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六十三 夕暮れ寮の変化

 不満である。不安である。  今まで一緒に過ごしてきたのに、急にそっぽを向かれるのは、寂しいし哀しい。そういうわけじゃないと解っていても、避けられているような気持ちになるし。そりゃあ、電話では毎晩話しているけれど。けど、格段に触れる回数は減ったわけで。 (くそ……)  寮内では接触しないと言われているので、我慢している。だけど、今まで散々ヤってきたのだ。互いの部屋でもしたが、シャワー室でもした。はっきり言って、今更なのである。肉体的な快楽だけが目的なわけではないが、かといって顔が見られればそれで良いと思えるほど、自分は欲がないわけじゃない。 (そりゃ、言ってることは解るけど……)  コーヒーを淹れて溜め息を吐いたところに、羽鳥が声をかけて来た。俺でも見上げるほどの大男なので、近くに来られると少し威圧感がある。 「久我先輩。もしかして、吉永先輩とケンカしました?」 「あ――そういうわけじゃ、ないけど」  原因を作った自覚があるため、羽鳥も思うところがあるのだろう。まさか寮内でエッチできなくなったと言うわけにも行かず、曖昧に言葉を濁す。 (羽鳥の奴は、寮内でエッチしてんだろうな。羨ましい……)  羨ましいと言うか、少し恨めしいけどな。  溜め息交じりに羽鳥と雑談していると、エントランスへ段ボールを抱えてやってくる人影が見えた。 「ん~? なんか辛気臭いなお前ら」  そう言って近づいてきたのは、同じ寮生の渡瀬歩と押鴨良輔だ。渡瀬は営業部の人間らしく活発な男で、押鴨の方はどちらかといえば寡黙。二人とも面倒見がいい方なので、俺も新人だった頃はよく世話になった。 「渡瀬さん、押鴨さん。大荷物抱えて、どうしたんです?」 「これ? 私物。実家に送るの」 「ああ。それにしては随分大荷物ですね」  羽鳥も荷物の大きさに驚いていた。寮は収納が少ないので、季節ごとに荷物を入れ替える人も多い。オタクらしい鈴木一太などは、良く本を実家に持って行っている。渡瀬たちの持っている荷物は、段ボールも大きいが数も多かった。渡瀬がカートで大きな段ボールを三つ運び、その後ろに押鴨が段ボールを二つも抱えている。 「ああ。ここだけの話だけどさ」 「はい」 「俺たち、春に寮を出るんだ」 「ええ!!」  驚いて思わず二人を見る。どうやら、引っ越しのための荷運びだったらしい。自分たちで引っ越しするため、二人で少しずつ運んでいるらしかった。 「そうだったんですね。それにしても……二人?」 「ああ。ルームシェアってやつ? 実家っていうか、俺の持ち家なんだよね。結構広さあるから、一緒に住むかって」 「ええ。じゃあ、渡瀬さんだけじゃなく、押鴨さんも?」 「そうなるね」  まさか二人とも居なくなるとは思っておらず、驚きっぱなしだ。同期だし、仲が良いのは知っていたが、ルームシェアするほどとは思わなかった。 (ルームシェアか……)  ドキリと、胸が疼く。将来。将来のことを、俺はいま、考えていない。目を背けて、楽しいことだけに目をやっている。けど、いずれは来る未来だろう。渡瀬たちは吉永よりも若いし、順番で言えば吉永はもう寮を出ていてもおかしくない。  吉永とルームシェアをしたら。毎日隣のベッドで目を覚ます。手の届くところに彼が居る。それだけで、どれだけ幸せなことだろう。  そう考えた夢想が、シャボン玉のようにパッとはじけて消え去った。  寮で一緒に過ごすことすら、これほどにまで恐れる吉永と、俺はこれから、どんなふうに過ごせば良いんだろうか。一緒に住むなんて、出来るんだろうか。  怖気づいた感情が胸を揺らす。けど、今まで考えたことのないことに、渡瀬たちが気づかせてくれた。 (ルームシェア……。ルームシェアか……)  具体的な目標が出来た気がする。そのための計画も心づもりもまだまだ出来ていないけれど、何かひとつ、気持ちが形になった気がする。  俺は、吉永と一緒にいたい。それは、これからもずっとだ。  寮から出ても。その先も、ずっと。 「寂しくなりますね」  羽鳥がそう言った。本当だ。慣れ親しんだ寮生は、第二の家族だ。その二人が、春には居なくなるなんて。見知った顔が居なくなるのは、寂しい。 「本当っすよ」 「あはは。ありがとう。俺たちも、寂しいな」 「まだ退寮までは時間あるから」  寂しいと言う渡瀬と押鴨は、それでも新しい生活に気持ちが向いているのだろう。晴れやかで、とても幸せそうな顔をしていた。

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