人の栗原風馬と一緒だった。意外な組み合わせだが、確か部屋が隣だったはずだ。 「鈴木さん、吉永見なかった?」 「吉永さん? 風馬見た?」 「いや、見てないっすね」 「そっか。邪魔したね」  それだけ言って、その場を去る。背後から「やっぱ吉久我かな。久我吉もアリと思うんだけど」と声がしたが、気にせずシャワー室の方へ向かう。 「次やるゲーム考えてたんだけど」 「考えるのは良いけど、あんまり根詰めてプレイすると身体壊すぞ。昨日も結局徹夜だったし……」 「徹夜の半分は榎井のせいじゃん……」  ロッカールームの方から声がするので、そちらの方を覗き込む。榎井飛鳥と隠岐聡の同期コンビだ。 「すみません。吉永見ませんでした?」 「吉永さん? さっきまで居たけど」 「え。マジで?」 「うん。洗濯まわしてから来たって言ってたから、多分洗濯室じゃない?」 「ありがとう!」  有益な情報を得て、慌てて元来た道を引き返す。洗濯室を覗き込むと、奥の洗濯機の前に吉永が居た。 「吉永!」  思わず叫びながら、足早に近づく。 「うわっ! えっ? 航平?」  驚かせてしまったらしく、吉永の手から洗濯物が落下する。 「あっ」  吉永は「なんだよ、ビックリするだろ」と言いながら落ちた洗濯物に手を伸ばした。俺もすぐ隣に屈んで、洗濯物に手を伸ばしたその手を、ぐっと掴んだ。 「あ?」  と、吉永が俺の方を振り向く。 「――」  思わず、吉永の顔をじっと見つめる。吉永は、相変わらず「今まで」みたいな顔で俺を見ていたが、しばらく見つめているとその表情が揺らいだ。 「吉永」  小さく名前を呼ぶ。本当は、「ゴメン」とか「本当は好きなんだ」とか、言いたいことは幾らでもあったのに、どうしても言葉が出なかった。ぎゅっと手を握り、表情を歪める。  どうして、あんなことを言ったんだろう。どうして、手放したんだろう。後悔ばかりが押し寄せる。  吉永。  今度は、声にならなかった。唇の動きで、名前を呼んだのが解ったのか、吉永が小さく息を呑んだ。 「――」  自然に。  ごく、自然に、顔が近づく。  前髪が額に触れた。柔らかな、吉永の髪。シャワーのあとなのか、少し湿っている。鼻先が触れる。息を呑む。唇が、僅かに触れる――。 「おーい、吉永ー」  不意に洗濯室に入ってきた乱入者に、ビクリとして身体を揺らした。吉永が、慌てて立ち上がり、入り口の方に顔を向ける。 「っ、な、なに?」 「さっき航平が探して――あ、なんだ、逢えたの」 「おー……」  どうやら蓮田と大津が、気を利かせて探してくれていたらしい。俺も立ち上がり、吉永の方を見た。吉永は頬を赤くして、顔を背ける。 「吉永、洗濯今かよ」 「寝坊したんだって」 「俺ら今から寿司食い行くんだけど、行く?」 「俺は――」  さっさと行ってくれ。そんな気分で拒否しようとしたのを、吉永が横から先回りして返事する。 「あ、良いじゃん寿司。おれ行く」 「吉永」  思わず、吉永の肩を掴む。吉永はチラリと俺の方を見て、困ったように眉を寄せた。 「んじゃ、玄関集合で」 「ああ。洗濯部屋に置いたら行くわ」 「吉永――」  吉永は振り返り、俺の胸を押した。拒絶の意に、ズキリと心臓が鳴る。 「――」 「さっきのは、間違い、だから」  そう言うと、吉永はそそくさと洗濯物を袋に詰め、その場を去ってしまった。  一人取り残され、ぐっと拳を握り唇を噛む。 「間違いじゃ……ねえよ……」  間違いじゃない。キスしようとしたのは俺だ。  キスして――。 「……」  好きだと、いうつもりだったんだろうか。  拒絶されて、冷静さが戻ってくる。  拒否されると思わなかった。勝手に、許される気がしてた。 (もう、許してくんないかもしれない) 『死ね』と書かれた写真を思い出す。もう、嫌われたかもしれない。 (俺……、勢いだけで、何も考えてなかったな……)  ただ、逢いたくなって。抱きしめたくなって。キスしたかった。ゴメンと謝って、やり直したかった。本当は好きなんだと、伝えたかった。  けど。 (伝えて、どうなる……)  一人洗濯室に取り残され、吐息を吐き出す。壁にもたれて、頭を抱えた。  好きだと伝えて、恋人にでもなるつもりなのか。この関係に未来がないからと、関係を断ったのは俺なのに。  俺たちが男同士であることは変わらない。世間の目。親の目。友達の目。社会の目。  俺は、今の仕事が好きだ。入社してようやく一人前になってきて、大きい仕事も任されるようになった。やりがいが出て来て、楽しいと思うようになった。会社の人間も、良い人ばっかりだ。友人たちも、馬鹿だけど良いヤツばっかりだ。親は――親は、気に入らないこともあるけど。でも、親だ。 「どうすりゃ、良いんだよ……」  ポツリ吐き出して、俺はその場に座り込んだ。

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