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七十一 傍に居て

 ヒヤリとした感触に、瞳を開く。いつの間にか眠っていたらしい。目の前に、心配そうに顔を覗き込む吉永の顔があった。 『航平、大丈夫?』  水の中に居るみたいだ。吉永の声が遠い。耳を凝らさないと、よく聴こえない。 「……律」  呟きに、吉永は俺の手を取って、頬に当てた。 『うん。居るよ』  時刻を見ると、祝賀会は終わっていた。二次会には行かなかったのだと、少しホッとする。  俺は吉永の顔を引き寄せ、キスをねだった。唇が近づき、触れるだけのキスを繰り返す。 『……ん』  自分は、あの男の代わりかもしれない。そんな想いが過る。  やがて、唇がゆっくりと離れた。吉永は額をすり寄せ、労るように髪を撫でてくる。 『急で、ビックリした。あんま聴こえないんだって?』 「……うん。すげー、遠くに聴こえる」 『早く良くなると良いな』  髪を撫でる感触に、瞳を閉じる。こうして吉永が触れているというのが、とても特別なことのように思えた。 (考えてみれば、俺は吉永のことを何も知らない)  興味がなかったから、知ろうとしていなかった。知らなくても、別に良いと思っていた。俺と吉永の間にあるものは、何も変わらないと思っていたから。  でもそれが、揺らいでいる。吉永が俺のことを、誰かの代わりにしているなんて、考えたくなかった。けど、本当に『俺じゃなきゃ』ダメなんだろうか。  始まりは、好奇心と快楽からだった。あの時、俺じゃなく、別の誰かだったら――。きっと、今の二人の関係は、始まっていなかった。理由もなく、好きになったからでもなく、始まってしまった恋は、気づいてしまえば酷く脆い、壊れそうな関係に思えた。 (吉永は、俺のことをどう思っているんだろうか)  聞くのが、怖い。  憎からず想ってくれているのは知っている。でもそれが、愛なのかは分からない。その愛が、俺に向けられたものなのか解らない。  石黒との関係を聞くのが怖い。  ただの先輩じゃないのか。迎えに来るって、どういう意味だ。そう、問い詰めたい。でも、怖かった。  吉永が俺の手を離れて――あの男のもとに行ってしまうんじゃないか。そう思うと、怖かった。 「律……」  唇から、声が漏れる。自分の声も、すごく曖昧だ。これが現実なのか夢の中なのか、曖昧に口にする。 「律――俺、あんたを、離したくない……」 『え?』 「他に、なにもいらないんだ……ずっと、傍に居て……」 『――』  髪を撫でる手が、止まった気がして瞳を開く。  吉永は酷く驚いた顔をして、顔を真っ赤に染めていた。

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