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九十三 期待と不安

 一緒に暮らそうという話を、出鼻をくじかれて、再度話せるようなメンタルを持っていないのが、俺である。肝心なことを先延ばしにして、今のままでも良いような気になり始めたある日、律が急に出掛けようと言い出した。  まあ、外デートは好きだし、そのつもりでやって来たのだが――。 「こんにちはー」 「お話はうかがってます。椋椅です」  律が連れてきた喫茶店に居たのは、なんというか、不思議な雰囲気の男性――だと思う。だった。中性的な雰囲気をしたその男は、名を|椋椅八雲《くらはし やくも》と名乗った。孔雀の色をした髪をアシンメトリーにカットしている。年齢は五十代といったところだ。 「えっと……?」 「こちらは椋椅さん。不動産経営をしてるんだって。石黒の紹介」 「は――」  石黒? 不動産?  頭が着いてこない。そういえば、石黒に報酬がどうこう言っていた気がする。それが、椋椅さんを紹介して貰うってことなのか? 「えーっと、ごめん。飲み込み悪くて。どういう……?」 「とりあえず、ご要望の部屋、観に行きます?」  ニコリと笑う椋椅さんに、律が頷く。俺は訳も解らぬままに、ただ着いていくことになった。  連れてこられたのは、小綺麗なマンションだった。賃貸のタイプらしく、部屋数は三つ。ダイニングキッチン付きで日当たりの良い、良い物件だった。 「良いじゃん。会社まで少し遠くなるけど通勤圏内だし、駅も近い。コンビニにスーパーも近い!」 「ビルの一階部分にあるジムはうちの営業しているジムなんです。そちらは割引で利用できますよ」 「えーっ、良い! なあ、航平!」 「いや、良いけど。どういうこと?」  つまり、どういうこと? 何で部屋を観に来てるんだっけ?  もしかして、一緒に住もうってことか。そういうことか。  期待して、ドクドクと心臓が鳴る。俺の心は、いつだって準備オッケーだ。さあ。律。 「うん。実はさ。いい加減、寮を出ないとマズイ感じになってさ」 「え?」 「おれ、今度昇格することになってさー。そうすると、寮住みマズイらしいんだわ」 「えーっ! 出世すんの!? おめでとう! あ、でも、そっかー」  律の出世は、素直に嬉しい。でも、そうか。そういう内規があるのか。確かに、管理職の人間が寮に住んでるとか聞いたことがない。あくまでも若い世代のための、独身寮だ。 「ありがと。それで、寮を出て、マンションに移ろうと思って」 「ん――」  え? ん? 「俺は? え? 律?」  嘘だろ。俺はすっかりその気だったのに。律ってば、俺と離れて、一人暮らしするつもりだったのか?  なんだ、それ。  めちゃくちゃ――テンション、下がるじゃん……。 「そうそう。それで」 「あー、うん」  すっかりテンションががた落ちした俺に、律がクスクス笑っている。なんだよ。楽しそうにしちゃってさ。 「このマンションの向かいにあるアパートも、空いてるらしい。ね、椋椅さん」 「ええ。単身者向けで、少し狭いですけどその分、部屋代は安くさせて貰ってますよ」 「ん?」  え? どゆこと? 「まあ、一応椋椅さんに頼んだのは、同性カップルもオッケーな物件探してたからなんだけど、一応カモフラージュ的な? おれがここ借りるから、お前、向かいのアパート借りない?」 「―――」  それって。つまり。 「普段は――?」 「ここで暮らそ」  ニカッと、律が笑う。  つまり、会社に届け出る住所とかは別で、実質的には同棲で。蓮田とか友達を呼んだりするには、アパートを使ってってことか。向かいだからすぐに行き来も出来るし。  窓の傍に立ち、件のアパートとやらを眺め観る。なるほど。道路を挟んで向かい側に、二階建てのアパートが見える。 「どう?」  律の声に、俺は椋椅さんのほうを見た。 「あの、内見とかって」 「今すぐ出来ますよー」  俺の返事に、律はぴょんと跳び跳ねて、俺の腕を掴んできた。 「へへ。本当はがっかりした?」 「……まあ、ちょっと」  でもまあ、実際は同棲だよな。アパートは物置になるんじゃないだろうか。勿体ない気もするが、悪くないアイディアでもある。  しかし、そうか。男同士だと、借りられない物件もあるのか。そんなの、考えてなかったな。俺、律と一緒に居たいと思ってたけど、そんなことも知らなかった。 (律を幸せにするのに、『知らなかった』じゃダメだよな)  律を守るために、もっと色々なことを知ったほうが良い気がする。律に任せっぱなしじゃダメだよな。 「まあ、行く行くは、本当に一緒に住もうよ。それまでに、片付けないといけない現実があるけどさ」 「あー。まあ、そうだよな。うん」  同性カップルの心構えとか、正直なにもないもんな。でも、不動産もそうだけど、色々なものが、男同士のカップルでは出来ないわけで。  男女と同じ権利が欲しいとは、今は思わないけど、多分俺のしらない不便なことって、たくさんあるんだよな。 「律」 「うん?」 「律の本気が、嬉しい」 「おう。頼もしいだろ?」 「うん」  そうして、俺と律は、マンションとアパートの二物件を内見し、即日契約を済ませたのだった。

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